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「720」 教科書が教えない世界史。クレオン・スクーセン著、『世界の歴史をカネで動かす男たち』という本を紹介します。戦争と革命は世界の金融資本によって人為的に作り出されていると、クリントン大統領の師匠である人物がはっきりと書いている。これを「単なる陰謀説」として葬ることはできない。2006.1.4
http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi
「世界の歴史をカネで動かす男たち ― 国際エスタブリッシュメントの金融支配」
著者: W.クレオン・スクーセン
出版社:成甲書房
ISBN:4880861855
サイズ:単行本 / 252p
発行年月: 2005年 08月
本体価格:1,800円 (税込:1,890円)
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副島隆彦を囲む会・光です。あけましておめでとうございます。今日は、2006年1月4日です。
今日は、クレオン・スクーセン Cleon Skousen というアメリカ人の書いた『世界の歴史をカネで動かす男たち』'The Naked Capitalist,1970'という本を紹介します。この本は副島先生の監修で先日発売された『共産中国はアメリカがつくった』(共産アメ)の著者のジョゼフ・マッカーシーの考えを裏づけて、さらに掘り下げて行ったものである。
クレオーン・スクーセン(http://www.skousen2000.com/biography.htm)
「共産アメ」の書評は「714」で。
「共産アメ」では、第二次大戦の半ばから当時の統合参謀総長ジョージ・マーシャルの策によって、アメリカ政府は、蒋介石への支援を打ち切り毛沢東支援へとシフトしていったという政治的な流れを上院議員マッカーシーが告発した。
しかしスクーセンの本では、実はこの第二次大戦直後の中国の共産化は、英米にまたがる国際金融・銀行家集団による、19世紀からの長い戦略の一環であったという、日本国民のほとんどが知らない巨大な真実が描かれている。
著者のスクーセンは、1935年から51年までFBIに勤務し、当時のFBI長官フーヴァーの秘書を務めた人物である。退官後に彼が書いた「裸の共産主義者」は当時のアメリカでベストセラーになった。反共産主義の嵐が吹き荒れた時代だ。 本書の原題は、「裸の資本主義者」という。紹介するこの本は、今から35年も前の1970年に出版されたものである。
実は本書は、キャロル・キグリー Carrol Quigly というジョージタウン大学歴史学教授の『悲劇と希望』という1300ページを越える大著の全面的な抜粋本である。
キャロル・キグリー(November 9, 1910 - January 3, 1977)
キグリー教授は、国際的に金融を支配し権力を手にしているといわれている「国際秘密ネットワーク」の一員である。ところが、本書はその権力の最高秘密を堂々と正面から暴露しているのである。本人もそのことを自覚しているようで、「少数の人間が潮(しお)の流れを戻そうとしても手後れである」(P26)と余裕を見せている。
『悲劇と希望』の発売は1968年という昔である。刊行後、権力の中枢の判断によって、全米の書店から姿を消したといわれている。(現在はリプリント版でネットでも入手できる。ただし、原版は出版社が破壊したらしい。)
この本の主題は、「ユダヤ世界支配の陰謀」といったような低いレベルのものではなくて、「国際銀行家集団の各国の金融支配」による陰謀である。キグリーは、「国際銀行家集団は、自らの銀行ネットワークを各地の中心銀行に持ち込んで組織化し、国際銀行システムを作り上げてその国に影響力を行使する」と定義している(P30、P50)。具体的には資金の量と流れを操作するのである。
<自由市場の上にたつ人々が存在する>
この点が日本の自称「自然法派保守」たちにはわからないところであろう。他の市場と同じく、金融市場・相場も市場の、自然で健全な原理で動いているだろうと、思うがそんな市場原理(自由な競争)なんかでは動いていないのである。自然法は、’マネーの支配者たち’によって、ねじ曲げられてしまっているのだ。このような「市場は私的な金融集団の力によって動かされている」という視点が今の日本人からすっぽり抜けている。これはおめでたいことといわざるをえない。
本書の30ページから57ページにかけて、それらの私的組織体がいついかにして作られていったかというあらましが著者のスクーセンの言葉で、「知っておくべき基礎知識として」語られている。キグリーによる興味深く「恐るべき」銀行家集団の考え方も載っている。
国際銀行家集団の組織体は、17世紀終わりごろのイングランド銀行の設立から始まった。そして、20世紀初頭(1913年)に、アメリカで設立された「連邦準備制度理事会」が日本の我々が、日々実感として現在目の当たりに出来る姿である。フェデラル・リザーヴ・ボード(FRB、エフ・アール・ビー)と言う。ちょっと前までは、Fed 「フェッド」とも言いわれた。
副島先生が最近(2005年12月現在)主張なさっているが、私たちは「民営化」という言葉の一見自由な甘い響きにだまされているのだ。「民営化」とはすべての財産を株式の形にして一般に公開するものだ。
ということは「完全民営化」とは力を持っている一部の私人達が国有財産を個人で所有できるようにすることなのだ。だから、privatization プライベタイゼイション、民営化」と日本で言われているものは、本当は、「私有化」と訳されるべきことなのだ。 力とはお金である。
<主権とは「その国で流通するお金を発行する権利・権力」>
今のアメリカ合衆国には「アメリカ銀行」なるものはない。「連邦準備制度」があるだけである。来年の2006年1月いっぱいで退任するアラン・グリーンスパンがその「議長(チェアマン)」である。この連邦準備制度理事会の「議長」という恐ろしい職の意味をわかっている人が一体何人いるのであろうか?
