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(回答先: 17才 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 11 月 08 日 09:26:06)
「人は社会的要請とは無縁に、堂々と自由に生きていく権利がある」と主張する前に、中高生でも知っているような著作権についての知識は身につけておくべきだろう(アイドル歌手のファンクラブでも歌詞や画像についてのその程度の著作権ルールは知っている)。
デラシネの言う「人は社会的要請とは無縁に、堂々と自由に生きていく権利がある」とは、こうした著作権を無視した(他人の作品を勝手に使用する)行動を容認するということか(JASRAC作品コードを銘記すればいいというものではない)。
オレには著作権なんて関係ないという考え方もあるかもしれないが、現状では、そうした輩はドロボーと呼ばれる。
小生はネット上での著作権は、ある程度まで制限がかかるのは仕方がないと考えている。
著作権法で認められている客観情報はもとより、紙媒体で(引用というかたちで)容認されている程度まで、具体的には、新聞記事(紙媒体では認められている)、出版物からのある限定された文字量の引用、原典を銘記した上での図表や画像の引用くらいまでは、ネットでも認められてしかるべきと考えている(現状ではほとんど認められていない)。
しかし、一方で創造物を保護するという意味での著作権ルールを守ることも、(いくつかの点で議論の余地はあるにしても)現実世界でもネット上でも必要と考えている(創造行為への代価(金銭に限らず)は必要だからだ)。
デラシネという人は、たぶん(原稿料が発生する場所での原稿執筆といった)創作行為あるいは、オリジナルの発想行為をしたことがないのだろう(そういえば引用だけの書き込みが多い、そもそもこの書き込みの場合、意図が分からない)。
そうした行動の経験があれば、自分の具体的な創造物に対して権利意識が発生し、同時に他者に対しての権利意識も発生するからだ。
自分のものも人のものも区別かつかないというのは幼児と同じということだ。
ちなみに、小生も引用しているが、基本的に新聞記事か、ネット上で引用を容認している(と考えられる)場合、あるいは紙媒体で引用と見なされる範囲での著作物からの引用が基本であり、基本的には小生の考えを補助あるいは拡張するものとして引用している。
もちろん、有馬三恵子、岡本おさみがネット上で引用を許可しているというのなら(小生が見たかぎりではそのような記述は見つからなかったが)、あるいはJASRACなどで認可を受け使用料を支払っているというのなら、話は別である。