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11月8日(ブルームバーグ):来年1月に退任予定のアラン・グリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長の在職18年間に、株式相場の値動きは著しい変化を遂げた。
数年ごとに強気相場から弱気相場、そして強気相場へと戻るおなじみのサイクルは1990年代にほとんど消えた。新しいパターンは「上昇、上昇、もっと上昇」というものだった。ただ後で分かったのは、弱気相場は永久に消滅したわけではなく、一時的に追放されていただけだったということだ。長期上昇相場は21世紀の初めについに下げ相場に道を譲り、弱気相場が復讐に出た。
しかし、グリーンスパン議長は米国の経済と政治、株価の上下サイクルの相互作用に関する投資家の思考を修正することに、少なくとも一時的には成功した。古くからある「政治的な株価サイクル」では、米大統領選挙年までの2年は株価が好調に推移し、選挙後2年は振るわないというパターンが形成されていた。
この論法は単純明快だ。「現職政権は選挙期間中、経済を良く見せようとする。不人気な決定は投票が開票されるまで先送りしがちだ。政治とはそういうものだ」と、ストック・トレーダー・アルマナックの中で、エール・ハーシュ、ジェフリー・ハーシュの両氏は指摘している。
投票後
政治的なサイクルは、選挙の翌年に最も鮮明に表れる。株式相場は1969 年(S&P500種株価指数が11%下落)と73年(同17%下落)、77年(同 12%下落)、81年(同9.7%下落)に痛烈な下げに見舞われた。こうした一連の動きが断ち切られたのは85年で、大部分は米金融当局で進行していた改革のおかげだ。当時、ボルカーFRB議長の下で当局は長期的なインフレ抑制策を始めていた。
85年にS&P500種は26%上昇した。ボルカー議長の後任として87年にグリーンスパン現議長が就任。選挙の翌年89年に同指数は27%上昇。93年は 7.1%、97年も31%の上昇を演じた。2001年に株式相場は選挙後のパターンに戻り、前年の10%下落に続いて13%下げた。
そして2005年はどうかというと、米国の主要株価指数はこれまでのところ、前年末とほぼ変わらずの状態だ。ただ、ほかの地域にはかなり明るい兆しがある。ブルームバーグが調査対象としている新興市場株式投資信託の運用成績は、年初から先週末時点で平均20%。新興市場債投信も米金利上昇に直面しながらも平均5.3%の運用利回りだ。
資産運用会社グランサム・マヨ・バンオタルーのジェレミー・グランサム会長は、「グリーンスパン議長の退任や、無事に引退したいという議長の願いが今年の異例の投機的な強さに何か関係しているようだ」と述べ、「このグリーンスパン議長の最後の年は、圧倒的な願望が選挙に向かって惰性で進み、波風を立たせない大統領最後の任期の4年目に似ている」と指摘した。
数値的判定
グランサム氏は、来年グリーンスパン現議長の後継者にバーナンキ次期議長が就任するのに伴い「リスク資産が下落スパイラルに陥る可能性がある」と悲観的にみている。
このごろは、グリーンスパン議長に対する称賛と批判があらゆる方面から聞かれる。このコラムでは称賛や批評を追加するよりも、議長が就任した1987 年第3四半期(7−9月)の終わりから今年第3四半期末までに、S&P500 種が年平均で10%上昇したことに言及することにしよう。
いや、それでもグリーンスパン議長はサイクルを壊してはいなかったのだ。就任当初に1987年の株価暴落に直面し、任期終盤の2000−02年には弱気相場を経験している。だが、在任期間中に指数が結局のところ上昇したことは、議長の実績に対する客観的でかなり肯定的な支持であると読むことができよう。
(カリアー氏は、ブルームバーグ・ニュースのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です)
原題:Greenspan Leaves His Mark on the Stock Market Too: Chet Currier (抜粋) {NXTW NSN IPME1X0UQVI9 更新日時 : 2005/11/08 14:16 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/commentary.html