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第3回ESRI-経済政策フォーラム
(基調講演) 不良債権問題を巡って
基調講演では、三つの問題について話したい。一つ目は、なぜ不良債権問題が日本経済にとって問題なのか。つまり、不良債権問題がなかなか解決されないことによって、どういう問題が生じるのか、どういう副作用がでてくるのかについて、焦点を当てたい。二つ目は、なぜいまだに不良債権問題が大きな課題として圧し掛かっているのか。つまりなぜいつまで経っても、日本がこの金融システムの難病を抱えているのか。過去の対応において何がまずかったのかということについて反省してみたい。三つ目の問題は、不良債権問題を解決するのに、どうすればいいのかという問題だ。今の政府と金融界の対応で問題解決の目処が本当に立つかどうか、そうではない場合、何をすればいいのかについて考えてみたい。
まず、不良債権問題が日本経済にとって本当に大きな問題なのか、そうであればなぜ問題なのかということについて、考えてみたい。また、不良債権問題が景気回復の足枷になっているのか、つまり、経済がなかなか回復しない阻害要因となっているのか、それとも、なかなか回復できない病気経済の症状で、その本当の病原が別のところにあるのか。私は、両方の側面があろうかと思う。だから、二者択一的なことではなく、両サイドからアプローチすべきだと思う。つまり、不良債権問題がもたらす負の作用を除去すると同時に、自立型経済回復が出来ない他の阻害要因に対しても同時に政策の対応を取るべきだと思う。
さて、不良債権が直接もたらしている問題は三つあると思う。一つは、ごく当たり前なことだが、不良債権問題が大きな金融問題として存在しているということは、その国の金融システムが正常に機能できないということを意味する。なぜ正常に機能できないのかについては色々な側面があるが、その辺の議論はここで省く。金融システムが機能不全に陥っている状況が続くと、当然ながら、経済が低迷しがちだ。また、経済が低迷していると、不良債権がなかなか優良債権に転じないし、かえって新しい不良債権が発生しやくなり、一種の悪循環が出来やすい。だから、不良債権問題が金融システムの問題として発展した場合、早く不良債権問題を解決すべきなのだ。これは国際常識になっている。しかし、日本の場合は、不良債権問題を解決するのに、政策上、ものすごい時間を掛けている。常識外れの政策対応をやってきたといってもいいと思う。
さて、二つ目の問題は、日本が不良債権問題をいつまでも、抱えていると、国際経済社会での日本のイメージが悪くなってしまうことだ。「不良債権」は一つの経済現象に過ぎない。その現象がもたらす問題に対処しようと思えば、実はいくらでも対応できるはずで、決して克服できないような問題ではない。「不良債権問題」には言葉通り、非常に暗いイメージが付きまとう。「日本の金融システム」イコール「不良債権問題」と言う構図が何年間も続くと、国際社会の日本に対する信任が低下し、色々なところで副作用が出る。
三つ目の問題は、不良債権問題を長く引き摺っていると、本来進むべき金融改革のプロセスが遅くなって、色々な機会コストがかかるということだ。これはなかなか目に見えない部分だが、決して無視できない問題先送りのコストとして認識すべきだ。一例を挙げると、1996年に出来た「金融安定化五ヶ年計画」の中枢的政策として、預金保険機構で保証されていない半分強の銀行預金が政府によって全額保護された。そして、この政府による手厚い保護政策が二年間延長された(一年間は百パーセント、二年目は部分的に)。全額保護の政策が続く限り、金融ビッグバンで唱えられた「自己責任原則」が成り立てず、本当の競争原理が働く金融システムが成り立たない。
以上なぜ不良債権問題を緊急の問題として、対応すべきなのか、という私の考えを簡単にまとめた。
次に、二つ目の課題、なぜいままで日本が不良債権問題を解決できなかったのかについて、考察したい。三つの説明要因があると思う。ひとつは、不良債権の問題の大きさだ。ここでは、バブルとバブルの崩壊によって発生した不良債権に絞って議論したい。日本の場合80年代後半に発生した土地バブルが非常に大きかった事、又、90年代を通じて、進行し続けた資産バブルの崩壊(21世紀に入っても実は続いている)の規模も非常に大きい事を認識すべきだ。例えば、都市部の商業地価はバブルの時、三・四倍も上がったが、直近の公表数字によると、現在では1990年ピーク時の17%に下落している。これだけ大きな資産バブル発生とその崩壊が起こると、そこで出来る不良債権問題は個々の金融機関が対応できる次元をはるかに超えている。不良債権問題は、一種の国全体のレベルのマクロ経済現象として捉えるべきで、それ相応の政策対応が必要だったと思う。
