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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu105.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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FRB議長 リフレ派のバーナンキ氏を指名 日本の
リフレ派の政界への影響力は、絶望的なほど低い
2005年10月26日
◆FRB議長 バーナンキ氏を指名
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000026-san-int
【ワシントン=気仙英郎】ブッシュ米大統領は二十四日、来年一月末で退任するアラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長(79)の後任に、大統領経済諮問委員会(CEA)のベン・バーナンキ委員長(51)を指名すると発表した。任期は四年で上院本会議で承認後、正式就任する。
次期議長候補にはフェルドシュタイン・ハーバード大教授や、ハバード・コロンビア大教授の名前も挙がっていた。だが、共和党員で、ブッシュ政権の一員としての経験もあるバーナンキ氏が最終的に選ばれた。
ブッシュ大統領は記者会見で、「バーナンキCEA委員長はすばらしい議長になることを確信している」と期待を表明。バーナンキ委員長は「グリーンスパン議長が確立した金融政策の枠組みを維持・継承することを優先課題としていく」と経済政策に大きな変更がないことを強調した。
バーナンキ氏は早くからエコノミストとして頭角を現し、二〇〇二年から今年六月にCEA委員長に就任するまで、FRB理事を務め、金融政策にも精通している。
CEA委員長就任後は、ブッシュ政権の減税政策や市場経済重視の路線を積極的に支持、金融市場からも政権とのバランス感覚が評価されてきた。
(産経新聞) - 10月25日15時21分更新
◆第6回 リフレ派の栄光と苦闘 野口旭の「ケイザイを斬る!」
http://hotwired.goo.ne.jp/altbiz/noguchi/031118/textonly.html
●リフレ派の勢力圏―学界、論壇およびマスメディア
すでに明らかであろうが、これまで描写してきた絶望的状況とは、現在のリフレ派の状況そのものである。いささか自虐的ではあるが、その絶望さの度合いを、ここで客観的に確認してみることにしよう。ただし、絶望的状況といっても、リフレ派が直接に影響を及ぼしうる言論の世界と、直接的には影響を及ぼせない政治の世界とでは、相当に様相が違う。したがって、この二つの世界は分けて考える必要がある。また、言論の世界といっても、アカデミックな専門家の世界としての学界、専門家の政策的主張の場としての経済論壇、そして専門家の世界と一般社会の接点としてのマスメディアでは、やはりそれぞれ様相が異なる。ここではまず、この三つの言論世界の現況から確認しておこう。
ところで、リフレ派といっても、具体的な政策提言の次元では、さまざまなバリエーションがある。したがってここでは、やや便宜的ではあるが、リフレ派を「日本経済の長期低迷からの脱出に関して、決定的に重要なのは金融政策であるとする立場」と定義しておくことにする。
まずは、学界である。学界といってもいろいろなレベルがあるので、最初に「世界の学界」を見てみよう。ここでは、状況は希望に満ち満ちている。端的に言って、数多くのノーベル賞受賞者を含む第一線のマクロ経済学者の中で、上の意味でのリフレ派に属していないのは、思いつくところでごく一人とか二人にすぎない。逆にいえば、それ以外のすべてはリフレ派である。
上記『エコノミスト・ミシュラン』では、そうした海外リフレ派経済学者の代表として、ポール・クルーグマン、ベン・バーナンキ、ジョセフ・スティグリッツ、ケネス・ロゴフ、アラン・ブラインダー、ラルス・スヴェンソン、バリー・アイケングリーンらに言及している。しかしながら、これらは氷山の一角にすぎない。特筆すべきは、故ジェームズ・トービンとミルトン・フリードマンあるいはロバート・ルーカスといった、現代マクロ経済学の各潮流を代表する長年の論敵同士さえもが、この局面では「リフレ派」に含まれてしまうという事実である。その意味では、リフレ派の立場は、世界の学界レベルではすでに十分すぎるほどの合意を得られたものなのであって、完全に「決着済み」なのである。
