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私は別の見方から奴隷制を見ています。ただ現在迄の社会では奴隷制は人の売買と言う意味で使われてきましたが、売買が行われなくとも人が人を隷属的位置におとしめる行為は奴隷制と同じ意味を持つと考えています。
そのことから奴隷制は過去の話だと見過ごしていますが、現代社会でも復活する要素を持っているものだと考えています。それは根底にある人間が人間を考えると言うことに、ある落とし穴的観念が存在するからです。
現在の社会で失業は(奴隷には失業は無かった)即生きることを拒否されたのと同じことです、奴隷だったらまずは食物を与えられますが、失業者には食物も無く、食物を得るために労働をする機会さえも許されないというのが失業者です。そしてこれから企業が生き残るために景気変動に合わせてリストラが当たり前となっていきます。
まず最初に職を失った人達は、家族を抱えていれば特に死に物狂いで新しい職場を探しますが、おいそれとは無いのが現状です。
結果的には日々の生活費の不足分の足しにと消費者金融に走ることになります。彼らが金を貸すということは、借りるものの未来の労働を担保にしているわけですから、本来現在時点での労働を売れない者に、未来において働いて返せというのが無茶な話ではないでしょうか。結果的に家族は離散する羽目に陥ります。家族との離散を伴うということでは奴隷制と同じです。
職を失い、路上生活者に身を落としていく。それは人間社会で必要とされないという身分です。自由という名の不自由(衣食住が無い)ことから奴隷制よりも下の身分ではないでしょうか。
そしてこの社会に不満があり、どの道飢え死にをするなら犯罪と言われるところまで落ちていっても、何とかこの世で与えられている人生を少しでも永らえさせたいという願望から犯罪に手を出していく。
これからますます失業者が世界的規模で拡大する中で犯罪は多発傾向を見せるでしょう。それに対し政策として犯罪抑止、また事前に犯罪者を特定するという観点からそのもの本人がすぐ特定できるように、人間の体の中に注射針でマイクロチップを埋め込み人間が人間を管理しやすいようにするための時代が単なるSFとしてではなく、その方向に向かっています。
それは現在我々が生きているこの時代が人間としての目的性があって現存しているのではなく、行き当たりばったり的に作られて来てしまった社会であるからです。
これから本当の意味での人間が人間を好きなように管理するという意味での奴隷制が復活する時代です。他者の労働の私有化という、大きな一つの問題が根底にある限り…。