★阿修羅♪ > 国家破産43 > 525.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://ch.kitaguni.tv/u/5238/%bc%d2%b2%f1/0000292962.html
耐震強度偽装問題で世の中は大変なことに。この建築士の設計した建物だけが不安ではなかろう。もっと多くの建物が危険かも。
姉歯建築士の偽造設計で建てられたマンション・ホテルは、全国の物件に及んでいるという。
「責任の大元はあいつだ」とそれぞれが他者を罵り合っている。
今朝のTBSの「みのもんた」の番組で、設計・建築事務所に緊急アンケートを依頼、その結果を紹介している。
「現在話題になっている物件以外にも耐震偽造はあると考えるか?」
という問いに対して、「76件中40件があるだろう」と応えている。
「責任が一番大きいのはどこだと思うか?」
という問いに対しては「@姉歯建築士 Aイーホームズ(検査会社)・・・」の順位である。
今回はマンションやホテルといった被害者の数が集団であり、しかも大きな建物が周辺住民へ影響を及ぼすかもしれないと考えるから大きく取上げられた。これが個人の戸建だったなら、これほど大きな話題にはならなかったかもしれない。
以前紹介した島本慈子氏の『倒壊』にはこんな事例が紹介してある。
「阪神・淡路大震災で大阪市内の震度は4。震度4とは、気象庁震度階によると”中震”である。その揺れで家は傾いてしまった。丸田さんの家だけでなく、そのブロックがほとんど全部。最初は『もし震度7だったら家が倒壊して死んでいただろう、それを考えたら命びろいをしたな』と思ったという。しかし考えてみれば震度4だったのは偶然に過ぎず、大阪にも震度7の地震がくる可能性はあった。弁護士を訪ね、建築士に見てもらったら、なんと住宅ローンを組んで買ったばかりのマイホームは違法建築で、風速20メートルの風にも絶えきれない欠陥住宅だということがわかった。」
「欠陥住宅」についてのこんな記述もある。
「地盤沈下、傾き、振動、水もれ、ゆがみ、床の陥没、雨もり、下水の逆流、壁のひび、コンクリート基礎のひび、浄化槽の悪臭、上下の音のつつぬけ、洗濯機の排水を床下に垂れ流し、あるべき柱がない、風が吹くと建物が揺れる、湿気がひどく子どもが病気になった、家の傾きでドアが自然に開く・・・・」
「これらは『設計・施工・監理』という三つのプロセスに分かれるが、監理というチェック機能が働いていないのが実情」
阪神大震災では未曾有の大災害で仕方なかったと考えがちだが、実はその際に露呈したのが「欠陥住宅」であった。
以前紹介した島本慈子氏の『倒壊』『住宅喪失』を読まれるとよい。欠陥住宅の問題についても詳しくふれている。しかし、そこでは設計は確かでも施工段階での工事の手抜きといった住宅の問題である。大元の設計から「欠陥」であろうことなど、そんな恐ろしいことは想像もしていない。
この問題は当事者だけのものではない。社会の仕組みの信頼を覆すような取引が横行するならば、商行為そのものが成り立たなくなることを意味するのではないか?
昨夜夫にこんな話をした。
「建築業界だけじゃないんじゃない?どこも経費節減を厳しく言われるし、効率をもっとあげろって下にいくほど締めつけが強いから、どこかで手抜きや品質の格下げをするような仕事をするしかなくなってきてるでしょう?」と。
夫は船舶の技術者である。
「うちはその典型だな。コストを抑えろと言われ、稟議書に判を押してもらえない。判を押す、押さないでモタモタしていたら現場は動かない。船を欠航させるわけにはいかないから、部品の安いところを探して間に合わせで使う。純正のメーカー品を使えば50万円するところを代わりの物で賄って5万円で済ませる。だけど、それじゃしょっちゅう故障するし、何回も部品を交換しなきゃいけない。結果的にトータルで見れば損するし、非効率だ。だが経営者は目先の利益・損しか見えていない。現場叩き上げの経営者なら説明すればわかってくれるけど、汚れた現場を経験したことないエリート経営者ではわかるはずがない。安全のために大事なことだからと言っても『うるさい辞めさせるぞ』と言われるだけだ。大きな事故や犠牲者が出ないと気づかないのさ」
それは建物や船に限らず自動車や飛行機、食べ物や薬などにもいえるのではないか?そうそう原発のコンクリートも強度の低いものを使って偽装書類でごまかしたという内部告発があったな。
浜岡原発、施工段階で行われた虚偽
デフレで物やサービスの価格が安いと喜んでいるが、この安さが生まれる元は何なのか?と考えると、人件費(特に下部労働者)や素材や部品の質の低下や工法、原料の買い叩きや流通の効率化であろう。経営者は手にする利益を減らすことは考えない。こうした仕組みは上層の利益にはつながるが、労働者や消費者の利益は考えていない。安さの裏に隠されたものは『保障されない安全』である。
技術立国日本が、アメリカ式の無駄を省いた効率とコスト重視の自由競争にシフトした社会を選択した結果は、車・飛行機・電車・建物そして食物など人の命に直結したものの安全の身売りであろう。しかもみんなで共に生きる社会ではなく、金を持つものがより良く生きるのを支える社会のようである。金持ちは自分が住む家には金も安全の強度も惜しみなく注ぎ込めるであろうから。
しかし、このような社会を選んだのは我々である。
社会の中に効率化を求め、安さを求め、国が行うべき社会保障の肩代わりに持ち家を持つことで自衛する生き方を求めた。国が推進する持ち家政策は「自助努力を強制すること」だという。その政策さえもこぞって国民は支持している。持ち家に住むことが幸せな人生である保障はないのに、強迫観念のように持ち家志向は支持される。
本来低所得者が住める公営住宅の数を増やすことは、災害やこうした不測の事態に活用できるのであるが、政府の住宅政策は個人の問題と片付ける。こんな姿勢が今回のような個人の住宅問題への国の介入(行政が高い責任を負う検査制度)に距離を置いたのだと思う。
小泉政権の改革「民で出来ることは民で」という自由競争と自助努力の推進は、採算性と効率化しか考えない人命無視という形で現れた。これからもっといろんなものが出てくるかもしれない。
投稿者:nanaya at 21:50