★阿修羅♪ > 国家破産43 > 694.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 米の先物 上場申請(日本農業新聞)【コメの世界にまで錬金術を入れようとするもの、許せない】 投稿者 heart 日時 2005 年 12 月 10 日 20:30:34)
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1084425330/E20050705164221/
コメ先物取引復活か?……70年ぶりにようやく江戸時代の水準に追いつくか
7月4日の日経「けいざい楽校」でコメ先物取引の歴史のお勉強。江戸時代の日本のコメ先物取引(大阪堂島米会所)は当時の世界に冠たるものだったとのこと。それが戦前の農村ウヨク政府が禁止して現在に至った。でもようやく復活の兆しが見えてきた由。コメをめぐる日本の既得権構造は歴史的に見て、ほんのわずかな期間でしかなかったわけだ。
お勉強したこと:
東京穀物商品取引所などがコメの先物の上場を目指している。約70年ぶりのこと。
先物取引と言えば欧米の得意分野と思われがちだが、江戸時代は日本が世界の最先端を行っていた。
江戸時代、1730年に大阪堂島米会所を幕府が公認したのが始まり。
堂島米会所は会員制で、1000人以上の仲買人が参加。コメ取引は活況を呈し、他の商品にも広がり江戸時代の経済活性化に寄与した。
世界ではローマ時代に先物取引があり、16世紀にベルギーで取引所も設けられたが、堂島米会所ほど整備されたものではなかった。
堂島から約百年後アメリカでシカゴ商品取引所が発足した際、堂島米会所の仕組みを参考にして作られたことから見てもわかる。
しかし大正時代以降、日本の右傾化にともない、政府は次第にコメの管理に動く。1939年の米穀配給統制法の制定で、コメの先物取引はついに停止に追い込まれる。
戦後小豆や大豆などの先物取引が復活したが、コメは農業保護などの名目で置き去りにされたままだった。
最近になってコメ上場が浮上してきたのは、流通の自由化にともない価格の変動が大きくなったため。現物の取引だけを自由化しても不十分だと言うことが分かってきたのだ。
これからがようやくコメ取引の本格的な自由化が進む。歴史的には自由だった時期の方が長かったわけで、原点復帰と呼んだ方がいい。
日本の規制中心の旧体制は、55年体制とも40年体制とも呼ばれるが、昭和の日中戦争の際に戦争遂行の手段として整備されたものだ。それが戦後もずっと現在に至るまで残っている。既得権集団の抵抗はそれほど大きかったのである。しかしいくらしつこい既得権集団とはいえ、歴史の流れに逆らうことは出来ない。いよいよ年貢の納め時が近づいている。