★阿修羅♪ > 議論22 > 730.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
縄文ビトさん、こんにちわ。御指名を頂きながらレスが遅れてしまいましたこと、お許し下さい。通貨の量に関する縄文ビトさんの疑問を解決出来る知識を持ち合わせませんので、ネットで検索してみましたが不首尾でした。悪しからず。代わりにという訳ではありませんが、貨幣について少し考えてみました。縄文ビトさんの関心を引けるかどうか分かりませんが、書いてみます。
では、縄文ビトさんの文章から引用して、始めます。
“………私はどちらかというと現在の経済論は出来るだけ避けています。理由としてはがっちりと骨組みとして持っているのが資本主義擁護論から出発した理論で組み立てられた経済論として複雑化し、理論を理解しようとして入ってしまったら複雑化した体系の中で出口を見失ってしまうと考えるからです。………”
同感です。経済学科に属しながら、ほとんど勉強しなかった私としては大賛成と叫びたい思いです。しかし、経済の議論抜きに現代社会を理解できないことも事実ですし、何より、世間の忌々しい連中に一泡吹かせようとすれば、彼らの手の内を知る必要があります。そんなこんなで、最近考えているのが貨幣のことです。
(以下は、縄文ビトさんのひとつ前のレスから引用しています。)
“………私なりに近代経済学とは、近代という一時期の経済を分析(資本主義的擁護)しただけであり、人間としての経済を語っているのではないと確信しております。そこから図らずも「近代経済学」とは近代だけの経済学と名づけたのではないですか。………”
その通りだと思います。
“………経済学は狩猟採集経済という言葉もあり、さまざまなその時代時代の経済論があり。本来は全てを含めた「人間の経済」を語らなければならないのでは無いでしょうか。
私としてはそのことを書くということに現在専念しているわけです。………”
なるほど。
“………私には近代経済学という一時期の経済学はむしろ勉強の邪魔になると考えています。なぜなら近代経済学をいくらこね回しても未来への展望は「藩札」に見るように最後は破綻する経済ではないかと感じています。どこに原因があるのか。また貨幣を発行する魅力、現在の政府もその魔の手に引っかかったわけです。………”
未来への展望はともかく、どうも貨幣の二重性が曲者だと睨んでいます。貨幣の二重性とは、教科書にある貨幣商品説と貨幣法制説です。いや、それだけではありません。貨幣の取り扱いに関する帳簿記入に於いて、複式という様式が活用されることもそうだと言えます。銀行の機能に於ける信用創造なる事実も、複式簿記という技術と不可分です。
二重性は、それが何者に関わる場合でも、事柄を複雑に、見え難くします。謎解きは、其の二重性を生じさせている原因を解明する以外にありませんが、貨幣の二重性は何処から来るのでしょうか。
貨幣の流通手段としての機能に着目すれば、交換から説明しようという事になります。交換は基本的に二者の間で行なわれる訳ですから、そこに二重性の原因を探す事は、多いに有望です。
しかし、貨幣の機能は他にもあります。蓄蔵手段、決済手段、価値尺度、世界貨幣(つまりは、貨幣の為の貨幣)です。但し、蓄蔵には二重性を説明するような要素は有りません。決済性も、最後の支払いという意味ですから、やはり二重性は見出せません。
そこで価値尺度です。価値尺度とは、ある商品の交換価値を表示する為の基準になるものです。基準ですから、それによって商品価値を表示しようとする商品は一つではありません。二つ以上の、多数であることが想定されています。つまり、一群の商品を相手として尺度が存在している訳です。
個々の商品にとって尺度として機能するだけでなく、一群の商品にとっても尺度となっています。この点にも二重性が見て取れないでしょうか。一群、つまり群と、其の群を構成する個々の商品という二重性です。全体と部分の二重性と言ってもいいでしょう。
但し全体と言っても、一群の商品を一まとめにして其の合計の商品価値を表示しようとする訳ではありません。それは単に、個々の商品価値の合計と言うに過ぎないでしょう。ここで言う全体とは、もっと別の意味合いで考えています。
価値尺度であるということは、一つの商品に対してそうであるだけでなく、多くの商品に対しても同時にそうであることを意味するということです。むしろ、多くの商品に対して価値尺度であるからこそ、一つの商品に対して価値尺度であり得るというべきかも知れません。
言い方を変えれば、一つの商品は、価値尺度たる貨幣を仲立ちとして多くの商品と、互いに商品価値として関係しているということです。仲立ちというところに価値尺度の二重性が見て取れないでしょうか。部分を為す個々の商品が、全体としての商品群に関係する為に、価値尺度たる貨幣を必要としているということです。
此処で、先程の四つの機能を一まとめに図式化してみましょう。
先ず、四つの機能を二つづつのグループに分けます。二重性を持つ機能と持たない機能で分ければ、二重性を持つのは、流通手段と価値尺度です。持たないのは、蓄蔵手段と決済手段です。再度、グループ分けをします。今度は、静的な状態と動的な作用です。静的なのが蓄蔵手段と価値尺度です。動的なのは、決済手段と流通手段です。
以上、二度の区分を縦軸・横軸にとれば四分割された平面がイメージ出来ます。そこに、四つの機能を配置してみましょう。右上に、二重性を持ち静的状態にある機能を置きます。価値尺度です。其の左に、二重性を持ち動的状態にあるの機能を置きます。流通手段です。左下は、二重性を持たず動的な決済手段。最後に右下、二重性を持たず静的な蓄蔵手段です。
さて、出来上がった図をよく見ると、軸の交点を間にして反対側にある二つの機能がある対応関係を持つことに気付きます。左上の流通手段と右下の蓄蔵手段は、貨幣が現実に存在する場所を示しています。流通過程にあるか、そこから脱落して蓄蔵されているか、というのがそれです。右上の価値尺度と左下の決済手段は、抽象的な表示機能と具体的な価値物という対応です。貨幣そのものの現象形態です。
もう少しこの図に拘ってみましょう。右上の価値尺度と左上の流通手段は、密接に関連しています。流通手段であることの前提として価値尺度たることが欠かせないからです。また、実際の価値表示、すなわち価格表示は、流通過程において意味を持っています。
左下の決済手段と右下の蓄蔵手段も同じようなことが言えます。決済に使用し得る具体的な価値物であるが故に蓄蔵の意味があり、蓄蔵し得るからこそ、決済に備えることが出来る訳です。
これら四つの位置を、貨幣が実際に動いて行く道筋として考えてみるとどうなるでしょう。先ず右上の価値尺度として貨幣が登場することにします。商品の交換価値を表示することは、そのまま流通過程で実際に商品と交換されることに繋がります。流通手段として流通過程を流れて行くうちに、やがて流通過程から脱落し蓄蔵されることになります。蓄蔵手段として眠りにつく訳です。その内、取引の帳尻あわせの為、眠りから起こされ決済手段として活用されます。
以上、逆Z型の道筋がイメージ出来ました。勿論、出発点の価値尺度であるために何が必要なのかは重要な問題です。これを決済手段に結び付けて、逆Z型を8の字型にしてしまう事が出来るのかも知れません。しかし、そうすると始まりも終わりも無い、グルグル周り続ける道になります。それはそれで面白いでしょうが。
長くなりましたので、今回は此処までとします。