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返事が遅れまして申し訳ありませんでした。
本日やっとパソコンを開きました。理由といたしましては風邪を引いていたわけです。
現在打っているパソコンは自宅にあるものですが,どうしても開ける時は眠れない時であり、その時間は大体が夜中か明け方になってしまいます。そんなこんなで無理がたたりふとしたことから風邪引きとなり本日まで開くことが出来ませんでした。
張良さんからの文章拝読させていただきました、そこで返事を書こうと思ったのですが何分にも遅れていましたので新規に立てさせて頂きます。
張良さん>未来への展望はともかく、どうも貨幣の二重性が曲者だと睨んでいます。貨幣の二重性とは、教科書にある貨幣商品説と貨幣法制説です。いや、それだけではありません。貨幣の取り扱いに関する帳簿記入に於いて、複式という様式が活用されることもそうだと言えます。銀行の機能に於ける信用創造なる事実も、複式簿記という技術と不可分です。
縄文ビト お書きくださった長い文章を細切れにしてなんですが、二重性という問題では少し考えさせていただきます。ただ信用創造ということで現在私が疑問に感じている点を少し書かせていただきます。もし間違いがありましたら訂正をしてください。
世間一般で言われている信用創造、よく金融関係者が使いますが、果たして信用創造なるものが存在するのかということです。簡単に信用創造なるものを書いて見ますと。
例えば銀行が一千万円を事業者に貸し出しをする。貸し出しを受けた者がそれを銀行に預金をする、また銀行がそのうちの一割(100万)を準備金として手元に置き九百万円を新たに貸し出しをする。貸し出しを受けたものが九百万円を銀行に預金をする。銀行はその内の一割を手元に置き八百十万円を新たに貸し出しする。このように銀行、借り手、銀行借り手という具合に準備金として一割を残し貸し出しを繰り返した時、最初の資金の何倍かが市中に溢れる結果になるということだと覚えましたが。本当にそんなことが起きるのでしょうか。
そこで問題になるのが、銀行が一千万円を事業者に貸し出すとき、事業者は銀行に金利を払うわけです、そして高い金利を払いながら其の全額を安い利息で銀行に預金するかということです。事業者が一千万円を必要とした時、其の事業者は多分設備資金等で機械なり何なりを購入する資金として使い、銀行には1円たりとも預金はしないでしょう。預金をする位であれば最初から預金に回すつもりで高い利息をつけてまで余分な借り入れを行わないと考えますが。
ここから私なりですが信用創造なるものが崩れてくるのではないかと考えています。
確かに金融機関に預金をする人はいます、そして銀行は預金された金額の一割を準備金として残しその他の九割の貸し出しをすることが出来ます。其の銀行に預金された(カネ)はどのような性質のものなのかということですが、私自身は其のカネは人の余剰労働分と考えています。
まずは信用創造なるもの、張良さんでしたらどのように考えますか。これだけを問題としても新しい考え方が出てくるのではないでしょうか。なぜならここに流動性(マネーサプライ)のからくりが見えてき、デフレの原因がなぜなのかを解明することが出来るのではないでしょうか。
また書かせていただきます。