その海外の専門家にとって、日本の金融政策論議がいかに奇々怪々なものかは、現在はアメリカFRBの理事を務めるベン・バーナンキが、日銀の金融政策決定会合での議論(毎回英文でも公表されている)を評して、「中原伸之氏(前日銀審議委員)の発言を除いてすべてジャンク」と述べたことからも窺える(高橋洋一「ゼロ金利下でも有効な金融政策」岩田規久男編『まずデフレをとめよ』日本経済新聞社)。このレベルにくると、反リフレ派は、具体的な反論もできずに、「他人の議論の援用ではなく自分の頭で考えるべきだ」とか、「日本の風土にあった経済学でないとだめだ」といった怨嗟の抗弁をわずかに試みるのみで、はたから見ても惨めである。
しかしながら、学界といっても、国内に眼を移すと、様相は若干異なってくる。アカデミックなマクロ経済学者の中にも、反リフレ派の大物や中堅を何人かは見い出すことができる。こうした国内と海外の差異が、何が原因で生じているのかは、それ自身として追求するに値する、興味深い問題である。
とはいえ、ここでもまだ、状況はまったく絶望的ではない。『エコノミスト・ミシュラン』の「エコノミスト主張別マップ」を見れば明らかなように、リフレ派の中には、岩田規久男、原田泰、深尾光洋、伊藤隆敏、伊藤元重、星岳雄、浜田宏一、竹森俊平、岩井克人、清滝信宏、新保生二、宮尾尊弘といった、海外にもよく名を知られた、日本の代表的マクロ経済学者、エコノミストが網羅されている。この顔ぶれを見れば、リフレ派には、日本を代表するマクロ経済学者の相当部分が含まれているといっても、決して言い過ぎにはならないであろう。
しかし、専門家の世界をもう少し拡げて、『エコノミスト・ミシュラン』の主な論 評対象である経済論壇までをも含めると、勢力分布は大幅に変わってくる。そこでも まだ、上記のようなリフレ派の経済学者およびエコノミストの発言は、きわめて活発 である。しかし、野口悠紀雄、榊原英資、木村剛、小林慶一郎、金子勝、斎藤精一 郎、池尾和人といった各氏らに代表される反リフレ派あるいは構造改革派陣営と比較 すれば、その露出の度合いは著しく狭まる。
さらに、「お茶の間」に直接その声が届くようなマスメディアにまで降りていくと、状況はまさに一変する。そこではもはや、上記のような反リフレ派、構造改革派エコノミスト以外の姿を、ほとんど見ることはできない。
おそらく、この領域で唯一リフレ派といえるのは、ほぼ森永卓郎氏だけであろう。若干微妙なのは、リチャード・クー、植草一秀といった、財政派の論者たちの位置付けである。彼らは確かに景気重視派ではあるが、同時に、金融政策の意義を完全に否定してはばからない反金融緩和派でもある。したがって、上に定義した意味でのリフレ派には入らない。また、森永卓郎氏の場合も、人々の共感をもっぱら集めているのは、その親しみを呼ぶキャラクターや、ビンボー主義を説くその生き方論の方であって、リフレ論それ自体は、マスメディア的には必ずしも売り物ではないのかもしれない。
●リフレ派の無勢力圏
既述のように、経済学の役割の一つを経済政策の実現に求めるのであれば、「政治」との関わりを避けて通るわけにはいかない――それが経済学者の立場としてはいかに忌むべきものであったとしても。そのことは、リフレ派にとってもまったく同様である。
ところが、上のマスメディアの現況から容易に類推されるように、リフレ派の政界への影響力は、絶望的なほど低い。それは、構造改革派や反リフレ派の学者やエコノミストが、現在の小泉政権に対して持つ圧倒的な影響力と比較すれば、ほぼゼロに等しいと言っても過言ではない。
もちろん、自民党内には、亀井静香・元政調会長に代表される、マスメディア的には抵抗勢力と呼ばれる反小泉勢力が存在している。しかし、彼らの関心はもっぱら財政出動であり、その点で上記のリチャード・クー氏や植草一秀氏らとはきわめて高い親和性を持つものの、リフレ派との親和性は決して高くない。むしろ、抵抗勢力の中心人物であった野中広務・元幹事長や古賀誠・前幹事長らが、財政出動への障害になるとの判断から、インフレ目標導入論者であった中原伸之・前日銀審議委員の日銀新総裁就任に強く反対し、結果として現・福井総裁の誕生を後押しした経緯からも明らかなように(「日銀新総裁 揺れた人選、最後は本命」『読売新聞』2003年2月25日朝刊)、彼らは現実的には、現小泉政権以上に反リフレ的な性格を持っている。少なくとも、竹中平蔵・金融・経済財政担当相や山崎拓・自民党前幹事長といった、小泉政権の要人の一部は、より一層の金融拡張やインフレ目標導入の必要性を繰り返し述べてきたのである。
こうした政界の無リフレ派的な状況は、野党も含めた政党レベルでもほとんど変わらない。本年11月の衆議院選での各党マニフェストを見ても、景気対策の項目において「デフレ克服」を明示していたのは、公明党と保守新党のみであった。また、わずかに公明党のみは金融政策に言及し、「物価安定についての緩やかな目標を、政府と日本銀行が政策協定や宣言という形で合意する」といった、リフレ派の立場とかなり親和性の高い宣言を掲げていた。しかし、現状での二大政党である自民党と民主党のマニフェストについていえば、そこには、景気対策といいながらも、マクロ政策には言及すらされていなかったのである。
