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(回答先: Re: マルクスの専売は史的(弁償法的)唯物論です。 投稿者 南青山 日時 2006 年 2 月 27 日 21:21:21)
確かにね。
人の思考、さらには、歴史の展開をとらえると、弁証法的に発達している、という面はある。Aという勢力と、Bという勢力が、それぞれの考え方を持って、ぶつかるとき、Cという新たな考え方のもとに展開していくという。
古くは、日本でも、古来の神道を担ぐ勢力と、新規の仏教勢力の角逐が、新しい”和”のもとに集約していったように。
論理的に、研いだ議論では、↑のようなことは言わないのだろうけれど、現実には、こんな風に、歴史は展開しているね。この展開は、社会的な関係を保持する人間が、どのように、危機を打開するか、解決策(新しい関係の構築)として編み出す結果、得られるものだからね。(そんな意味で、哲学者は、弁証法は、論理学の応用だと言う。)
おおよそ、上記の意味で、思想の発達、歴史の展開を、とらえるのなら、弁証法という枠は、役に立つ面はあると思う。
しかし、唯物弁証法というのは、何をとらえるのに、役立つのか、よく分からない。
たぶん、思い込んでしまったことを、説明するために編み出した考え方ではないのだろうか?思い込みとは、労働者という規定と、労働者を止める、ということ。これが真であることを議論するため(証明するため)、まず、歴史は、弁証法的に発達する、という命題を立てる。現在は、資本家と労働者は対立している。この対立を終わらせるのは、弁証法的な必然だ。従って、労働者は、労働者であることを止める。これは、歴史的な真だ、と。
やや極論だが、労働者と資本家の対立は、一時的、さらに言えば、思い込み的なものだとすれば、唯物弁証法を登場させる場面は、なさそうに思える。