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如往さん、こんにちわ。index上の位置がだいぶ下の方に押し下げられていましたので、改めて水面への浮上を図りました。ご了承下さい。
さて、話の続きです。どうも【天皇】の二文字が如往さんの何かを刺激してしまうのか、誤解が解けないようですね。
“………「文化的には?」と婉曲的にですが、私には半ば強引とも想えるほどに“天皇(制)”をもってこられようとされるのは、張良さんは何か接着剤のような役割を果たすものとして“天皇(制)”を想定されているのでしょうか。………”
“…天皇(制)…”について述べている積りはありません。あくまで文化的に、そして、自己実現のあり方を考える文脈で、日本史に於ける天皇の意味を考察したいのです。
誤解を解く為に、此処だけの事として申し上げます。密かに思うのですが、我々は皆、天皇になるべきではないか。此処で言う天皇とは、天から地上に降臨した生身の存在ということです。私達は皆、天から地上に降臨した存在ではないのか。天の下を治める為に一身を与えられているのではないのか。それぞれがそれぞれに自己実現することで、大いなる働きの一端を担うのではないのか。
日本の地に形成された天皇という存在は、そうした事の発現に至る歴史と考えられないか。日本国憲法第一条は、天皇の地位を国民の総意に基づくものと定めています。私たち国民は、自らの似姿として天皇を擁立しているのだと考えられないでしょうか。戦前の現人神規定は、自らの似姿を神格化するという一神教的意匠だったのではないか。
しかし、天皇は神ではなく神の子孫です。神性からの逸脱として生身を受けた存在です。逸脱ではありますが、罪を負ったのではありません。使命を帯びたのです。其の使命が何であるのか、それぞれが自らの内に見出す事柄でしょう。一神教的天皇から多神教的天皇論への脱皮が必要ではないか。如何でしょう。
“………日本はUSから独立すること、とりわけ精神的(政治的)に自立することが重要だと考えています。………”
精神的に自立することが重要である点には同意しますが(従って、US的価値観からの自立も重要です。)、政治的に自立することが果たして可能であるのかどうか疑問に思います。
自説と矛盾するようですが、国民国家は既に過去のものだと思っています。グローバル化のあり方が問われている時代ですから、USがグローバル化の先頭に立っている限り、USからの国家的自立を求めることは歴史への抵抗に過ぎません。穏健な市民革命が目指すべきは、性急な政治的自立ではなく、USへの抵抗です。それと共に、もう一つのグローバル化としての世界戦略を構築することです。
“………USの何が日本の自立にとって障害になっているのかの解明は勿論のことですが、自己の内なる“甘え”に徹底的に対峙することから始めなければならないと思っています。………”
自己の内なる甘えが可能なのは、自己の外に甘えを許す社会構造があるからだと思います。戦後の日本にとって、東西冷戦下で甘えを許してくれる頼れる存在がUSだったのでしょう。そのUSが、冷戦終結と共に甘えを許してくれなくなったので、現下の政治状況があるのだと思います。もはや、内なる甘えを許してくれる外なる社会は存在しません。我々は、否も応も無く、甘えを奪われたのです。
今や日本人は、自らの立ち位置を冷静に見詰め、決断すべき時を迎えたのだと思います。戦後の出発点に出逢った日本国憲法を棚の上から降ろして、埃を払い、今一度、戦後の再出発を再出発する時ではないでしょうか。目の前の占領軍たるUSの存在と合わせて、これからの日本を考えましょう。