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皆さんは教育課程のどこかで、第一次産業革命、あるいは1801年の蒸気機関の発明を学んだと思います。その当時、一人当たりの国民所得は、どの国においてもさほど格差はありません。大半の国は農業国であり、牛馬の力を使い、似たようなテクノロジーを用いていました。
しかしながら蒸気機関が発明され、8,000年続いた農業時代は終末を迎えた、と歴史家は述べています。革命の中で豊かになりたければ、産業ゲームに参加せざるを得ない、とアピールするわけです。
産業革命が始まって30年で、英国において貴族階級よりも、産業家、実業家の方が豊かになり、のし上がったのです。産業革命により英国は、百年後の1900年までに大英帝国を築き上げました。
さらに経済学を学んだ方であれば、第二次産業革命についてもご存じだと思います。この産業革命は偉大なアイデアと素晴らしい発明とに基づくものでした。
この偉大なアイデアは、ドイツで生まれました。ドイツにおいて、化学工業が興され、産業におけるシステマティックな形の研究開発、それを支える投資手法が編み出されたのです。
19世紀に英国が産業界のリーダーであった当時、いわゆる工業ティンカー(鋳掛け屋)に頼った技術革新が行われていました。例えば、溶鉱炉にいろいろな化学物質を試したような、理論に拠らない偶然の発見をしていたのです。英国には優れた科学者が多数いたのですが、産業技術における研究開発という分野で主導権を握れませんでした。素晴らしい発明というのが電力です。電力の発明によりいかにわれわれの生活が変わったのか、実は非常に分かりにくいのです。なぜなら、今生きているわれわれは、みな電力が発明された後に生まれているからです。
安価な電灯が普及したことにより、人々の睡眠時間は2時間も短くなりました。また最近の『ビクトリア時代のインターネット』という本では、インターネット以上に電報の与えた影響は大きい、と主張しています。電報の速度は、一般人がタイプライターを打つ上限である1分あたり40ワードであり、インターネットがそれ以上のスピードを誇っていても、人間の発信できるスピードに変わりはないからです。
技術のシナジーによる第三次産業革命
そして、2000年を振り返って、未来の歴史家は、この年に第三次産業革命が起きたと記すでしょう。
われわれが新たな産業革命に直面しているといえるのは、主要な六つの分野でテクノロジーの飛躍的な進歩が見られたからです。主要な6分野のテクノロジーとは、マイクロエレクトロニクス、コンピューター、電気通信、デザイナーマテリアル、ロボット工学、そしてバイオテクノロジーです。われわれが体験している革命は、インターネット革命あるいは情報革命にとどまらず、これらの分野の革新が組み合わされた、もっと大きな革命なのです。
身近な例では、医療における手術で、レーザー・メス、断層写真、内視鏡など、実に広範な技術が応用されています。マイクロエレクトロニクスと比べてバイオ分野の重要性が高いと思いますが、重要なことは、分野間のシナジーが高まったということです。1995年に始まったヒトゲノム解析は、当初想定していた11年の半分以下の期間で完了しました。マイクロエレクトロニクス、ロボット工学、さらにレーザー技術などの発達によって、解析のスピードが加速されたのです。
この六つの主要なテクノロジーを用いて、いわゆる知識経済(知識に基づく経済:ナレッジ・ベースド・エコノミー)が生まれました。ビル・ゲイツは自ら知識経済とは語っていませんが、彼こそが知識経済のシンボルです。
人類の歴史が始まって以来、世界の富豪たちは、土地、金、石油など、何らかの天然資源の所有者でした。1996年に、ビル・ゲイツは世界の富豪の頂点に立つのですが、彼は一体何を所有しているのでしょう。彼は資源などを所有するのではなく、知識というものをコントロールしているのです。これが新しい変化のシンボルである彼の特徴です。
本当にわれわれは革命のただ中にいるのだろうか。どうやったら、そのことを確かめられるのでしょう。革命であるかどうかの定義は、すべてが変わるのかどうかにかかっています。すなわち、事業の在り方から、政府、哲学、宗教、国際社会の在り方に至るまで、人々の生活すべてが変革にさらされる時、革命が起きているのです。
電気と内燃機関とを比べてみましょう。1920年代に内燃機関が発明され、現在の自動車産業を生み出しました。自動車産業は確かに重要な産業ですが、自動車がなければ生活に困るわけではありません。より速度の遅い蒸気機関の乗り物、あるいは電車の利用が、もっと普及するかも知れませんが、自動車でなければという必然性はないのです。
一方、電気を使わずに、現在の生活をできるでしょうか。例えば論文を書こうとしても、電子機器を使わずには、もはや1行も書けないと思います。従って、歴史家は、電気の発明と利用は革命的な出来事であったが、内燃機関の発明は重要な発明にすぎない、と述べるのです。
小売業は消滅するのか?
