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(回答先: 上の投稿の回答先を示していませんでした。お詫びして、此処に記します。 投稿者 張良 日時 2006 年 1 月 26 日 14:09:29)
張良さん、こんにちは。
>さて、話の続きです。どうも【天皇】の二文字が如往さんの何かを刺激してしまうのか、誤解が解けないようですね。
張良さんの初期のスレッドを拝読しながら、日本におけるベーシックインカム制の導入のための要件を模索していくと、究極的には上からの号令が必須になるのではないかとの想いに至ります。もし、市民による妥当な要求や穏健な働きかけだけでそうした施策を現国家から引き出せるだろうと真顔で張良さんが考えているとしたら、多くの犠牲を払いながらも数々の福祉政策を勝ち取ってきた労働者の運動史を知らないことによる、おそらく錯誤に近いものと謂えるでしょう。しかし、その対案が「我々が天皇になること」に集約されるとしたら、プロセス論を全く無視した唐突な帰結だと謂わざるを得ません。
以前にも例に引きましたように、上からの号令に関し【天皇】がその隠されたキー・ワードであることは、戦前では北一輝の思想や皇道派の想い、戦後では小室直樹等に代表される思潮を一瞥すれば明らかです。それへの言及を張良さんが意識的に迂回されているとしたら、それは如何なる理由なのか、疑念が尽きることがありません。
>“…天皇(制)…”について述べている積りはありません。あくまで文化的に、そして、自己実現のあり方を考える文脈で、日本史に於ける天皇の意味を考察したいのです。
>誤解を解く為に、此処だけの事として申し上げます。密かに思うのですが、我々は皆、天皇になるべきではないか。此処で言う天皇とは、天から地上に降臨した生身の存在ということです。私達は皆、天から地上に降臨した存在ではないのか。天の下を治める為に一身を与えられているのではないのか。それぞれがそれぞれに自己実現することで、大いなる働きの一端を担うのではないのか。
ここに表出している張良さんの結論を直ちに肯定することはできませんが、張良さんが表白されたことそれ自体、すなわち誠意を率直に受け容れたく思ってます。
>日本の地に形成された天皇という存在は、そうした事の発現に至る歴史と考えられないか。日本国憲法第一条は、天皇の地位を国民の総意に基づくものと定めています。私たち国民は、自らの似姿として天皇を擁立しているのだと考えられないでしょうか。戦前の現人神規定は、自らの似姿を神格化するという一神教的意匠だったのではないか。
>しかし、天皇は神ではなく神の子孫です。神性からの逸脱として生身を受けた存在です。逸脱ではありますが、罪を負ったのではありません。使命を帯びたのです。其の使命が何であるのか、それぞれが自らの内に見出す事柄でしょう。一神教的天皇から多神教的天皇論への脱皮が必要ではないか。如何でしょう。
張良さんには一刻もはやく小泉八雲『神国日本』の世界から現実の世界へと帰還していただき、再度のより精緻な西洋思想と東洋思想との磨り合せに心を砕いて欲しく思います。それと同時に戦後思想の解析を進めてゆかれるか、あるいはそれ以後にすべきかについては張良さんのご意志にお任せしたいと考えています。
また、会いましょう。