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Re: 戦う以外の選択肢はなかった。
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投稿者 如往 日時 2006 年 1 月 06 日 10:41:05: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: 戦う以外の選択肢はなかった。 投稿者 東条英機 日時 2006 年 1 月 06 日 01:13:52)


 東条英機さん、こんにちは、はじめまして。
 標題「戦う以外の選択肢はなかった。」に、『またしても』との想いが湧き立ち横レスしたような次第です。
 そこで、早速なのですが、今後の話の展開のためにも以下の質問をさせていただきたく存じます。


 @>あくまでも米国と戦争をせずに徹底的に外交で譲歩を続けていたら、日本は資源が確保できずに防衛力を喪失、その後、米国は適当な理由で日本に宣戦布告したと思います。

 「戦う以外の選択肢はなかった。」の論拠を「徹底的に外交で譲歩を続けていたら、日本は資源が確保できずに防衛力を喪失」におかれていますが、「主に何に絡む外交だったのか」や「何のために資源を確保する必要があったのか」について詳述していただければあり難く思います。ただし、徐に「防衛」へと短絡していくような同語反復は避けていただきたくお願いいたします。…@’ 
 
 A>日本は米国の植民地になり、その後のアジア諸国の独立もなかった。

 この論拠としては当時の特に米国の環太平洋戦略(政策)に言及する必要があると思われるのですが、如何でしょうか。…A’

 B>その後1 植民地への愚民化政策により文化も技術も失われ、日本国民は日々単純労務を低賃金で永遠に続け、欧米諸国は豊かさを享受していたことでしょう。
 C>その後2 米国がソ連の脅威に気付くのが遅れ、日本が共産化、権力者の粛正により5000万人ぐらい虐殺される。そして、北朝鮮みたいな国になる。

 上記のB>とC>の推論に@’と A’の解明がどう繋がるのか論理的に再構成していただければ幸甚に存じます。何れにしても、当時の日本が欧米諸国との関係で直面していた問題の真相究明のためには、少なくとも日露戦争・第一次大戦参戦・シベリア出兵に至る経緯及びその影響をパースペクティブに入れた分析が基本になるのではないでしょうか。

 また、会いましょう。

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