あのFRBとは、大企業はおろか政府であっても、何でも買収できるお金をたっぷりと貯えたロックフェラー、モルガン、ウォーバーグ、ロスチャイルドなどの私的銀行家の集団のことだ。(ロックフェラーは20世紀初頭にチェースなどを買収して銀行家集団に加わった)。なぜならFRBは民間企業なのであって、その株式は、これらの民間銀行たちによってほとんどが所有されているからだ。
FRBにはトップというものがいないから、一応の取りまとめ役として「議長」をたてているのだ。傘下に全米を12の地区に分けて、それぞれの地区に連銀(フェデラル・バンク)があって、その全体のとりまとめをしているのがFRBである。当然、12個のうちのニューヨーク連銀が筆頭の連銀である。だから、FRB議長と言っても、鎌倉時代に関東武士団の代表であった執権(しっけん)の北条氏が、源氏三代の将軍を終わらせたあとは、いちおうトップとしてたてていた宮(みや)将軍(京都から連れて来た名前だけの宮様=みやさま の将軍)のようなノミナルなものである。
この3年ぐらいは、FFレート(政府誘導金利、政策金利)はもうすぐ辞任するグリーンスパン議長ではなくて、全部で9人の理事の一人であるベン・バーナンキ(次期議長)が決めていた、と噂されている。
金が力である。お金が権力なのである。このことをもっと私明かり易く言うと、FRBのような民間の銀行組織が、国、政府、主権者にお金を貸しつけて、国民一人一人に行き渡るまで債務漬けにする。そして最後にお金と証券の価値を暴落させて、国家から通貨発行権を奪ったということなのである。(これらのお金は、金・銀などの実物資産(タンジブル・アセット)を裏付けにしていない。)
主権とは、ソーヴリィンティー sovereignty というが、これが一体何であるかご存知であろうか? たとえば、日本でも「何とかソブリン」というような金融商品が出回っている。あれは、「あなたの国民としての主権、つまりお金を外貨や国債などといった別の形にしてしまいますよ」ということなのだ。つまり、主権とは、極端に縮めて言えば、「その国で流通するお金を発行する権利・権力」ということである。
主権は国民にあるから主権在民だとか、君主(ソブリン、モナーク、キング)のことであるのだから、天皇が日本の主権者だったが今は、国民だとか、土地(国土)の所有者の事だとかわけのわからないことを言うなといいたい。 現在ではとどのつまり「お金を印刷鋳造できる権力を保有しているもの」こそが国の支配者なのである。今のアメリカでは従って、主権者はFRBであり、それを支配している株主である大銀行家ということになる。
この権限(権力)を、これまで数々の文明や国から奪ってきたのがユダヤ系を中心とする国際化した私的銀行家達なのである。私はそのことをスクーセンやユースタス・マリンズなどの「陰謀論」といわれるジャンルの文献から、そこでいろいろと引用されている権威のある人々の文章の記述から知った。
金(かね)が力(権力、主権)である。その実体は、国家全体に貸し付ける「高利貸し」だ。彼らをプライベート・バンカーズ
private bankers といって、日本の普通のそこらの銀行家とは違った存在なのである。プライベート・バンカーズの興味の対象をキグリーがずばりと五つの点に要約してくれている。
(引用開始)
彼らは次の点で普通の銀行家とは違う。
(一) 彼らは世界主義かつ国際主義の立場をとる。
(二) 政府と癒着し、政府の負債問題にきわめて関心が高い。
(三) 彼らの関心の的は債権であり、実際の商品には余り関心 がない。
(四) したがって彼らは熱烈なデフレ支持者である。
(五) 彼らは徹底的に秘密主義を貫き、政府の裏に財政的影響 力を持つ。
(34P、キグリーP52)
(引用終わり)
光です。これは借金とデフレ漬けにされた現在の日本国そのものではないのか?
(一)は、グローバリズム=自由化、規制緩和 のことを指し、(四)は、貧乏な人たち向けの100円ショップが成り立つバブル後の経済停滞、(二)と(三)は、毎年、年間30兆に及ぶ日本国債の発行のことだ。(三)の「株式乗っ取り以外の、実際のあれこれの商品や、企業の努力のことには関心がない」のは三木谷や村上ファンドらの一連の買収騒動である。
彼らに関心があるのは、買収先の会社の内容や企業経営そのものではなく、実は証券化した資産だけである。株式を買い集め、あの手この手で「買収するぞ」とおどしてさらに値を吊り上げて売り飛ばす。投機に関心があるだけである。ホリエモンは2005年春に実際にフジテレビを脅して600億円も現金で手にした(総額では2千億円をフジサンケイ・グループから巻きあげた)ではないか。
MACの村上世彰氏は資本主義のルールをフル活用
現在、日本政府が発行している、国民は誰も望んでいない国債の発行の意味は、副島先生の金融グローバリスト・シリーズを読めばわかるが、ごくごく身近な実感で言うとこうなる。
要は、アメリカが30兆円を日本政府から借金するといってだまして、お金を国外(つまりアメリカ)に流出させ、米国債を買わせる。日本政府は、国民がそれぞれ預けている銀行の口座残高のお金に勝手に手をつけ、「国民に内緒で」借金をしているということだ。ハイパー・インフレとは、いずれこの国民が預けたお金がすべて戻ってこなくなるということだ。つまり、海の向こうからやってきたプライベート・バンカーズに吸い上げられたままお金が返ってこないということなのである。
国際私的金融銀行集団=プライベート・バンカーズがお金を返すわけがない。なぜなら世界の金融・証券市場を作り上げたのが彼ら自身だからである。彼らは資金を吸い上げきったら、あとは暴落させればいいだけなのだ。第一次世界大戦後のワイマール共和国時代のドイツや、1929年の大恐慌がまさしくそれなのである。だからデフレと、政府の多額の借金は、両立するに決まっているのだ。世界は銀行家たちの善意では動いていないのである。彼らの悪意で動いている。動かされている。
<イングランド銀行を設立した銀行家たち>
国家と国民を借金漬けにしたうえ、主権を奪うという行為を銀行家集団が始めておこなったのが、1694年のイングランド銀行の設立である。
イングランド銀行設立の特許状をユダヤ人銀行家に与えた、「オレンジ公ウィリアム(イングランド王ウィリアム3世)
