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転載です。
http://www.workers-2001.org/w314.html#w314e
政治に登場した“格差社会”
――突破口は正規・非正規労働者の均等待遇から――
ついにというか、やっとというか、〈階級社会〉をめぐる攻防戦が国会を舞台として繰り広げられる時代がやってきた。“格差社会”が今国会の焦点に浮上しつつある。
小泉首相最後の通常国会は、建築強度偽装事件、米国産牛肉再禁輸問題、ライブドア・ショックの三点セットで幕開けとなった。中でもライブドア問題では、自民党が実質的にホリエモンの後ろ盾となっていただけに、「金がすべて」の勝ち組政治や、その結果としての“格差社会”への批判が拡がろうとしている。
小泉首相にとっては「想定外」だろうが、何でいまさらとは言うまい。それだけ事態は深刻度を深めているのだ。
■政治に登場した“格差社会”
小泉首相は“格差社会”という批判に対して「統計上はそういう証拠はない」と強弁している。が、“格差社会”への警鐘に対して反論せざるを得ないこと自体、それだけ危機感を抱いている証左だろう。
それに“格差社会”の到来など、今に始まった問題ではない。すでに1998年には『日本の経済格差』(橘木俊詔)という本が出されたが、その時点ですでに“格差社会”は深く進行していたのだ。他にも格差社会や不平等社会について警鐘を鳴らしてきた著作も多い。現実の闘いもあちこちで開始されている。当然のことだが『ワーカーズ』も90年代後半から新しい階級社会の到来と階級関係の地殻変動について広く喚起してきた。
今国会での“格差社会”の登場は、時代の転換点を象徴するものになるだろう。
■小泉改革が増幅させた“格差社会”
“格差社会”は自然に生まれたものではない。それは橋本政権が招き寄せ、小泉改革が解き放ったものだ。
小泉首相は「改革なくして成長なし」として、それまでの政官業の談合政治を批判することで市場原理・利潤原理万能の弱肉強食の競争社会をあおり立ててきた。それは「結果の平等」を切り捨て「機会の平等」原理に力点を置き、勝ち組を後押しして負け組を切り捨てるものだった。企業減税を繰り返すとともに商法改正や会社法の創設などで企業活動の規制緩和を推し進め、一方でかつての公共事業や社会保障などによる所得再配分を縮小し、年金・医療などのセーフティネットを次々と切り捨ててきた。挙げ句の果てに「機会の平等」すら成り立たない社会にしてきたのが小泉改革なのだ。
その象徴が雇用や労働基準の規制緩和だった。かつて日経連が主導した雇用構造の三類型化を推し進める環境整備として、たとえば派遣労働の期間延長や対象業務の製造業への拡大など、財界と一体で非正規雇用を拡大し、不安定・低処遇の労働者を爆発的に増やしてきた。いまでは正規2人に対して非正規一人だ。
こうした小泉改革が、社会の二重構造、新しい階級社会を招き寄せたのは当たり前の話である。
■前哨戦――ジニ係数
国会での論戦の直前に、官僚を巻き込んだ与野党の前哨戦があった。いわゆる〈ジニ係数〉をめぐる鞘当てである。
内閣府は1月19日、〈ジニ係数〉の上昇は元来所得格差が大きい高年齢世帯の増加や単身者世帯が増えたのが原因であって「所得格差は見せかけ場のものだ」とする報告を関係閣僚会議に提出した。これは小泉改革が「マネー万能の風潮を助長した」という批判をかわす意図が見え見えの官僚による援護射撃だが、こうした援護射撃で現実が変わるわけもない。
すでに触れたように、1998年に橘木俊詔は『日本の経済格差』(岩波新書)で所得分配の不平等度をはかる指標の一つである〈ジニ係数〉を活用し、日本で所得分配の不平等度が急速に高まっていることを論証した。その分析は当時の時代感覚とも合致し、ジニ係数という分析手法を広めるとともに、それまで「総中流社会」を疑わなかった日本にも新しい“格差社会”が到来したことに警鐘を鳴らしていた。
小泉首相はこれらが気にくわなかった。官僚に指示してそれに理論的な反論を試みさせたのが、19日に発表した上記の内閣府の反論だった。
この反論は、やれ高齢化世帯が増えただの、核家族化が進んだのだのと主張しているが、現に生活保護世帯が増えていることなど、現実とかけ離れた空論でしかない。