さて、50年後に歴史家が現代を振り返って、どう述べるでしょう。第一次産業革命により、農業の時代が終焉したように、第三次産業革命によって、小売業の時代が終焉したと記述するのでしょうか。
5,000年前のエジプトにおいても、お店に品物を並べる陳列棚があり、店員と会計係がいて、お客は買ったものを家に持ち帰る、という今とまったく同じ光景が見られました。現在の革命が90%革命であり、消費のほとんどが電子商取引にシフトすれば、都市の風景、交通の流れ、雇用環境すべてが変わり、5,000年の歴史を誇る小売業の時代は終焉を迎えるのです。そうなるのか、あるいは結局10%革命にとどまり、電子商取引が販売ルートの一部にすぎないままに終わるのか、ビジネスマンの皆さんは賭けをしなくてはならないのです。
こうした疑問に対して、2種類の専門家が存在します。まずエコノミストに聞くと、90%革命の真っただ中にいると答えるでしょう。経済学の教科書には、消費行動というのは、必要とするものを最も安く調達する手段である、と書いてあるからです。従って、90%の消費行動は、インターネットを通じて行われ、高価な土地も建物も店員もいらない、となるのです。
一方では、10%革命にすぎないのだ、と説く専門家もいます。彼らは社会学者と呼ばれています。彼らは、消費行動を行う人々は、経済的な価値だけでなく、人と出会いその行動を楽しむことを重視していると言うのです。人間の習性に賭けるのか、はたまた経済合理性に賭けるのか、という選択になります。動物でいえばオットセイ、アザラシのようにお互いに重なり合って暮らすのが好きだという、われわれの嗜好は否めません。米国の小売業にも、エンターテインメント・ショッピングという新業態も生まれています。本屋はただ本を売るだけでなく、コーヒーバー、ラウンジ、ホールを設け、暖炉で火をおこしているところまで現れました。
同時に、コストを節約しようとする業種もたくさんあります。たとえば自動車産業では、電子的なサプライ・チェーン・マネジメントの利用で1,000ドル、代理店を使わない直販で1,000ドル、受注生産で1,000ドルを、それぞれ1台あたりで節約できると目論んでいます。明らかに自動車産業は社会学者のいうことに耳を貸すとは思えません。
ウォルマートが出した結論
米国最大の小売業、ウォルマートは2000年10月に、自社のウェブサイトを閉鎖しました。在来手法だけで小売業を続けることを決め、賭けに出たのです。
同時に、ウォルマートに品物を納入する供給業者が、一つでも製品をインターネットで販売したら、即日「出入り禁止」となることも発表されました。
同じような性能のパソコンを、コンパックは小売業を通して売り、デルはインターネット直販で売っています。どの製品の供給業者も、これら二つの道のどちらかを選ばなければならなくなったのです。
なぜウォルマートのように成功している企業が、このような結論を出したのでしょう。その理屈は極めて明解です。ウォルマートは全米に4,500の店舗を持ち、85万人の従業員を雇用しています。インターネット販売が大成功を収めた場合、店舗と従業員を整理するために必要なコストと時間は膨大なものになり、結局インターネットで得られる利益を上回る損失が見込まれるからです。
90%革命の業界、10%革命の業界
インターネット利用の物販という側面で、90%革命と10%革命を比較してみましょう。インターネットを使った場合、直販であることから値段が下がります。さらに、アマゾン・ドットコムで本を選ぶ方がチョイスは増えます。供給業者の方でも、ウォルマートと利益をシェアする理由を見付けられない業者もいるでしょう。
では逆に10%革命の立場では、どう考えるのでしょう。簡単に言えば、人間はにおいを嗅ぎ、眺め、触りながら物を買いたいのだ、と考える立場です。米国におけるカタログ販売のピークは1913年で、まだ自動車の普及が進んでいない頃でした。自動車による人の移動が広がるにつれ、通信販売のシェアは、ピークの20%から現在の1%にまで下がったのです。この論法でいけば、インターネット利用のカタログ販売を楽観視することは困難なのです。
結論を言えば、ある業界では90%革命であり、ある業界では10%革命なのです。例えば航空運輸のチケット販売、パソコンやソフトの販売などでは、十分に90%革命が見込まれますし、金融サービスでもすでに16%がインターネット経由でビジネスが行われています。
それに対して、高額のスーツを買う場合は、やはり店舗にでかけて品物に触れるのが主流だと思います。ブランドもののお店では、お客は王様のようにもてなされ、品物を買うというだけではない体験が貴重なのです。また、一部の人にとって、大事な人とのコミュニケーションは従来の電話でなければならず、電子メールで済ますわけにはいきません。
それでも、業界によっては90%革命なのか、10%革命なのか、十分に確信を持って決断できないでしょう。では、さらにどう考えたらよいのか、お話ししましょう。
オールド、ニューエコノミー?