38ページ(キグリーの本では48〜49ページ)でのキグリー氏の説明は、私たちが心して聞くべき「一般常識」である。ここではユダヤ人達が古代(おそらくは古バビロニア、エジプト、新バビロニア、ペルシャ、ローマでも同じことをやったようだが)から習得してきた、銀行・金融業(高利貸し業)の本質的な技術、すなわち「無からお金を生む」技術のことが述べられている。
(引用開始)
供給できる準備高(リザーブ)よりも、紙幣銀行券に対する需要が多いということは、銀行家が、無から現金を作り出していることを意味する。同じことが別の方法でも出来た。 預金銀行家は、預金から預金者が引き出して第三者に与える為替や小切手の大半が、第三者によって現金化されないまま口座に預金されることに気づいた。
そうすると、資金は実質的に動かずに、支払いは口座間取り引きの記載だけですんでしまう。したがって、銀行家は引き出されたり、現金化されたりする可能性のある預金額の一部よりも多額の資金(金、証券、約束手形)を手元においておく必要がなかった。
その残りは貸付金に転用できる。もしこの貸し付けが借り手のために作られた預金〔口座〕でおこなわれれば、借り手は現金を引き出す代わりに小切手を切ることになる。
そのようにして”生み出された”預金あるいは貸付金は、貸付金の実質価値のわずか一部でも口座に預金があれば、それなりに生まれることになる。こうして生み出された預金もまた無から資金を作ることが出来る。
(38P、キグリーP48〜49)
(引用終わり)
光です。「無からお金が生み出される」ということは、副島先生の『実物経済の復活』(2003年、光文社刊)で私、光ははじめて知った。(最近翻訳された、ジョン・バーチソサエティ(John Birch Society)のメンバーである、エドワード・グリフィン著の『マネーを生みだす怪物』(草思社)でも詳しく述べられている。この本でもキグリーはたびたび引用されている)
この行為をキグリーは「インナーサークル」(秘密の内輪の人間たち)と彼が呼んでいる「国際金融資本」の立場からはっきり裏付けている。これはこういうことだ。
預金、つまり「他人から自分にお金を預けさせる」というのは「他人からほとんど無利子でお金を借り」、その大部分をまた別の人に「高利で貸しつけて」、その利子をほとんど自分のものにする。お金は返さないまま、ということなのである。これを繰り返すと、ボケっとしていても利益が自分で利益を生んでくれるのである。
このことをユダヤ人達は古代から知っていたのである。いまユダヤ人と言ったが、これは人種・宗教・民族のことを言っているのではない。スクーセンは、32ページで「諸国の銀行家、並びに信仰のいかんにかかわらず結びついた人々」としている。「この世には、自分が信じるべき何らかの真実がある」とする敬虔(けいけん)な人々のことではなくて、「力が正義だ」あるいは、「力すなわちお金」だけを志向する人々のことである。力とはお金のことだと銀行家=高利貸し達は知りぬいている。
だから彼らは本質的に、この世に信ずるべき真実=存在は「何もない=無」だと考える集団である。「無からお金=力を生み出す」とはこの考えから来ている。
こうしたお金こそ力だと考える人々が、国家の、さらに上に立って支配しているというのが真実である。この人達は、何しろ「アバブ・ザ・ラー」above the law (自分たちだけは法を超えた、法の枠外にいる)の人々である。
イングランド銀行の真実に関しては、30ページ(キグリーではP325)でキグリーが引用した三つの言葉が的を得ている。
(引用開始)
〈1852年、当時大蔵大臣で後に首相になったグラッドストーン卿は、「あらゆる状況の要(かなめ)は、政府自らが金融問題の実権を握るのではなくて、金融権力を超然とした存在に祭り上げて手を触れないことに他ならない」と宣言した。
1924年1月、1915年〜16年に大蔵大臣を務めたミッドランド・バンク理事長のレジナルド・マッケンナは、株主たちを前にしてこう語った。「銀行がお金を作ることが出来る、そして現実に作っていることが一般市民は気に入らないのではないかと心配だ。そして、国債を支配している人々が政府の政策に横やりを入れて、国民の命運を完全に掌握している」
同年、銀行家協会副会長のドラモンド・フレーザーは、「イングランド銀行の支配者は専制君主に違いない。あんな貸付条件では政府しか借金できない」と語った〉
(P41〜42、キグリーP499〜500)
(引用終わり)
光です。イギリスの中央銀行であるイングランド銀行は公的な顔・そぶりをした私的機関として誕生し、政府を操(あやつ)って国民を支配し、政府と国民を借金漬けにする「国際金融王朝」の最初の道具なのである。政府(ガバメント)=統治機構 を更に越えた、「超然とした」真の支配機構なのである。
首都ワシントンDCにあるジョージタウン大学で、クリントンの指導教授(メンター)をつとめたキグリー教授が、そのように自分たちの仲間のセントラル・バンカーたちのことを述べているのだ。
<アメリカではFRBとして結実したイングランド銀行モデル>
金融王朝が、イングランド銀行と同じ統治機構を、アメリカで1913年に誕生させたのが「連邦準備制度(FRB)」なのである。FRBは、ウォーバーグ(ロスチャイルド系のクーン・ローブ商会の娘婿じょせい たち)を中心とした一部の銀行家達がジョージア州のジキル島というところに内緒で集まって創設を計画したのである。
ジョージア州ジキル島の地図
最初はワシントン州選出のネルソン・オールドリッチ議員(ネルソン・ロックフェラーの母方の祖父)の議案として提出されたのだが、JPモルガンとの癒着が市民に嫌われて、廃案となった。
しかし、別の人物が提案した法案が議会を通過した。このときに反対に立った、ウィリアム・ジェニングス・ブライアンという民主党の正真正銘のポピュリスト政治家は、元々、強硬な中央銀行制度反対派であった。彼は、「金(きん)の裏付けがない紙幣は必然的にインフレを生みだし、国民の購買力を低下させて、国民生活を危機に陥れる」と理解していたからである。
ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(民主党・ウィルソン政権の国務長官だったが、ウィルソンに反対して結局辞任)
しかし、ブライアンも、ウィルソン政権の国務長官の職にあるから、修正案を提示されて、仕方なく賛成派にまわってしまう。この法案の成立までには、中央銀行家たちが騒いで、わざとオルドリッチ法案に反対してみせる、などのヤラセ芝居も演じられた。
