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十一日死去した米経営学者ピーター・F・ドラッカー氏は驚きであり、感動である。時代と社会の洞察力は最後まで鋭かった。新鮮な視点と深い洞察力にあふれる多くの著作には共通点がある。
それは、経済、社会の潮流を抽象的な数字ではなく「人間」を通して見続けたことである。ある問題で「エコノミストとしてどう思うか」と問いかけ、ひどくしかられたことがある。「私をエコノミストというのは誤解もはなはだしい。エコノミストは数字ばかり見るが、私は数字より先に人を見る」と。
一九七九年にカリフォルニアの自宅を訪ねた。七〇年代半ばに著した高齢社会への警鐘の書「見えざる革命」を読んだのがきっかけだった。だが、出版当初、この書は不評で、売れもしなかったという。当時、米国は圧倒的に若者社会だった。ベストセラーは「緑色(若者)革命」だった。しかし、二十余年、戦後ベビーブーマーたちは「グレー」になり、同書が突然読まれだした。
八十歳のときの著作「新しい現実」は、人口動態分析をもとにしてソ連の崩壊を洞察した。日本の人口問題についても昔から観察を続けていた。日本は高齢化に伴い年金問題などで大騒ぎしているが、氏は十数年も前から「人口変化の影響を最も早く、最も強く受けるのは日本だ。世界でもっとも長寿の日本が、最も早い定年制を敷いていることが最大の皮肉である」と警告していた。
氏をエコノミストと見るのは誤解であるが、ハウツー経営学者とみるのはいっそうひどい誤解である。彼が三十歳で出版(脱稿は二十六歳のとき)した処女作「経済人の終わり」は、いまだに世界で読まれ続けている。ナチズムへの強烈な批判の書であり、出版に数年を要したのは、ヒトラーが政権をとったなかで、出版社が尻込みしたためとみられる。
日本とのかかわりは、二十五歳の時に接した日本画への感動からだという。欧州大陸が狂気のナチズムに抵抗するすべもなく蹂躙(じゅうりん)されていくのを目の当たりにした氏は日本画を介して「アイデンティティーも失わず、根本的な改革を行った明治維新」を発見し感動する。
「明治維新は人類史上例のない偉業であり、この明治維新への探求が、私のライフワークになったもの、すなわち社会のきずなとしての組織体への関心へとつながった。したがって、日本は私の恩人だ」と言っていた。
その日本が「失われた十年」で悲観主義にとらわれているときには「日本は明治維新、さらに第二次大戦後の復興・成長と、二つの奇跡を抜本的な構造改革によって達成した。そうした社会の資質、柔軟性に日本人はもっと自信を持っていいし、もってほしい」というのが氏の恩人・日本へのメッセージだった。
いわば“押しかけ弟子”として、二十世紀有数の思索家ドラッカーの知と志、それと温かさに感謝をこめ、冥福を祈りたい。