よくニューエコノミーと、オールドエコノミーという区分をする人がいますが、これは良い区分とはいえません。オールドエコノミーに位置付けられた業種でも、ニューエコノミーを象徴するいろいろな道具を使っているのです。古い業界も含め、すべての業界で新しいビジネスモデルを作り出していかなくてはいけないと思います。
歌を歌ってお金をもらうという時代から、音楽産業は非常に長い歴史をもっています。この音楽産業は、3年後に一枚のCDも売れないという、悲惨な運命に直面するかも知れません。
音楽の場合、著作権に対しては対価を払わないとだれもその音楽を聴けない、という形で法的に守られています。しかし、法的に与えられている著作権を、実際に行使する方法が急速に見出だせなくなっているのです。
コンピューターや自動車などの製造業では、最大の利益を稼ぎ出すポイントが大きく移動しています。かつてコンピューターの最終組み立ての業界で最大の利益を上げていたのが、現在ではインテル、マイクロソフトあるいは部品メーカーによって大きな利益が上げられています。自動車においては、車のリース業がトップ、中古車販売がその次となっています。新車の製造販売は、これらの業界のために活動しているようなものです。
もはやどの段階で最大の利益が上がるのか見当もつかないため、合併が繰り返され、会社を解散したり、分割したりしており、それに連れて株価はめまぐるしく変動しているのです。
経済とは関係のない軍事の世界でも、新しい道具が導入されたことにより、戦力に対する評価において大きな変動が見られます。ハイパーパワーという新しい軍事用語がその一例で、フランスで生まれたニュー・コンセプトに基づいています。
従来のスーパーパワーは、核戦力を保有し、それを行使する能力をもつ国を意味するのに対し、衛星技術を駆使して敵国のコミュニケーションをコントロールする能力をもつ国を、ハイパーパワーと呼ぶのです。
現代のハイパーパワーに相当する国は、敵国衛星の機能を停止させ、軍事用の通信をすべての戦域で掌握できます。フランスは、ハイパーパワーの米国による独占を強く警戒しており、これに対抗しようとしているのです。
既に敵味方の識別も発信しているコードに頼っているため、戦争のやり方も一変してしまいました。
一方では、ニューエコノミーの側にあると見られている産業にも淘汰の嵐が吹き荒れています。1年前、エコノミストは、なぜドットコム・カンパニーがあれほど多くの市場価値を獲得できたのかと考えておりましたが、現在かれらが考えていることは、ドットコム・カンパニーの企業価値がなんであんなに下がってしまったかということなのです。歴史を見れば、両方とも予期できたことなのです。
1920年代当時、 100社の自動車会社がありました。それが米国では、1950年代に3社に減ってしまいます。その後65年間、このビッグスリーが世界の3大メーカーとして君臨したのです。
新しい産業が生まれた時は、投資する人々にとってくじ引きをしているようなものなのです。現在米国で 147社のオンライン・ブローカーがありますが、おそらく30年ぐらい先になると、やはり3社しか生き残れないでしょう。
新しい産業革命の特徴
100年前の世界は、わずかな大国によって世界中が分割され支配されていた、という点では現代よりもグローバル化されていたといえます。今日、グローバル化は、テクノロジーによって生み出され、国家主導型から企業主導型へと、性格を変えています。
国家、政府のコントロールが効かないというケースは、台湾による中国本土への莫大な投資、あるいはロシア危機で破綻した米国のロングターム・キャピタル・マネジメントなどが、グランド・ケイマンに籍を置く企業を介して、成り立っている例を見れば明白です。政府と企業との関係も、イスラエルに誘致されたインテル、ブラジルに誘致されたフォードのように、公的資金が政府から企業に流れていることに象徴されています。
そして今日の革命を生きる企業にとって、選び得る道は大規模なグローバル企業か、あるいは小さなニッチ・マーケットをねらう企業、という両極端のどちらかであり、中間的な選択はないのです。