この本には書かれていないことなのだが、実はこの時、反FRB勢力の中心人物であったのが、あのチャールズ・リンドバーグの父親だったのである。息子の方のリンドバーグはその後、飛行機で大西洋横断をして飛行気乗り(エイビエイター)としてアメリカ民衆のヒーローとなった。が、この後自分の幼い息子が誘拐されて殺されてしまう。この事件も、リンドバーグが、反FRB勢力の強力な中心人物となることを恐れたユダヤ・国際金融王朝が仕組んだとする向きがある(ユースタス・マリンズなど)。
FRB設立のための第二の画策は、1912年のタフト 対 ウィルソンで戦われた大統領選で実行された。JPモルガンを中心とした銀行団は、アメリカ国民に人気の高いタフトを落選させるために、同じ共和党員であったはずのセオドア・ルーズベルトに共和党から脱党して「進歩党」という独立した政党を作らせて、共和党の票割れを起こさせた。それで自分達の操り人形である民主党のウッドロー・ウィルソンを当選させたのである。
その後1912年12月22日に、連邦準備法が298対60で下院を、43対25で上院を通過し、成立した。
<米英にまたがるインナーサークル、円卓会議の存在>
キグリー教授によれば、国際金融王朝による世界支配管理の思想は、19世紀のジョン・ラスキンJohn Ruskin(1819〜1900)にたどりつくという。この後に登場してくる人物は全てラスキンによる思想の系統の属するものであり、"ラスキン学校出身者"である。
ジョン・ラスキン
ジョン・ラスキンと聞いて読書人だったら、「えっ」と思う人も多いのではないか? 私は英文科出身なので、大学一年生のときに英文学史の教科書の中に彼が登場していたり、いろいろな英文学案内書に出ていたという記憶がある。何となく英文学者・美術批評家、作家という牧歌的イメージでとらえていた。
スクーセンによれば、ラスキンは元々オックスフォード大学で美術教師をやっていたのだが、なぜか国家・政治思想に関する彼の教授就任記念講演がオックスフォードを揺るがすほどの影響を与え、学生たちの熱狂的な支持を集めたのだという。
ラスキンはオックスフォードの学生たちに、「自分達の持つ(英国エリートとしての)気高い伝統が、英国下層階級や英国人以外の世界中の大衆にも広まるべきである」とする考えを表明したとかかれている(P64、P130)。
スクーセンはラスキンの根本的な思想としてケネス・クラークの著書『ラスキン(思想)の今』から引用している。
(引用開始)
ラスキンは、国家が生産と流通手段を支配して、地域社会全体の利益にかなうようにそれらを編成すべきであると考えていた。 彼は、一人の人間の手に国家の支配を委ねようとしていた。 『私はかねがね、ある種の人間が他の人間よりも、時にはたった一人がその他全員よりも、優れていることを示している』ラスキンは民主主義をあまり評価せず、彼の考える自由には次の一語−こっそりと−がふさわしい。」(P61,62)
(引用終わり)
光です。ここには選ばれた人々による世界管理支配の思想の初めの形が見える。本書の62ページでの、クラークの本からの引用によれば、ラスキンは、プラトンの『国家編』から強い影響を受け、毎日のように『国家編』を読みふけっていたらしい。
このプラトンの思想は、「あらゆる独裁制の原典」(P62)とも言えるもので、スクーセンが言うには、20世紀を席捲した共産主義に通じる思想だという(P64)。クラークのいう「こっそりと」とは、一般大衆にはわからないところで数人の上層の人間が上から秘密に操り、管理するということなのであろう。これは後に構築されていく「秘密ネットワーク」という言葉にぴったりと当てはまるのだ。スクーセンは言う。
(引用開始)
選ばれた男性と女性とによる子作りが政府主導で実践され、劣った、ある意は障害のある子供は排除される事態も生じる。社会を「支配階級」「軍人階級」「労働者階級」という三層に分割し、各階級に固定化する。プラトンいわく、人々は生まれながらにして、心に金、銀、銅を持っている。支配者は、国民がそれぞれ持つその金属を見定めた上で、その者にふさわしい階級に割り当てるのだという政府が吹き込む嘘を、国民が信じ込むようにお膳立てされている。
プラトンはこれが真っ赤な嘘であると認めた上で、支配者の統治にとっては好都合である、と述べる。国民に宗教的原則として教えやすいからである。プラトンは全面的に共産主義(共同体主義)をたたえて、支配者階級のためにそれを用意した。私有財産をなくし、家族関係を共有化し、下層大衆に恩恵を与えるために知的エネルギーを使うことを念頭においたのだろう。(P63〜64)
(引用終わり)
光です。国際金融王朝といわれている一団は、20世紀には共産主義運動家たちに活動資金を与え、彼らを操るようになった。そのことは後で述べる。
そうした行為の発端が、「哲人支配の理想国家、自然権的正義を唱えた」と一般にいわれているプラトンの代表作にその原点があったというのは驚きである。しかし、スクーセンのプラトン解説を見る限り、これはあのポルポト政権のカンボジアで実行されそして、見るも無残な集団虐殺に至ったものに他ならない。
また、自然権(ナチュラル・ラー)思想が闊歩している現代社会を見ると、これが日本やアメリカでも既に実行されているのだということが納得の出来るかも知れない。
<ラスキンの思想を受け継いだ、セシル・ローズ>
スクーセンの解説であるが、このラスキンの演説に感銘を受けてこの思想を実行した人間の始まりがあのセシル・ローズ Cecil Rhodes (1853〜1902)であるという。ローズはオックスフォード在学時代に、ラスキンの講義をずっと手書きで書き留めていたと書かれている。(彼が、引退後に当時で600万ポンドあった財産をすべてオックスフォード大学に寄贈して、それが、後に大英帝国の属国管理支配の道具として、属国内に自分たちの手下を育て上げることを目的にした各国からの留学生を呼び寄せるための)「ローズ奨学金」になった。クリントンもその恩恵にあずかっていたことで知られている。
この奨学金は「英語圏の人々を結集して世界中の全居住地を彼らの支配下に置くという野望に尽きる。」という目的のためにオックスフォードに設けられたものである(P66)。
G8先進国首脳会議の会議場のテーブルは「ラウンド・テーブル(円卓会議)」といわれる
