★阿修羅♪ > 国家破産43 > 483.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
ただの庶民だが私にも言わせてほしい
大店立地法・規制緩和で商店街はさびれる一方
http://www.bund.org/opinion/20051125-2.htm
-------------------------------------------------------------------
大店立地法で客足が変わり街は寂しくなった
橘みどり
秋──祭りの季節だ。私の実家は、各駅停車しか止まらない私鉄駅の駅前で55年間、ラーメン屋を営んでいる。子どもの頃、私にとって商店街は、夏祭り・盆踊り・山車御輿・餅つきなど、季節の行楽の場所だった。とりわけ秋祭りは楽しみだった。セイヤ! セイヤ!という威勢のいいかけ声とともに進む御輿、太鼓やお囃子、汗だくの担ぎ手にひっかかる水しぶき。商店街全体に、高揚した気分が溢れていた。そろいの法被を着た馴染みの世話役たちが、行事の日は家業を奥さん連中に任せてサービスに励み、子どもにはお菓子やオモチャを振る舞い、大人たちには買い物券や福引券を配った。この日だけ使えるサービス券も、事前に各商店が配っていた。こういう日には、駅前商店街は歩くのも大変なほど賑わったものだ。
うちの商店街周辺は古い住宅街と大学がひとつ。渋谷・横浜の大商業地域に挟まれた穴場のようなところなのだ。昔も今も、商店街近くの大規模小売はスーパーマーケットがひとつだけで、ずっと共存関係にあった。地方都市では大規模小売に客を奪われて閉店した店舗が並ぶ「シャッター通り」と化した商店街も多いようだが、うちの商店街にはちゃんと毎日商売している店が並んでいる。
ならば、かつての賑わいそのままか。それがちょっと違うのだ。駅前の風景は、私の子どもの頃とはずいぶん変わってしまった。人通りもそれなりにはある。新しくて洒落た店構えは増えている。なのに一言で言うと街は寂しくなった。季節の雰囲気を演出する飾り付けが消えている。客集めの行事もほとんどなくなった。御輿も山車も杵臼も、ここ数年は倉庫に入ったままだ。商店街の世話役を買って出る人がどんどん引退し、後が続かなくなってしまったのである。
大店法は、大型店の営業時間や店舗規模の規制を通じて中小小売を保護する法律だった。それが大店立地法に変わり、客足が変わり地域の老いは進んでいった。商店街自体には、大店法廃止後も大規模店舗の進出はなかった。マックスバリューだのジャスコだのといった大型スーパーやショッピングセンターにとって、好立地ではなかったからだ。商店街では畳屋、靴屋に本屋、豆腐屋や道具屋の主人たちが年を取り隠居して、店舗や土地を売ったり貸したりした。そしていつの間にか、チェーン展開の飲食店やコンビニ、居酒屋が軒を連ねるようになった。かつては終電を過ぎると、駅前通りはうちのラーメン屋の明かりだけになった。今では一晩中明るい。深夜営業や24時間営業の店が増えたのだ。大店立地法や規制緩和で深夜営業も24時間営業も可能となったおかげである。そういう「新しく外からきた店」の経営者や雇われ店長は、自分の店舗にしか興味がない。アルバイト店員が多いからいろいろな当番事に人を出すことも嫌がる。商店街を一体のものとして演出していた「商店会」は、それやこれやで活動停止状態になってしまった。急行が止まる駅に、飲食店も入ったショッピングセンターが出店し、客足が変わったと父がこぼしている。
時がたって街の風景が変わるのは仕方ないが、商店街が「個々の店舗の列」になっていくのは寂しい。商店街には、毎日店を開けるご主人と挨拶を交わしたり、お気に入り商品を仕入れておいてくれたり、たくさん買った野菜を家まで届けてくれたりという温かみがある。うちのお客には、「チャーハンね。あと餃子、焼いといて」とか言い残して用足しにいく人もいる。買い物に出るお母さんが「ワンタン食べさしといてね」と子どもを預けていったりもする。そういう馴染みの安心感や便利さ、居心地みたいなものが、やがてはなくなるだろう。
「服を買うのは横浜か渋谷」という人であっても、お茶碗や色とりどりの塗り箸ばかりが置いてある店、おばちゃんがコロッケを揚げてくれる肉屋など、商店街の軒先を通り抜けるのは、ちょっとした娯楽だろう。それがマクドナルドやドトール、松屋やローソンばかりになっていくのは、味気なくはないだろうか。