しかしこの「論争」は、予想されたものではあれ“格差社会”の到来は小泉政権にとって不気味な前兆なのだということを証明した。低所得層をはじめとした庶民が、いつ、どんな形で反乱を開始するか、それでなくとも支配階級は不安いっぱいというわけなのだ。
■分断される労働者
“格差社会”の最大の原因は利潤至上主義社会での弱肉強食の競争社会にあるが、その所得格差拡大の最大の問題は少数の勝ち組といわれる人たちへの金と資産の集中だ。
しかしそれ以上に問題なのは、そうした“格差社会”を打ち破る主体であるべき労働者・勤労者に持ち込まれた分断賃金構造だろう。一部のものへの富の集中は、結局は勤労者大衆からの富の収奪としてしか起こりえないし、そうした搾取構造を転換し、生産果実を平等に配分する社会を創り上げるのは現実の富を生産する労働者以外にはない。その労働者が賃金所得で大きく分断されて足並みが乱されることは、そうした社会を創設するための最大の障害となる。支配階級はそれを自覚しているからこそ、労働者・勤労者の足並みを乱しながら富を独占しようとするのだ。
こうした労働者の間での新たな階層構造は、単に弱肉強食の競争社会の中から自然に生まれた結果ではない。それは経団連(日経連)などによる、労働者の賃金分断攻撃という意図した行為の結果に他ならない。だから“格差社会”は財界、個別企業による低コスト構造づくりと小泉政権によるその土俵づくりという、政治と経営の合作の結果によって強いられたものなのだ。
■悲惨な〈最低賃金制度〉
労働者の中での所得格差ということに関していえば、象徴的なのが最低賃金制度と生活保護費の問題だ。端的に言えば、生活保護費に比較して日本の最低賃金はいかに低く押さえられているか、ということでもある。
日本の最低賃金は西欧諸国などに比べても低いことは指摘されてきたが、それでも生活保護費より低いという現実にはあきれるというか、情けなさや恐怖心すら覚える代物である。
04年度での最低賃金は全国平均で時給664円で、最高は東京都の708円だ。たとえば東京都での場合、700円で計算すると一日8時間で約5600円。これを年間1800時間に換算すると126万円、月額だと10万5千円だ。
一方で現在の東京都の生活保護費は標準的な3人家族で賃貸住宅を前提とした住居補助費など含めると24万5千円、年間294万円である。生活保護世帯は所得税免除や医療扶助などもあるから、勤労者の所得は生活保護の実質1・4倍ぐらいないと同等にならないため、月額34万円ぐらい、年額にして400万円ぐらいないと同等の生活が出来ない。ところが最低賃金はボーナスがないとすれば年間126万円、生活保護世帯の生活水準400万円の3分の1にも満たない額ということになる。
いまの生活保護費はそれ以下の金額では人としてのまともな生活が出来ないと言われる額を基準としているので、最低賃金は人としての最低限の生活費の3分の1以下なのだ。これほど労働と労働者を愚弄することがあるだろうか。
最低賃金制そのものは別途詳しく論じたいが、労働者の基本的なセーフティネットとしての最低賃金は低レベルのまま据え置かれてきたのが現実だ。
■“格差社会”の突破口は均等待遇から
“格差社会”の到来に対し、様々なセーフティネットの再整備を主張する声も大きくなっている。もちろんそれは必要なことで、中には緊急を要するものもある。
しかしそのセーフティネットが税制や各種の社会保障による所得の再配分としてのみ課題設定される限り、それそのものからくる限界から免れないだろう。それは結果に対する救済の域を出ない。税制や社会保障に委ねることでは、最低生活の保障を財政力や企業の競争力など、別の経済ファクターの従属変数に委ねる弱点から脱することはできないからだ。
ここは正面から賃金の公正さや最低基準の引き上げを求める立場を貫きたい。具体的には正規・非正規労働者をはじめとするすべての労働者の均等待遇とそれに向けた最低賃金の引き上げだ。さらには賃金を他の経済ファクターに左右されない独立変数として、これだけは生活に必要な額だという、すべての経済活動の前提条件として確立することである。こうした立場はセーフティネットを、誰に頼るのでもなく自分たち自身の力に頼ること、自らの力で闘い取るということでもある。
ますます深まる“格差社会”。それを自力で克服するのためには、正規・非正規を中心とする賃金の均等待遇の前進から始める以外にはない。至る所で均等待遇と最低賃金の引き上げの闘いを起こしていきたい。それは格差社会を克服するために労働者自身が力を獲得する道でもある。(廣)