セシル・ローズは初代ケープ植民地首相になるが、後にデ・ビアス社を通じて、南アフリカのダイヤモンドを支配したことはよく知られている。ローズの個人年収は100万ポンドもあったのだが、「得体の知れない目的のために浪費したので、口座は常に当座繰越し状態だった(P65、P130)」そうだ。これは南アフリカで得た莫大な資金を、秘密ネットワークにつぎ込んでいたのであろう。ローズ奨学金もその一環として考えられるべきである。
ラスキンの崇拝者はオックスフォードとケンブリッジにまたがってグループを作っていたようで、彼らがローズに連合しはじめたらしい。
スクーセンの本の66ページ(キグリー本は131ページ)の人脈一覧には、かの有名なアーノルド・トインビーもまざっている。ローズは1891年2月5日、社会改革者で帝国主義者のジャーナリスト、ウィリアム・T・ステッドと合流し秘密ネットワークを作る(P67,P131)。
この「創始者グループ」には、後にパレスチナを丸ごとシオニスト・ユダヤ人に売り渡すことになる「バルフォア宣言」で有名なアーサー・バルフォア卿や、そのバルフォア宣言(書簡)の名宛人であるライオネル・ロスチャイルド卿も名を連ねている(P67)。この幹部委員会にローズの後継者である重要人物アルフレッド・ミルナー Alfred Milner (1854-1925) が加わった。ローズの死後、このミルナーが遺志を継いで南アフリカ総督兼高等弁務官となり、当地で秘密ネットワークを担う人材を育てていったのである。
(引用開始)
1697年から1905年にかけて、南アフリカ総督兼高等弁務官としてミルナーは、オックスフォードやトインビー・ホールを中心に若者達を集めて統治運営を手伝わせた。彼の影響力によって若者達は政府や国際金融の要職に就き、1939年頃には英国の帝国主義外交に辣腕を振るうようになった。
南アフリカでミルナーに仕えた彼らは、1910年まで「ミルナーズ・キンダーガルテン(ミルナーの幼稚園)」と呼ばれていた。1909年から1913年にかけて彼らは英国のおもだった属領や米国で、円卓会議グループという、半ば秘密結社を組織した。この秘密結社はいまだに八カ国で存続している。…〉(P69,70、キグリーはP132)
(引用終わり)
ミルナー卿
光です。この「幼稚園」は相当に有名なようで、広瀬隆(ひろせたかし)氏の『赤い楯(レッド・シールド、すなわちロスチャイルドの英語訳名)』の中にも触れられている。この南アフリカでミルナーは人材を育て、金融を支配し、現在巷でその存在が取りざたされている「インナー・サークル」を作ったというわけである。
その実体がこの内輪での秘密結社で、アーサー王伝説になぞらえた「円卓会議」(英雄ランスロットもキング・アーサーも他の騎士たちも平等に丸い机に付く、の意味から出来た仕組み)なのであろう。(広瀬氏の著作は、彼自身は「ムーディーズ企業年鑑」を参照しているというものの、本当のところは、おそらく、このキグリーの著作やマリンズの著作を土台にしているだろう。)
この「円卓会議」は非公然組織なので、表立った合法的活動拠点として、「チャタム・ハウス」といわれる「王立国際問題研究所」を設立した(P70)。これと似たような機関が英国各自治領で設立された(1919〜27年)が、そのアメリカ版が現在高級国際関係雑誌「フォーリン・アフェアーズ」を刊行している「外交問題評議会(CFR)」である。この二つは1921年という同じ年に設立されている。
さらにチャタム・ハウスの下部組織であり、その思想の実行部隊といえるのが「太平洋問題調査会(IPR)」で、太平洋地域12カ国に設立された。本書の巻末にある太田龍氏の解説によれば、20世紀に起こった東アジアでの出来事はすべてこのIPRによってしくまれた予定通りの行動によるものだったという。
73ページ(キグリーはP133)でのスクーセンによるキグリーからの引用文では、この活動と並行してグループのメンバーは大英帝国を拡張して行き、大英帝国内で作った地域連合と英国を合体させて単一の連邦組織を作り上げるために奔走する。これは世界連邦を作るということである。
そしてアメリカを組織体にとりこんだために、世界連邦の中心をアメリカにおいて、帝国各地をアメリカ連邦の州にするという考えで動いていた(P73)。この組織のアメリカ支部が、現在一般的にいわれる「東部エスタブリッシュメント」というようである(P75、キグリーはP951)。
この組織に1925年以降、J・Pモルガン(ロスチャイルド家のアメリカでの代理人。反ユダヤのアメリカ国内の世論に配慮した)やロックフェラーが加わる。
ミルナー自身はロンドンにある官立銀行の総裁となって、政治と金融を操ることの出来る地位と権力を得、弟子たちを国内の重要ポストに配置した(P75,キグリーはP951)。ミルナー幼稚園出身者達が大学、銀行、行政、非課税財団に広がって、「英米秘密ネットワーク」基盤が整ったわけである。そして第一次大戦以降、組織拡大の必要に迫られ、本格的活動拠点として「チャタム・ハウス」を設けてアメリカに本格的に乗り出していった。
(引用開始)
〈1914年の大戦末期、このネットワークの大幅な組織拡大が必要となった。再びその役を担ったライオネル・カーチスは、英国と全自治領にある円卓会議グループの活動拠点を構築した。
「王立問題研究所(RIIA)」というこの前線組織の中核は、各地に潜んでいる円卓会議グループだった。ニューヨークのそれは「外交問題評議会(CFR)」として知られ、少数精鋭の米国円卓グループとつながるJ・P・モルガン商会の前線組織だった。米国の組織は多数のモルガン”専門家”に牛耳られており、なかでもラモントとビアは、パリ講和会議に出席して、ミルナー・グループが集めた英国の”専門家”グループと親密な友好関係を結んだ。
(P76、キグリーP951〜952)
(引用終わり)
光です。これはどういうことかというと、英国のミルナー秘密グループに発する非公開の私的会合に過ぎない円卓会議=王立問題研究所を、全英国自治領に作りあげ、アメリカにおいてはJPモルガンが円卓会議の代理人となって金融財務部門を担当し、外交問題評議会が政策を担当していたということである。(20世紀半ば位からCFRは、ロックフェラーの支配力が強くなっている)
具体的には、77ページから83ページにかけて、J・Pモルガンを中心とした円卓会議グループがアメリカのアイビーリーグ、法律事務所、五大新聞に資金と人材提供をすることによって、知識階級の支配を行なっていったことが描かれている。