私も妹もラーメン屋を継がないから、うちの店も数年のうちに貸店舗だろう。「世話役」システムがあればなと思う。桜木町の野毛商店街は最近、町づくりを勉強している学生たちに、商店街のいろいろな企画立案から実行までを、実習を兼ねて手伝ってもらうプロジェクトを始めたという。そういう試みって大切だ。地元の商店街が付近住民にとって便利で居心地のよいものであるならば、お客さんは戻ってくるのにと思う。
もう、うちの親父たちにはそんなエネルギーは残っていない。きっと小泉首相は、日本中の街にセブンイレブンしかなくなっても、ふるさと日本なんて言っているのだろう。
--------------------------------------------------------------------------------
進む居酒屋のファミレス化に個人商店は太刀打ちできない
篠田陽子
私の家は埼玉県のとある駅前で居酒屋を営んでいる。従業員は家族だけという小さな店だ。祖母の代から続いているので現社長の父が2代目で、現在家業を手伝っている兄がじき3代目になる予定である。油染みた縄暖簾をくぐると、カウンターには顔なじみの客が焼酎を飲みながらいつまでも周りの客と談笑しているような、そんなどこにでもある平凡な居酒屋だ。
だが2000年に駅前が大規模に開発されたのをきっかけに、情況が変化し始めた。駅前にデパートが建設され、市外からの来街者が増加してきたのに伴い、飲食店が雨後の筍のように続々と建ち始めたのだ。そのほとんどがフランチャイズのチェーン店だ。
1980年代から流行り始めたチェーンの居酒屋は、個人営業の居酒屋と比べて、値段が安く、品数も多い。それでか学生や若いサラリーマンたちを中心に人気がある。店舗も広く清潔感があるために、女性や家族連れでも気軽に入りやすい。まさに居酒屋のファミレス化だ。
駅前のデパートや映画館目当てに遠くから来た人達は、こぢんまりした個人経営の居酒屋よりも、初めての客でも入りやすい知名度の高いチェーン店に流れていく。ちいさな個人営業の店は太刀打ちできない。周りがチェーンの居酒屋やファーストフードだらけになってしまったせいで、我が家の売り上げは半分に落ちてしまう。
大店法廃止の影響で、一日中シャッターが閉まったままの商店街が増えているという現象が日本全国で見られる。その中には郊外の大型店にはない魅力で再び客を集めようと、商店街が一致団結して復興を目指しているところも多い。やる気のある商店街は、商店街独自のホームページを作成したり、イベントを開催したりしている。
しかし商店街の中にチェーン店が進出すると、街は人が途絶えることはないので一見賑やかなように見えるのだが、いきなり店同士の関係が希薄になる。ホームページも商店街ではなく各店がつくりアップする。客の多くはセブンイレブン、松屋、白木屋、和民などといったチェーン店に入っていく。最近は風俗店も参入し、外国人の客引きがあちこち立って通行人に声をかけまくっている。
東京都では新規参入するチェーン店も商店会への加入を求める条例が、自治体で相次いで制定されている。負担なく街路整備や集客イベントに「ただ乗り」されるのを防ぐためだ。しかしチェーン店の中には、「負担に応じる利点を示してくれないと入りかねる」と加入を拒否しているところも多いという。
駅前商店街へのチェーン店の出店規制などはできない。チェーン店に負けないためは、個々の店舗の創意工夫が必要だ。それでは我が家も何か対策をしているかといったら、現状では何もしていない。「今のままではまずい」という不安と焦燥だけが強まっているのだ。おかげで私は母から会社帰りに近隣のライバル店の中を監視し、何人ぐらい客が入っていたかを毎晩報告することを命令されている。報告したところで対策を練っているわけではないので、何が変わるわけでもないのだが、気が済むのならとざっとの数を教えている。
覗く度に思うのは、チェーン店と我が家の客層が全く違うことである。店に対して求めているものが違うからだろう。 我が家のような店では、どうしても店員と客の関係は深くならざるを得なくなる。母は常連客の家族構成から趣味趣向、携帯のメールアドレスまでよく知っている。父や兄は定休日には客と一緒にレジャーに行くなど「店員と客」以上のつきあいをしている。チェーン店では大学生のアルバイトだ。客が人生相談や身の上話などできるわけもない。しかしうちのような店が「お節介でウザい」と感じる人もいれば、「居心地が良くて安心できる」という人もいるのだ。どちらの店を選ぶかはその人次第だが、街は確実に変わっている。日本の政治って良い方向に向かっているのだろうかと思ってしまう。