この問題がなかなか解決できない二つ目の原因は日本の金融システムのあり方にある。日本の金融システムの場合、銀行預金が家計部門の主たる金融資産であって、家計部門に変わって、中間体として、その資産を運用する金融機関の主たる資産は企業貸し出し債権だ。銀行預金も銀行の貸し出し債権も両方特別な性質を持っており、そこには二つの重要側面がある。一つは、両方とも、元利は契約上その返済が保証されていること。もう一つは、その資産が取引きされる市場が存在せず、したがって、その資産の市場価値の情報(つまり資産価格)が一般的に存在しないこと。この二つの制度上の側面が重なって、「不良債権」の事後処理を複雑な問題にしている。元利が保証されているので、その裏付けとなっている資産の価値が目減りした時に、だれがどうやって、その穴埋めをするのかという厄介な問題が生じる。もう一つは、株式市場のようにリアル・タイムの資産価値の公開情報がないので、その「情報開示」が技術上、また、当事者のインセンテイブ上、大きな問題として生じる。
この問題解決が長引いている三つ目の要因として、政策対応のまずさが続いたことが上げられる。時間の制約があるので、どういうような政策失敗があったのかという細かい分析を省くが、一言でいえば、政策的対応がいつも後手後手だったし、問題の大きさと深刻さに比べて、不十分だった。今でも、そうだと思う。政府はもっと大局的、また戦略的な見地からこの問題に取り組むべきだ。本日の政策フオーラムがその辺の対応不足の改善に一助となれば、幸いだ。
最後に、これから、不良債権問題を解決するのに、どうすればいいのかという問題について、私の考えを述べて、パネルデイスカッションに臨みたい。またここでは、三つの提言をさせていただきたい。一つは、政府が至急新しい金融再生の枠組みを作り、不良債権問題の最終処理に向けて、主導権をとるべきだと思う。政府は不良債権問題の最終処理を二・三年以内に目指しているが、その問題の大きさと、今の経済情勢や金融再生仕組みを勘案すると、実は、これは出来る可能性が少ない。今出ている案を厳しく評価すると、「最終処理」どころか、またしても「問題先送り」の典型であると言えなくも無い。たとえば、四月の段階では、内閣は、主要行の破綻懸念先以下の債権を二年以内にオフバランス化するための「措置を構する」と決めたが、この前の経済財政諮問会議の基本方針を見ると、「このような取り組みは、パブリック・プレッシャーの下で、金融機関の自主的判断で進められることになる」という後退した表現になっていた。これは、この問題がまたずるずる尾を引く政策環境になりかねない可能性を持つ。政府は98年のように、みずから負った銀行預金の全額保護の責務を果たすべく最終処理が行われるように、その担保となる仕組みを作って、積極的にそれを動かすべきだ。その過程において、問題解決のために公的資金の投入を有効かつ大々的に行うべきだ。
問題解決のために二つ目に必要なことは、政府が金融システム建て直しのために責任を果たす過程の中で、なるべく、市場原理に乗っ取って、政策を講じるべきことだ。言い換えれば、政府が取る過去の不良債権問題解決方法が、将来目指している市場立脚型の金融システムの確立につながるように戦略的に施すべきだ。例えば、一例を挙げると、金融機関の国有化は預金者保護のための究極的な解決方法の一つだが、そうすることによって、金融システムの一角が「マーケット」から「国の管理下」に移るわけで、市場原理が萎縮する結果になりかねない。預金保護のために公的資金を投入するなら、例えば、金融機関からの不良債権の切り離しのため、又証券化のための仕組みの確立とそれに伴う処理コストのために当てた方が、「不良債権の最終処理」と「金融ビッグバンの確立」という二つの政策目標達成のためにつながるはずだ。
三つ目に、不良債権問題解決のために必要なのは、この一連のプロセスを側面支援する金融政策だ。三月の歴史的な金融緩和政策発表の時、日銀は不良債権問題解決の急務なことを強く主張したと同時に、デフレを阻止するための断固たる決意を表明した。そのために、思い切った措置として、新しい量的緩和枠組みを設定したが、日銀の独立の立場から、又、決済システムの番人という立場からも、政府が金融システム建て直しのために積極的に動いた時に、日銀も歩調を合わせて、この新しい仕組みを積極的に動かすべきだ。そうすれば、日本経済がこの長い閉塞のトンネルから早く、そして案外早い速度で出てくるかもしれない。