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現在進行中の行政改革は、地方においては様々な様相をみせはじめいる。
これまで公務員が当局と職員組合との交渉の中で、軟弱議会をてなづけて、制度化してきた、わけのわからぬ特殊勤務手当ての全廃やワタリ制度といった運用の廃止への動きは、税負担する住民にとっては、まったく遅すぎるほどの改革であり、やっと動き出したかの感がある。
これも、国からの資金の流れが減って、あるいは減ることが確実な中で、住民の負担と選択による自治の徹底という動きがあったからこそ、自治体当局・組合一体となった住民に対して、ごまかしがきかなくなったと見ることができる。そういう意味では、地方分権はいいことだ。
しかし、教育や福祉に対してはどうか。教育費や生活保護費の国庫負担金の削減とか税源移譲とか。どのように地方分権と関係あるのか。
暴論ではあるが、そもそも教育に関しては、仮に民間でできないところを公が実施するという補完性の原則を適用するのなら、公で教育を実施する必要などほとんどない。採算性の悪い過疎地でなら公が直接実施することとなろうが、民間の小中学校をどんどん作らせて、運営費を助成したほうが教育費全体を縮減できる可能性が強い。
もちろん、保護者も生徒も従来のような学校への甘えをなくし、そこから落ちこぼれたものを別の公的機関で教育する。
何も、公が直接実施しなくても、教育プログラムをしっかり守らせれば、全国的なレベルで同質の教育を実施することは可能ではないか。
税源移譲の妄想もたいへんなものだ。地方自治体からすれば、自由に使えるカネがほしいから国に対して補助金や交付金ではなく税源移譲を求めるが、今の国の財政をみれば、増税なくして税源移譲は難しい。しかし、増税によって税源をわたされても、それは地域経済に悪影響、地方税収の減収というパンチをくらうだろう。だから、地方自治体は、もっとスリム化していかなければならない。増税なき税源移譲とは、補助金や交付税のようなしばりのないカネではあっても、その総量は減少するばかり。財政的窮乏化の自由と自立。これが地方分権であり、そのための手段が民営化や民間移管なのだから。
そして、民営化や民間参入の流れの中で、その反作用として起こっているのが建築確認に係る書類偽造だ。建設会社の関連業者が甘い審査をすることは、当然予測できたはず。それをチェックするほうには力をさいてこなかった。もちろん、そのような不祥事を起こす建設会社と民間審査機関は淘汰されていくのが市場原理であり、被害者には悪いが、それは淘汰されるまでの間の一時的な問題にすぎないという見方もできるかもしれない。
それにしても、毎年、国会では多くの法律案やその改正について審議、成立し、地方自治体のすべき仕事が財源のないまま決定する。地方議会は、それらに関与できない。
いっそのこと、生活保護の基準を各地方議会で議決させればよい。
そして、生活保護者や貧窮による税の滞納者には、一定の補助を与えて、裕福な自治体へ移住してもらうと、貧困な自治体にとっては、財政的余力ができるにちがいない。もちろん、これも暴論だが、国全体の均一な行政サービスの確保を否定して自由化するなら極端にいえば、そういうことになろう。