<あの尾崎秀美もメンバーのひとりだった太平洋問題調査会>
円卓会議=王立問題研究所の太平洋地域における実行部隊はIPRという機関である。IPRとは「太平洋問題調査会」といって「太平洋周辺の問題に関心のある10カ国の独立した評議会から構成される私的組織(96ぺージ)」である。本部はニューヨークあった。
当時極東地域で政治・学問・ジャーナリズムの仕事をするためにはこの組織のメンバーの承認と推薦をとらねばならず、お金もここから出ていたのだという(97ページ)。IPRは極東地域の共産シンパ学者を支配することによって、最終的に中国を共産主義に売り渡すことに成功したのである。
非常に陰謀論めいた組織だが、これは実在を噂されている存在ではない、実在の組織である。このことは「赤狩り」旋風が吹き荒れていた1951年に「マッカラン委員会」で知られる上院司法委員会国際安全保障小委員会によって明らかにされている。
この委員会によってIPRは共産主義の影響下にあった事実が明らかになったようなのだが、キャロル・キグリーはなんとわざわざ、この背後にはウォール街の黒幕がいたことをはっきりと告白している。黒幕とは活動資金を適用した者のことだが、やはりカーネギーとロックフェラー財団が半額ずつ受け持っていたのだ。
その財団自体が、円卓会議のアメリカ代理人である「モルガン商会とロックフェラーの利権同盟に支配された連合グループ」(96ページ)だといっている。具体的には、スタンダード石油、ナショナル・シティーバンク、チェースナショナル銀行といった、ロックフェラー帝国の企業が目白押しである。
このことはつまり、アメリカという国家が共産主義の中国を建国したというのではなく、モルガン・ロックフェラーという私企業集団が、アメリカの国益・国家を裏切って、毛沢東率いる共産主義者を支援し、彼らに中国を満州までまるまるポーンと気前よく売り渡したということなのである。96ページの見出しは「モルガン・ロックフェラー・カーネギー財団は中国を共産主義陣営に売り渡した」とあるがまさにそのとおりである。
イデオロギーの違いというのは、ニューヨークの国際銀行家たちにとって大した問題でもない。彼らの間に共通して伝わる言語がマネーである。だから、これらの思想集団の両方に資金を提供し、時には対立を煽るために、ダミーの反共団体に資金を提供したりした。
共産主義者たちとウォール街の間を取り仕切っていたのはトーマス・W・ラモントという男である(93ページ)。ラモントは1910年にモルガン商会の共同経営者となって、18年以降妻や息子ともども本格的に左翼のためのスポンサーになった。
彼らが共産主義者を支援していたという証拠は、1940年代末に始まった下院非米活動委員会(HUAC)が明らかにした。HUACが押収した証拠ファイルには、ラモントとその妻と息子が「何十もの極左組織のスポンサーとして資金を援助し、その中には共産党も含まれていた(94ページ)」というのである。これによってアメリカの一私企業であるモルガン商会がアメリカ国家を裏切った行いをしていたことははっきりとする。
こうした反国家・国益上の活動のことを、まさにアン・アメリカンといって、日本語で「反米」ではなく「非米」と訳されているのだが、これをどのようにして行ったかというと、財団という「非課税団体」という組織的な脱税で国家の監視と法の目をかいくぐってきたのである。具体的には、モルガンの始祖ジョージ・ピーボティの後ろ盾で設立されたピーボティー財団を隠れ蓑にしていたのだ。
ユースタス・マリンズという研究者は、ロックフェラー財団やカーネギー財団など財団(トラスト)を使った蓄財のモデルになったのが、ジョージ・ピーボディ財団であると分析している。
ジョージ・ピーボディ
このような隠れ蓑による犯罪を告発する役目が議会なのだが、議会自体が非課税財団に侵食され、すでにチェック・アンド・バランス機能(三権分立)が台無しになっていたのである。スクーセンからの引用を続ける。
(引用開始)
1950年までそうだったように、米国民から怒りや疑惑を向けられたら、共産主義シンパを排除するのは造作なかった。(中略)しかしこの前提として、議会委員会がホイッテカー・チェンバーズといった公然と知られていた共産主義者から、アルジャー・ヒス、ケンブリッジ基金、はてはトーマス・ラモントやモルガン銀行まで連なる系列から情報を得ていたために、連合した非課税財団の複雑なネットワークに絡めとられていたということがある。〉
(90ページ、キグリーP945〜955)
(引用終わり)
光です。この委員会とは、1953年の7月に設置されたキャロル・リース下院議長を議長にした特別委員会のことで、「リース委員会」という。しかし、もし非課税団体の調査を行えば、大富豪の不利益になってしまうので、彼らの支配するマスコミは大々的な報道をしないということが明らかとなり、徹底した調査は行われなかったのだ(91ページ)。
マスコミを支配しさえすれば、どんな不正も国民の目から隠し通せるし、国民自体も欺くことができるという、まさに「マスコミに弱い」今の日本人を見ているようだ。マスコミをロックフェラーは広告を使って支配した。企業広告(その親玉が、日本では電通である)というカネで支配したのである。
彼らがアメリカを裏切るのは実は当たり前なのである。というか裏切る相手がいないのだ。そもそも彼らは英国に発する国際金融王朝なのだから。その企業もみなユダヤ系である。このことをキグリーははっきりと述べているのだ。今もこの英米ネットワークは様々な形で存在している。ビルダーバーグ会議やディッチレー財団といったインナー・サークルは今も存在している。その活動内容が詳しく外に公表されることはない。
(引用開始)
1930年代の米国で共産主義支持者やシンパが獲得した影響力の枠組みを与えたのは、彼らの経験や理解力をしのぐ富と力を持ったこのグループの人々だった。精力的な左翼の実行力は自らの力でも共産主義者の力でもなく、結局は国際金融資本グループの力に他ならない―ということを明記すべきである〉
(88ページ、キグリーP945)
(引用終わり)
<堂々と共産主義者を支援した国際金融資本家たち>