そこで、この新しい世界を生き残るために何が必要か、生き残りをかける企業活動の特徴を見ていきましょう。
グリーンスパンは次のような質問に対し、コメントを述べたことがあります。すなわち、なぜ第三次産業革命は、ヨーロッパでなくアメリカで起きているのかと。彼の答えは、アメリカでは簡単に解雇することができるから、というものでした。シュンペーターは、革命の真っただ中において「創造的な破壊」が起きると言いましたが、今日の革命ではむしろ「破壊的な創造」が起きていると思います。
さらに、何の保証もない新しい事業に、次から次へと取り組む必要があります。「前向きに倒れる」という言い方に現れているように、失敗をいとわない姿勢です。
クリエイティビティを歴史に学ぶ
今日の革命を生き抜くため、クリエイティブであることがなによりも重要です。歴史の例を見ながら、どうすればクリエイティブな条件を得られるのか、考えましょう。
まず19世紀のロシアです。歴史上、最も多くの天才が同時に生きていた、まれな例です。作家では、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、ツルゲーネフであり、音楽家では、ストラビンスキー、チャイコフスキー、カデンスキー、マレウィッチ、リムスキー、コルスコフであり、また科学者であるパブロフ、化学で最初のノーベル賞をとったオストワルド、幾何学のロバチェフスキーなどです。まさに滅びようとする混沌の帝国にあって、これだけクリエイティブな状況が生まれたのです。
要するに、クリエイティビティを育むためには、秩序と混沌とのあるバランスが必要なのです。秩序があり過ぎるとクリエイティビティは生まれませんし、混沌に過ぎるとクリエイティビティを活用することができません。
次の例は、11世紀の中国です。中国はヨーロッパで起きた第一次産業革命に必要なすべての技術を手に入れていました。火薬、磁石、造船技術、工作機械、資源掘削技術のすべてを手にしていたにもかかわらず、当時の皇帝は、これらの技術が秩序を乱すと考え、さらなる技術革新を許しませんでした。
近代のアメリカではどうでしょうか。名経営者として評判の高いGEのウェルチにも、非難されるべき点があります。彼は最もクリエイティブであったラボラトリーをつぶしてしまい、GEは20年間、何も目新しいものを作り出せませんでした。
最後に、私から若干の提案を紹介し、お話を終えたいと思います。
チーフ・ナレッジ・オフィサー
企業は、若手の才能豊かな人材を「チーフ・ナレッジ・オフィサー(CKO)」として、登用すべきだと思います。CKOは、自社がテクノロジーを作るのか、買うのか、あるいは売るのか、を決めなければなりません。
しかしCKOは、研究担当の役員ではありません。技術の開発は、技術担当の役員が考えればよいのです。例えば、アップルのスティーブ・ジョブスは、自分たちの開発した技術を売りませんでした。中核のソフトウエアを公開しませんでした。このことが、彼にとって最も愚かな判断でした。彼が技術を売り、公開していれば、ビル・ゲイツのような存在になれたはずです。
優秀という点では同じ技術ですが、20年前に売っていれば 1,200億ドルを稼ぎ出したものが、現在の価値は20億ドルにすぎません。
このCKOの仕事は、テクノロジーに対してベンチマーキングを行い、グローバルな視野に立って、自社のテクノロジーを評価することです。またCKOは、自社のテクノロジーについて、全社的にあまねく習得されているかどうか、を確認しなければなりません。多くの企業において、テクノロジーに対する態度で、部門間の不統一が見られます。
さらにCKOには、テクノロジーの今後の行方と、潜在的なライバルの出現とを予想する任務があります。これらの任務を全うするCKOを採用することにより、企業は今日の産業革命を生き残るために必要な、クリエイティビティを自ら備えることができるのだと考えます。
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