--------------------------------------------------------------------------------
【解説】 大店立地法は日本の街を画一化させる
本紙編集部
「大規模小売店舗法(大店法)」は、中小小売業の保護を目的に1974年に施行された。500平方メートルを越す店舗面積を持つ大型店を対象とし、休業日数や閉店時間などを審査対象にして出店を規制するというものだった。この法律によって日本の商店街は守られていた。
しかし、1980年代から日米間の貿易不均衡が問題になり、1987年には対米貿易黒字が520億ドルに達した。アメリカはこれを日本の市場が閉鎖的なためだと批判、アメリカのふくれあがった貿易赤字を解消するため、日本の内需拡大を要求した。大型スーパーなどの地方進出を求めたのだ。その後10年間で段階的に大店法の規制が緩和され、2000年には法律自体が廃止された。
新たに制定されたのが「大規模小売店舗立地法」だ。「大店立地法」と呼ばれるが、店舗面積1000平方メートルを超す店舗を対象に、交通渋滞や廃棄物処理、騒音、駐車場などを審査内容にして開店を認める。
大規模駐車場を設置するには、駅前よりも広大な土地がある郊外が都合がよい。「大店法」と違い店舗面積や営業時間が関係ない。それで24時間営業の超大型店が可能になった。アメリカ型の大型スーパーに門戸を開放したのである。地方郊外を中心に大型店の立地はますます進み、その結果特色ある商店街が寂れていく現象が深まった。
大型チェーン店の「スクラップ・アンド・ビルド」と呼ばれる経営理念も問題だ。大型チェーン店は低価格販売を実現するために、店舗の建設にはなるべく資金をかけない。そのためあまり年数が経たないうちに店舗は老朽化し、客足は落ちる。そういう店はすぐに閉店し、閉店数を上回る新規出店で利益を確保することを繰り返すのだ。
これに振りまわされる地域社会はたまらない。日本商工会議所の取ったアンケートでは、大型店の閉店によって街のイメージダウン、失業者の発生、税収の減少などの問題が指摘されている。山形県が2001年に実施した県民意識調査では、回答者の61・2%が「郊外に商業施設ができ中心市街地の空洞化が進展した」と答えた。また商業地のあり方について、「クルマ利用に便利な郊外型大規模商業施設を誘致すべきである」との回答が13・7%だったのに対し、41%が「身近に買い物できる店舗や商店街が必要である」と答えている。
そうした声の中で大型店の規制に動き出す自治体もでてきた。2005年10月13日、福島県議会が、全国ではじめて大型店の出店規制につながる条例を可決した。郊外に大型店の出店が計画されると、県は市町村などに意見を聞く。地域の商店街に影響がある場合には計画の見直しが求められるという内容だ。
この条例に強制力はないものの、同じ悩みを抱える他の自治体から大きな注目を集めている。福島県には問い合わせや視察が相次いでいるという。
アメリカの要求で日本の内需拡大のために成立した大店立地法は、日本の景観を画一的なものにした。地元商店街を死に追いやってもいる。地域ごとの個性ある街作りは焦眉の課題だ。
大型店出店の規制と緩和の動き
1974年3月 大店法施行。対象店舗面積は500平方メートル以上。商工会らの意見を聞く商業活動調査協議会(商調協)の開催も必要に。
1989年11月 日米構造協議で米が大店法緩和を要請。
1991年12月 トイザらス1号店が出店。
1992年1月 改正大店法施行。商調協の廃止。
1996年6月 米政府、大店法見直し求めWTOに基づく2国間協議要請。
2000年6月 大規模小売店舗立地法(大店立地法)施行。対象店舗面積を1000平方メートルに緩和。
2004年9月 産業構造審議会と中小企業政策審議会の合同部会で法の見直し論議始まる。
2005年10月 福島県が「商業まちづくり条例案」を県議会で全会一致で可決。
--------------------------------------------------------------------------------
(2005年11月25日発行 『SENKI』 1196号5面から)
http://www.bund.org/opinion/20051125-2.htm