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(回答先: 戦う以外の選択肢はなかった。 投稿者 東条英機 日時 2006 年 1 月 06 日 01:13:52)
帝国陸軍は、アメリカに勝てることを前提に戦争をしたのですか?
帝国海軍には、すくなくとも山本長官が反戦派でしたが。
帝国陸軍は、反対派はいなかったのですか。
当時の対アメリカ戦を想定した帝国陸軍の戦略と戦術はあったのですか?
なぜ、帝国陸軍反乱軍は高橋是清を暗殺した後、犯罪人を重刑に処すことができなかったのですか?
http://www.adpweb.com/eco/eco287.html
不景気を各国が軍備増強で乗り切ろうとした、ひとつのインフラ整備の一環だった。
学者の中には高橋是清の政策を軍需インフレ政策と指摘している者もいる。たしかに軍事費は増大したが、これも当時の国際的な緊張の高まりを考えると、簡単には否定できない。また世界恐慌の脱出のために軍事費を増やしたことは列強各国に共通している。しかし本格的に軍需支出が増えだしたのは37年以降である。むしろ経済があまりにも順調に回復したので、インフレの徴候が現れ、是清は引締め政策に転換し、軍事予算を削ろうとした。このため軍部の反発をかい36年の2.26事件で殺されたのである。つまり軍事費が本当に増えだしたのは、高橋是清の死後である。
高橋是清は、軍事予算を増やすと同時に地方での公共事業費を増やしている。学者は、これは土木業者だけが潤ったと、いつも通りのパターンの批難をする。しかしこれによって失業が減ったのは事実である。少なくとも高橋財政政策によって、有効需要が増え、設備投資も増え、都市部の勤労者は潤った。年に10%の実質成長率を達成できれば、かなりの経済問題が解決の方向に向かうのは当然である。