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(回答先: 自然に満足できない過剰な意識 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 2 月 18 日 18:11:55)
隠喩的な書き込みでしょうから、あれこれ細かいことを言うのは野暮だと思うのですが、一点だけ指摘させてください。
生存のため、自らの足元を掘り崩すのは、人間の専売特許ではありません。極論すれば、およそすべての生物の属性だと思います。いわゆる天敵のいなくなった環境で、生物がどういう振る舞いをして、その結果どうなるか、ワヤクチャさんには言わずもがなだと思いますが、一応概観してみます。
生物一般が従っている「内なる衝動(本能)」を、「戦え(身を守れ)、食え(身を維持せよ)、繁殖せよ」とするのは、かなり一般的に思えます。限られた環境内で、たまたまその生物の「運が良かった」場合(天敵不在など)、必然的にその種の爆発的増大をもたらします。しかし、その生存を支える資源(えさ)は一般に有限ですから、個体数の増大につれて生存環境は悪化し、最終的にはその地の荒地化とその生物種の衰亡をもたらします。これは、生物界でかなり一般的なことで、文明人のやっている、いわゆる「自然破壊」は、これを大掛かりにしたものにすぎません。
生態系(自然)がうまく働くのは、人間以外の生物が「自然」に帰依して賢いからではなく、端的に言って、天敵の存在を無効化できる「力」がないからです。
好むと好まざるとにかかわらず、「力」を持ってしまった人間は、忘れた(?)「自然」に帰るのではなく、なお近すぎる「自然」を振りほどいて、「超動物」になるしかないのではないでしょうか?
蛇足ながら、私は、生物の本性から考えて、人間の本能を抑制することは不自然で、ゆえに無理と思っています。むしろ本能のまま進むだけすすんで、どうにもならないところにまでいってしまったときこそ、変革のチャンスがあると考えています。私としては、そのときになしうる選択肢をできるだけ確保、あるいは増やしておきながら、今の狂奔をむしろあおる方が戦術的には有効かと考えています。