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議論板に書き込みを行うのは久々である。
雑談板では色々と問題提起をしていたのだが、今イチ絞り込みが不十分かなという気持ちがあり「問題点の本当の本質」が書き切れていない。といういわばプロトタイプとしての意見にしかなっていないという思いがあり、それが、雑談板を選ばせるという部分であったと考えている。それが、今回「言い表せそうだ」と考え、こちら(議論板)への投稿になったわけである。
Kは「各個撃破の虐め構造に犯された民主主義」が問題の本質ではないか?と考えている。
今の社会構造は「多数派形成」による「民主主義」によって運営されている。その多数派形成は、実は「詭弁と欺瞞と詐欺と誘導」といったの様々な悪意が満ち溢れているのだろうと思う。
これはホリエモンが証券市場で行った様々な問題のある手法と「本質的に同じ」なのだろうと思う。多数派形成には「仁義も倫理もない」のである。
弱肉強食とはよく言ったもので、多数派形成においてはフェアな精神などは微塵もなく、単に相手の足を引っ張り合いしているような物であり、ヤクザの抗争と何ら変わらないのだろうと思う。
今回「ホリエモンから武部氏の二男に3000万円の送金があった」と言うスキャンダルが発生した。事件の真偽は何とも言えないが、仮にガセネタだとすれば、多分「民主党は罠にかかった」という意見が湧き上がるだろう。
Kの鰯頭では「国会で圧倒的多数を占める自民党サイドが何故、民主党党を陥れる必要があるのか?」分からないという部分もあるのだが、いかにもありそうな陰謀だという印象を持つ人はいるだろうと思う。
人間の心理というのは非常に不安定である。個々の嗜好性は千差万別であるが、それでも、ある程度のパターン性はあり、濃淡もある。ここを巧く分析し、誘導する事で世論操作(多数派形成)はある程度可能だろうと思うが、そこが公平公正な視点からされているかには厳しいチェックが必要であり、証券市場でのチェックのノウハウを活かす様に考えていく事も必要だろうが、今現在はチェック機関もなく、野放しに近い状況ではないだろうか?
今現在は「自分以外の誰かが不幸になるのならかまわない」という人間心理が利用されている。のだろうと思う、どんな職種であっても、特定してしまえば「少数派」になってしまう。「公務員虐め」を例にすれば「公務員は多いし、どこの市町村にも存在するが、国民全体からすれば、少数派である」
一般的社会での多数決で、みんなが嫌がる仕事を決める場合、誰かが特定個人に押しつけようとして「**君で良いと思う人」と多数決を取った場合、本当に公平で公正な良識のある人が多ければ否決される可能性もあるだろうが、誰も何も考えないか場合は「圧倒的多数で可決されるかもしれない」、間違いなく反対するのは名前の上がった当事者だけと言う場合もあると思う。
良識のある者ならば、それは酷いのではないか?と疑問を呈するだろう、「特定個人に面倒を押しつける」というのは公平ではない悪意によって発せられる意見である。
しかし、場の雰囲気によっては、そのような意見を発する事によって「自分が当事者になる可能性」が発生すると感じ、発言できないと言う事もあるだろう。良識が悪意に負けた瞬間である。
押しつけ的意見が悪意によって発せられ、それで決まってくれれば、自分には「何の不利も生じない」という結果が確定するのだが、それが例えば「あみだくじ」の様な方法になってしまえば、多少なりとも「自分にもリスクが発生する」との打算を持てば、沈黙を決め込むというのは「自分にとっては正解」とも考えられる。卑怯であり恥ずべき事だが、言い出しっぺでないのなら「自分の罪は軽微である」と自分自身に嘘を付くのも、人間心理であるだろう。
そんな事を一度許せば「次に自分が同じように押しつけられても文句は言えない」というのは正しい考え方であるが、次に自分の番になるかは不確定であり、そんな事になる可能性は確率的には低いと判断するかもしれないし、場合によっては「次回も、同じ者に押しつける」という虐め構造になる可能性もあるし、数名で結託して「自分たちだけには指名が行われないように工作する」という悪意に積極的に参加する。という選択になるかもしれない。
そのような経過によって悪意の集団が形成されていくのではないだろうか?
現在の日本の政治の流れは「他人の職種の環境ならいくら悪くなっても構わない。当面は自分に不利益が生じない事が一番重要」という、個別指定以外の「当事者ではない大多数」という多数派形成によって推し進められている「虐め構造」なのではないだろうか?
ネタは何でも良く、ともかく、理論が通っていようがどうであろうが、自分に不利益が発生しないならば「すべて、賛成」というような、人間的に卑しい心理状態によって政治の方向が形成されていのだとしたら、日本は滅ぶしかないだろう。
最近、神の存在というものを考えるような出来事があり、Kは誇りある無神論者であるという自信がぐらついてきている。どうも、DNAには「神の設計書」というようなプログラムがありそうな気がしている。予言は当たるのではなく、当てるように見せようとする組織が存在する。とKは考えているのだが、そのような組織が存在するように人間にプログラムが仕組まれているとも考えられるのである。
音楽番組を久々に見たのだが、技術力は発達しすぎて「既に大衆文化ではなくなり、一部の天才達の芸術にまで昇華している」という思いと「全てのフレーズがどこかで聞いたようなフレーズ」で既に進化の袋小路に陥っているというような思いを同時に感じた。
人間的倫理観が消失した人間社会には終末が迫っているのかもしれない。ソドムとゴモラには「正しい人間はほとんどいなかったので滅ぼされる事になった」と伝えられているが、それは過去の事ではなく、未来の暗示ではないだろうか?