光です。キグリーによれば、国際金融資本の共産主義への援助はアメリカだけではない。当然ロシアにも援助している。ロシアの革命家といえばいわずとも知れたレーニンとトロツキーである。1917年までに国際金融資本を操るもの達は、ロシアの共産主義者達にボルシェビキ革命を達成させるためにイギリスから革命資金を送金した。この資金はアルフレッド・ミルナーから出ている。このミルナーが非常に重要な人物なので後述したい。
具体的には「クーン・ローブ商会」のジェイコブ・シフが、3000万ドルをこの二人に拠出したというのだ。シフといえば、日露戦争(1904−5)の戦争資金の半分の融資を高橋是清(たかはしこれきよ、後に大蔵大臣、首相、また大蔵大臣、2.26事件で射殺された)に申し出た人だ。 クーン・ローブ商会も第二次世界大戦時に日本への融資を申し出ているという、日本に縁の深い存在である。
ジェイコブ・シフ
渡部昇一氏は、シフが日本政府に資金を融資したのは、ロシアで差別・迫害を受けていたユダヤ人を憂えた同族のシフが、黄色人種である日本人に希望を託したのだ、というような、今から考えるとのんきな言論を行なっていた。が、事実はそのようなものではなかろう。
フランクフルトの宮廷ユダヤ人出身であるロスチャイルドを中心とする国際金融王朝は、20世紀初頭に、ロシアの君主・王朝を、戦争と革命というユダヤの常套手段を使って滅ぼしたのである。日本やボルシェビキはその中のコマにしか過ぎないのだ。実はロシアは、ユダヤ人を公職に就けることのなかった唯一の帝国であるビザンチン帝国(東ローマ帝国)の正統と、その宗教であるギリシャ正教(オートドクス)を引き継いでいる国なのである。
ヨーロッパの王朝と君主を打倒する行為は、第一次世界大戦で実現した。が、その舞台であったドイツの革命家にももちろん資金が拠出されている。貸し出し主はマックス・ウォーバーグ(ドイツ読みはワールブルグ)である。ウォーバーグの二人の兄弟はシフとソロモン・ローブのそれぞれの娘婿であり、共同経営者となっていた。
<英米ネットワークの米国支部・外交問題評議会>
CFRとは外交問題評議会(カウンシル・オン・フォーリン・リレイションズ)の頭文字である。英国に始まる円卓会議の金融部門がJPモルガンであるなら、米国における政治部門の活動拠点がCFRである。CFRは第一次世界大戦の戦後処理が必要になったため大戦末期に設立された(1919年)。キグリーによれば、CFRは英国とその全自治領の円卓会議そのものであり、JPモルガンの前線基地であるとしている(108ページ)。
1961年9月1日のCFRに関する新聞記事によれば、今もあるCFRの本部ビルは、ニューヨークの駐米ソビエト大使館の真向かいにあって、ロックフェラー家から寄贈されたものであると書いてあるそうだ。
ソ連大使館のすぐそばにあることと、CFRに第二次世界大戦前後に集っていたメンバーを見れば、円卓会議であるCFRがいかに共産主義者に政治的に加担していたかがわかる。スクーセンはCFRを「陰謀計画を推進するための活動拠点」と言い切っている(108ページ)が、まさしくそれは半世紀前(1950年代)までは、共産主義活動のための政治部門の実行部隊だったのである。
現在はこの共産主義がグローバリズム(globalism 、地球支配主義)と名を変えられて、CFRによって実行されているだけのことである。
このような看板の掛け替えはしばしば行われる。しかし、資金の提供者はいつも同じであるわけだから、私たちは騙されてはいけない。彼らには常に”プランB”が存在するということだ。CFRの機関誌である「フォーリン・アフェアーズ」をつぶさに読めば、彼ら私的機関の連合組織体が、世界を地域に分けて、いかに管理計画を巧妙に、長期にわたって実行しているかが見えてくるのである。
これは今も本当である。アルル氏のレポートによると、去年のロンドンの「7/7テロ」が勃発する直前に、「フォーリン・アフェアーズ」には、欧州のイスラム教徒の不平不満に関する記事が掲載されたという。
また、鳥インフルエンザが秋口に大きな話題になって、タミフルが飛ぶように売れて、製薬会社の大株主である人々がボロもうけしたが、春のうちにこの雑誌は、H5N1ウィルスの大特集を行っている。
したがって、次にどういうイベントが世界で演出されるか知るには、この雑誌を読めばいい、ということになる。この雑誌に掲載してある、幾つかのシナリオのうちどれが実行されるかは判らないが。
<ウィルソンとFDRのパペット・マスター、ハウス大佐>
このCFRが大戦を引き起こして利用して、世界的な陰謀 ― 当時は共産主義 ― を実行し始めたのがはっきりとわかるのは、第一次世界大戦のパリ講和会議である。
エドワード・マンデル・ハウス“大佐”(1858-1938)
このときに時の大統領ウィルソンを補佐したのがマンデル・ハウス大佐である。スクーセンが言うには、このハウス大佐が、「英米両国の円卓会議グループのホスト」務めたのだという(111ページ)。このときの会議に出席したのは、ウォルター・リップマン、ジョン・フォスター・ダレス(後にジョージ・マーシャルのあとの国務長官)、クリスチャン・ハーター(同じくダレスの後任の国務長官)というそうそうたるメンバーだが、みなCFRの中核メンバーであった。
CFRは「ワシントンの本部チームの一翼を担う特定の戦略にのっとって」メンバーを訓練する機関なのであるということをスクーセンは1958年8月7日付けの、これまたCFR系としている「ハーパーズ」誌から引用している。
パリ講和会議は、1919年5月19日にパリのマジェスティックホテルというところで開かれた。ここで「世界各地に活動拠点を構築する」ことが決定され、その最重要な拠点としてCFRが作られたのだとキグリーはいう(111ページ)。
日本人にとって重要なことは、CFRは第二次大戦の戦後処理でも登場したということである。戦後どころではない。スクーセンからの引用であるが、国務長官ステティニアス(彼は、わずか半年で辞任している。彼は反CFRである。)の公式報告の中で、「CFRの提案にしたがって、戦後処理委員会が1939年以前に設置された」のだ。
すなわち、日米が戦争に突入する2年も前、ドイツがポーランドに侵攻する以前から、すでに一私的機関(CFRは一応民間のシンクタンクである)によって戦後処理が検討されていた、ということを国務長官自身が認めていたのだ。しかもこの報告は、「サンフランシスコ会議の結果についての大統領への報告」という見出しである。国家の最重要文書として出されているわけである。
