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今本秀爾@社会評論家です。
本日は、数多あるこれまでの複数事例を参考に、「市民運動・100%失敗のシナリオ」に
ついて書いてみました。
>これと似た様相を呈した団体を身近にご存知であれば、そこは間違いなく自己崩壊の
シナリオをたどっていますから、要注意です(笑)。
(1)
一貫した中長期的な問題意識からではなく、そのつど成立した国家政策や不祥事の勃発、
不正事件などを告発したり、反対・抗議する目的でエキサイトした、同類相憐れむ人々が
発起人となる。(以前から同種の新左翼運動に参加していた人々が多い)
(2)
「****の会」「***市民連合」「****ネットワーク」などと称した実体のない任意のにわか集団を
立ち上げる宣言を行い、この任意団体を大量生産させていき、あたかも大量動員がなされて
いるかのように装う。
この任意団体は通常、イベントや呼びかけを行う宣伝手段として活用され、多くの任意団体の
メンバーが重複して呼びかけ人になっている。
(3)
団体のコンセプトが不明で、内容の広い、さまざまな項目があれもこれも並べられた宣言内容や
宣言文、さらに自分たちは何を実現させたいのか、何を訴えたいのかという焦点が不明確な
決議文、決起文書を、にわかに作成して広くばらまく。
(4)
政府与党、政界や財界など権力者側に対して明らかな挑戦意識、対抗意識を明確にした
アジテーションを行う。(すべては国家権力の責任・・・など。)
政府与党の政治方針には何でも反対する。
(5)
若い人々、女性の参加が少ない。主に過去に「新左翼」運動に集まったような団塊世代の人々らが
中心となって声を張り上げ、任意団体が組織され、集会が行われる。
こうした人々は口々に自分勝手な話をし出し、互いの間での議論ができなくなるため、集会などで
意見がまとまることはない。
(6)
にわか立ち上げ団体のため、活動資金も参加者からの「カンパ」のみを頼りに行われる。
事務局には専従スタッフも存在せず、団体のスタッフがいるのかいないのかも不明である。
(7)
組織の役割分担体制、チーム作りができておらず、責任の所在が極めてあいまいである。
基本的に個人が頼りで、一人で何役もこなしている人が存在しているかと思えば、ただ集会に
参加して発言するだけ、「発起人」に名前だけ連ねているだけの人もいる、といった状況。
(8)
参加者はとにかく数が多ければそれだけ声が上がるからよい、という発想で、参加者の質や人材面に
まったく目が向けられない。「継続的な新しい人材の発掘」という視点が存在しないため、いつも決まった
顔ぶれの面々が中心に並ぶ。一定数のメンバーが集まれば顔ぶれは固定される。
(9)
決まって同じ著名人が名を連ね、方々の集会に呼ばれ、英雄のような支持・歓迎を受ける。
(10)
街頭では、貧相な紙面の(手書きで「***を許さない!」といったアジ入りの)チラシを配布したり、
大声でラウドスピーカーで通行者に訴える類の、街宣活動を頻繁に行う。
(11)
「市場調査」や「自己評価」といった視点がないため、そのつどの自分たちの運動の客観的位置づけ、
外部からの評価を取り入れたり、外部のニーズを探ることに無頓着になる。その結果、団体は
自浄能力・発展能力を失い、ただの「仲良しサークル」と化してしまう。
(12)
運動の時機にある程度見切りがついて、政局が動くなど状況が変われば、当の任意団体は自然消滅する。
運動自体も急速に覚めて終わる。(結局、身内で大騒ぎしただけ・・・)
以上 GAME OVER