各議員レベルにまで降りていっても、上記のリフレ派の定義にあてはまると思われる政治家は、筆者の知る範囲で、山本幸三・前自民党衆議院議員や小沢鋭仁・民主党衆議院議員など、ごく数えるほどしかいない。両者とも、日本の政治家の中では例外的な経済学的バックグラウンドの持ち主であるから、これは文字通り特例と考えるしかない。山本幸三議員と速水優・前日銀総裁との国会でのやりとり(第154回国会、衆議院財務金融委員会、2002年4月17日)などを見れば、この議員と総裁のどちららが金融政策というものをよく知っているかは自明であろう。ところが、その余人をもって代え難い山本議員も、この11月の衆議院選では落選してしまったのである。リフレ派にとっては、痛恨の極みである。
(私のコメント)
最近の新聞などでは消費税が10%とか15%とかの数字が飛び交っていますが正気の沙汰ではない。株式日記の表紙において消費税と景気の関連について載せていますが、消費税の導入によりバブルが崩壊して、さらに3%から5%にしたとたんにさらに景気は落ち込んでいる。それが二桁の消費税になれば日本経済に致命的な打撃を与えるだろう。消費税がない頃は60兆円の税収がありましたが消費税を導入した結果が税収は40兆円に落ち込んでいる。
その点においてはアメリカが先進国では唯一ヨーロッパ型の消費税を採用していませんが、だから消費も活発で景気も良くてバブルだと言われるくらいなのに、ヨーロッパは慢性的な景気の低迷と二桁の失業者で苦しんでいる。日本では景気と税制の関連を指摘する人はほとんど居ないのはなぜなのだろう。株式日記では景気の回復こそが財政再建の正しい方法であると最初から主張していますが、税制をバブル崩壊以前に戻せば景気は元に戻るとも書きました。
消費税がいかに景気に悪影響を与えているかは小売業をしている人ならば一番切実に感じている。3%から5%に消費税が上がったときにも小売値段に転化できずに実質的に値下げで対応したところが多い。このような状況で増税すればデフレを拡大するだけであり反リフレ政策をとることになる。ところがアメリカではリフレ政策が金融政策の主流であり、グリーンスパンFRB議長の後任にはリフレ派のバーナンキ氏が選ばれた。
ところが日本では構造改革派の天下であり、財政再建のためには財政支出のカットと増税政策のオンパレードで、これではデフレにならざるを得ない。テレビに出ているエコノミストではリフレを主張しているのは森永卓郎氏ぐらいで同じリフレ派の三和総研の原田氏はテレビでは見かけなくなってしまった。財政支出派の植草氏はスキャンダルで抹殺されて、竹中平蔵大臣に連なる構造改革派がメディアを占拠してリフレ論は全く論議からはずされてしまった。
学会では意外とリフレ派が多いのですが、それが日本の政策として反映されないのはなぜなのだろうか。小泉首相はもちろん構造改革派でありだからこそ竹中氏を大臣として登用しているのですが、小泉氏の持論である郵政の民営化と構造改革が一体である以上、リフレ政策は邪魔な存在でしかない。しかし郵政の民営化法が成立したのだからそろそろリフレ政策に踏み込んで景気回復第一でやってほしいものだ。
景気対策としては減税を行いましたが主に高額所得者と法人の減税であり累進税をフラット化させて財政赤字を大きくしてしまっている。株式日記の表紙に載せているように財政赤字と景気回復を同時に行うためには、消費税の廃止と累進税率の強化が必要不可欠の政策であり、消費税の増税と所得税制のフラット化ではデフレがひどくなるだけだ。この結果失業者が増えて財政支出が増えて赤字はより大きくなるだろう。
◆クリントン政権が本格的経済成長と財政再建の同時達成に大成功した理由 吉越勝之
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/456.html
日銀の金融政策会合でもそろそろ金融の緩和政策も転機が近いというアドバルーン記事も見かけるようになりましたが、一般国民の可処分所得が減少したままでは景気は回復するはずがない。20歳代の若者の所得はバブルの頃と比べて100万円も減少してしまった。正社員からフリーター化してしまったからですが、最近の企業業績この回復は正社員から派遣社員に変わったからに過ぎない。一番金を使う若者に金がないのだ。
最近の若者は無気力化して政治に無関心で選挙にも行かず、年金なども支払わない。経済にも無関心だから小泉竹中内閣が何をしているかも分からない。2ちゃんねるの経済版を見ても経済政策の無関心ぶりが伺えますが、フリーター生活やニート生活が長く続くと無気力化して思考能力もなくなり、将来は生活保護に一直線だ。そんな若者が数百万人も居るのに親の高齢化で面倒も見切れなくなってきている。すべて政治が悪いから日本はこうなってしまったのだ。