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水俣病確認5年前に有機水銀の流出予見 チッソ報告書
2006年04月30日09時07分
http://www.asahi.com/national/update/0430/SEB200604290009.html
水俣病公式確認の5年前の51年、水俣病を引き起こした有機水銀を含んだ廃液が、工場外に流出することを予見したチッソ水俣工場の社内報告書が見つかった。同社の汚染責任は73年の1次訴訟判決で確定したが、「使ったのは無機水銀で、工場内での有機水銀の発生は予見できなかった」と主張していた。熊本大は59年7月に「有機水銀説」に到達するが、報告書は、原因究明の時間が空費されていた可能性を示している。
朝日新聞が入手した報告書は、東京大卒業後の49年に入社した塩出忠次氏(04年死去)が51年4月20日付で技術部に提出した「鉄系助触媒によるアルデヒド製造試験報告 第一報」。B5判、12ページ。複写するためカーボン紙が使われている。
プラスチックなどの可塑剤の原料となるアセトアルデヒドの製造工程では、無機水銀がアセチレンを加えると有機化することが、戦前から国際的に指摘されていた。
工場幹部は、合成中に触媒である無機水銀の働きが鈍るため、鉄を「助触媒」とする研究を塩出氏に命じた。
報告書によると、鉄の働きを維持するために硝酸を入れると、次のような現象に直面した。
「即(すなわ)ち急激な発泡をなし、此(これ)にともなひ液とともに排気煙突よりあふれ出すことが再々であった」。装置の上部から、有機水銀を含んだ液体があふれ出して床に流れ落ち、排水溝から外に出るというのだ。
塩出氏は前年の工程試験で、合成中に有機水銀化合物ができることを報告していた。51年報告書では、実際に製造を始める前の試験で廃液の流出を確認し、対策を打ち出した。だが、塩出氏は「水銀回収がうまくいかない」と会社の対応への懸念を家族に漏らしていた。二つの報告書は長く社外に出なかった。
チッソは51年夏、鉄を助触媒に増産を始め、公式確認の56年には生産量が約2.5倍になった。
59年7月に熊本大が出した有機水銀説に対し、工場は「そうした事実は現在まで確認していない」と反論。塩出氏は家族に「会社の説明は現実と違う」と語っていたという。
報告書を分析した飯島孝・元岐阜経済大教授(75)=技術史=は「チッソは公式確認半年後の56年秋に、水俣病が重金属中毒と疑われた時点で有機水銀を疑い始めたはずだ」と指摘している。
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