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「日本の失われた10年」について、共産党さんにとってどのような認識なのだろうか? 
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投稿者 hou 日時 2005 年 11 月 06 日 15:24:57: HWYlsG4gs5FRk
 

(回答先: 株価1万4千円台に 4年半前の水準に戻る―山家悠紀夫さんに聞く(しんぶん赤旗)【小泉改革の危うさ バブル再来の恐れも】 投稿者 gataro 日時 2005 年 11 月 06 日 14:24:42)

新・日本の経営

1.再設計の10年

 本著(ジェームス・C・アベグレン著、日本経済新聞社発行)は、1958年に刊行され、日本的経営論の原点となった著書「日本の経営」の著者で、「終身雇用」という言葉の生みの親であるジェームス・C・アベグレンが、日本企業の過去数十年間の歩みを分析するとともに、これから進むべき方向を提言。半世紀におよぶ日本企業研究の集大成として書き下ろしたものである。著者は研究者として、経営コンサルタントとして、50年にわたって日本企業の経営をみてきた立場から、日本で成功している企業が実は、技術面では最新のものをとりいれ開発しているが、経営組織という面では日本的な価値観を維持している企業だということを明らかにしている。

 本書も「日本の経営」も日本にとって新しい時代の始まりを扱っているが、前回の調査でも今回の調査でも、主に同じ企業から学んだ点が分析の中心になっている。日本電気(NEC),住友電気工業、住友化学、東洋レーヨン(東レ)、富士製鉄(現在は新日本製鐵)の5社)の5社である。

 本書は、第1章 50年後の日本的経営、第2章 再設計の10年、第3章 社会の高齢化――日本経済の成長は終わるのか、第4章 日本的経営、第5章 空前の嵐に見舞われた企業財務、第6章 研究開発という必須の課題、第7章 企業統治――アメリカ型か日本型か、第8章 対日直接投資はほんとうに少ないのか、第9章 変化する国際環境、から構成されている。ここでは、2,4,6,7章を簡単に紹介する。

 第2章の「再設計の10年」では、過去10年間に日本企業が進めてきた再設計は、産業構造上の二つの問題を解決するためのものであったと述べている。第1の問題は、日本のほとんどの産業で企業数が多すぎること。第2の問題は、事業多角化の行き過ぎ。経済が成熟すれば、業界統合の動きが起こるし、どのような事業でも成功を収めるには、圧倒的な市場シェアを獲得するまで、その事業に資源を集中させる経営戦略をとる必要があるからだ。

 そして、ここ何年かは日本にとって「失われた10年」になり、日本経済は「停滞」しているとする見方があるが、日本経済は、産業の再構築と再設計をきわめて活発に進めてきたと指摘し、とりわけ複雑な事業再構築と再設計を進めてきた例として、電機産業をあげている。日本の総合電機メーカー9社は、2002年度には平均2千億円を超える特別損失を計上したが、戦略の完全な失敗に起因している。9社のすべてが、MOSチップ事業に参入していたが、どの分野でも世界市場で4位以下にしかなれず、3位以内にはなれなかった。同様な理由で、半導体、大型液晶事業、プラズマ・ディスプレー事業、ハード・ディスク・ドライブでも撤退と統合を余儀なくされた。このように大手電機9社が苦しんだのは、電機産業が全体として低迷していたからではない。過去10年にとくに大きな成功を収めてきた日本企業は、事業を絞り込んだ専業電機メーカー(ヒロセ電機、マブチモーター、村田製作所、ローム、キーエンス、ファナック、京セラ、TDK,日本電産)が多いと指摘している。

2.日本的経営

 第4章の「日本的経営」では、日本経済を担う企業が大きな成功を収めてきたのは、欧米の技術を吸収し、日本社会に特有の性格に基づく経営の仕組みと組み合わせてきたからだと述べている。1950年代にまとまた前著の「日本の経営」で、著者は日本的経営の主要な特徴を三つ指摘した。「企業と従業員の間の社会契約(終身の関係)」、「年功制」、「企業内組合」である。本書でも、その後パートや派遣社員が増えているが、日本の終身雇用制は変わっていないと述べ、終身雇用制の長所を指摘している。

 第6章の「研究開発という必須の課題」では、日本経済の将来は科学者と技術者の研究の成果にかかっていると次のように指摘している。特許審査の遅れや知的所有権の価値があまり認識されない、他国との科学技術交流が不足しているなどの問題があっても、日本の研究開発が他国とくらべて全体的に遅れていると結論づけるのは間違っている。だが、日本の将来にとって、世界クラスの研究開発によって新しい概念と新しい製品を着実に生み出していくことほど重要な点はない。

 第7章の「企業統治――アメリカ型か日本型か」では、企業統治に関する英米型の見方は、会社とは完全に株主の所有物だとする見方から導き出されている。すなわち、経営陣は会社の所有物である株主の代理人であり、経営の目的は株式の価値を高めることにある。著者は、アリー・デ・グースの、「実際には今日の世界には二種類の企業があり、その違いをもたらしているのは、事業を行う基本的な理由の違いである。第一の種類の企業は純粋に「経済的」な目的のために経営されている。これに対して第二の種類の企業は、「共同体」としての生命をいつまでも維持していくことを目的に組織されている(「企業生命力」から)」を引用して、二種類の企業があることを指摘している。ドラッカーも英米型モデルと日本・ドイツ型モデルの違いを指摘しており、「株主にとっての価値を最大限に高めるとする目標が最大の違い」だとしているとのことだが、アメリカの企業は経済的企業であり、日本企業は共同体である。

 著者も、この日本の仕組みは完璧ではない。企業の経営陣が総会屋の脅しに屈し、法律に違反して利益を供与する事件が相次いである。食品会社や製薬会社が法規に違反する事件が繰り返し起こっている。経営者が会社軽費で贅沢三昧にふけることもある。としながらも、「社内取締役、内部昇進、終身雇用、平等主義の報酬制度、企業内組合、仕入れ先との長期的な関係といった日本的な経営の仕組みによって、日本企業がきわめて優秀になっていることは否定できない。日本経済が苦しい再設計を進めてきた時期にも、大きな成功を収めた日本企業は、日本の経営の伝統をとくに大切にしている企業である。日本企業の強みと統治の仕組みが共通の文化をもつ緊密な共同体の発展によるものであることだ。これに対して、失敗しているのは、きわめ規模が大きく、事業が極端に多角化している企業である」と指摘している。

 また、日本企業の多くが進めてきた多角化には、大きな危険が二つあったとして、次のように述べている。「第一は戦略面の危険である。企業経営の成功は、自社が競争上の優位をもつ少数の分野に注意深く絞り込み、経営資源を集中して投じることで達成される。第二に、経営多角化によって、企業文化が極端に薄まっていく危険がある。最高の日本企業は、共通の企業文化をもっている。多角化した企業では企業文化が薄まっていく。専業企業と多角化企業とで、近年の業績がこれほど対照的なのは、多角化企業の経営がいかにまずかったかを示している」

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