スクーセンはCFRに集う陰謀グループが、「戦後7年間で、年平均一億人の割合で、自由主義陣営の人々を共産国に売り渡す戦後政策を作り出した」としている。
このように、CFRが国際金融王朝の政治政策実行部隊であり、戦後処理という機会を口実に、共産主義を実行しようとしていたということは、サンフランランシスコ講和会議の米国代表団74名のCFRメンバーを見ればはっきりとわかる。スクーセンは言う。
(引用開始)
1945年、サンフランシスコ講和会議の米国代表団には74名のCFRメンバーがいた。その中にはアルジャー・ヒス(共産主義スパイ)、ハリー・デクスター・ホワイト(ソビエト・エージェント)、オーウェン・ラチモア(議会委員会は「明らかにソビエト国際陰謀団の手先」と認定している)、ジョン・J・マックロイ(元ロックフェラー・チェース・マンハッタン銀行総裁)、ハロルド・スタットン、ネルソン・ロックフェラー、ジョン・フォスター・ダレス、フィリップ・シェサップ、ディーン・アチソンが含まれる。
彼らと他の38名のCFRメンバーが、国連創設を目指すサンフランシスコ講和会議における米国代表団の意思決定権を握っていたといえよう。
(112ページ)
(引用終わり)
光です。CFRは外部でも、ビルダーバーガーズ、パグウォッシュ会議などと結びついており、アメリカ大統領、FDR,トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンをも操(あやつ)ったのだとスクーセンは述べている。
<太平洋問題調査会の活動の実態>
ここで、IPRの話に戻る。(P98〜100)。IPRは、その背後の黒幕であるエスタブリッシュメントに操られていた。IPRの活動資金、つまり、共産主義活動家支援金は、ロックフェラー、JPモルガン、クーン・ローブ商会であった。ではIPRはアメリカに置いては具体的に何とつながっていたのか?それは国務省である。
IPR・クレムリン・国務省の極東政策は多くの共通点を持っていたようである(P98,99、キグリー947〜948)。極東問題とは中国の処置のことである。ここに「共産中国はアメリカが作った」の裏の話が浮き彫りにされていくのである。
中国を共産主義者に売り渡したのは、実はこの三者の「連合」だったのである。この三者のさらに上に米欧にまたがる国際民間金融組織がいるわけである。したがって、民間組織によって共産主義者達が、国家機構に潜り込み、工作を行なっていたということがキグリーによってはっきりと語られている。国が私的に操られていたのだ。
国務省の中にソビエトの陰謀にかかわったIPRメンバーが入り込んでいたことは、「リース委員会報告の中にもれなくリストアップされている」とスクーセンは述べる(P101)。
キャロル・キグリー博士は彼らが「国に不忠を働いている確証はない」としているが、博士自身が、ソ連・国務省・IPRが中国問題に関する「綱領」(「中国人を共産圏に引き渡すこと(P100)で一致した」と認めているし、61年に国務長官についたディーン・ラスクは、この連合の中核メンバーだったと述べている。
中国を売り渡したのは、具体的には陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルである。これは戦後、中国の民主的政府を確立するために、蒋介石を支援することを確約した「ウェデマイヤー報告」(中国戦域作戦の最後の大将)と矛盾していることは、アルル氏の論文「ぼやき 」に詳しく書かれている通りである。本書でも147ページから148ページに書かれている。
そして、このソ連・IPR・国務省の陰謀連合の全貌は、1948年下院非米活動委員会HUACによって明らかにされたのである。このことは、アルジャー・ヒスがソ連のエージェントであるという告発によって全米の国民の前に暴露されたのだ(P105)。
ヒスは国務省のトップ官僚となりカーネギー国際平和財団理事長であった。ルーズベルト大統領側近でもあった重要人物である。彼がソ連のスパイであったことは、最後には、ヒスのタイプライターで打たれていた多くの極秘文書をFBIが手に入れたことで実証され、ヒスは懲役五年の実刑判決を受けた(P150)。
国務省に入り込んだ国際金融王朝の「陰謀」は、この後1950年代初頭、マッカーシーによって国民の目の前にさらされることになる。この事が本書の後半で書かれている。
これを「共産アメ」と合わせて読めば、その実像がはっきり分かるであろう。こうした暴露・露出を受けて、アメリカ国民がエスタブリッシュメントに反旗を翻したのが1964年の大統領選挙のゴールドウォーター・ムーヴメントであるらしい。ゴールドウォーターはその存在すらも一般の日本人には知られていないが、非常に重要な人物である。この続きをそのうちに書きたい。
スクーセンの本は、キャロル・キグリーの『悲劇と希望』のダイジェスト版というべき書籍である。
スクーセンの引用するキグリーは、実行犯の代弁者の立場として、ジョセフ・マッカーシー上院議員が上院の調査会で暴露し、糾弾した事実を裏付けているといっても良い。私はこれからも、これらの「教科書では語れない世界史」に関する研究者の著作を読みほぐし、皆さんに対して紹介しつづける。
しかしまあ、左翼(リベラル)と右翼(保守)の争いというのは、それを裏側から操る金融資本の演出する一大イベントだったのだ。
副島先生の『日本の秘密』(弓立社刊、1999年)では、学生左翼のはずの「全学連」に、右翼の田中清玄(戦前は、非合法共産党の幹部だった)が活動資金を提供していた、というエピソードが描かれている。そして、更にこの田中清玄(たなかせいげん)や資源派財界人と呼ばれた松永安左衛門(まつながやすざえもん)らの背後にアメリカのCIAやロックフェラー財閥からの「暴れる学生運動家たち」への資金提供があった。思想集団というのは、カネの提供者に知らず知らずのうちに操(あやつ)られていることがあるのである。善意で解釈してもそうである。
今、日本と中国は徐々にコリジョン・コース( collision course 、衝突コース)に向かっている。いや向かわされている。この衝突コースを演出している人々がいて、それがかつて共産主義に資金を提供して、戦争と革命を演出した人々と同じだとしたら、これは恐ろしいことである。
光 拝
2006/01/03(Tue) No.01