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(回答先: 投資による桁外れの利益には、高割合の徴収をかけたとしても妥当だと思われる。相続時精算の財政債権への貢献度についても若干 投稿者 乃依 日時 2005 年 11 月 05 日 23:13:17)
>乃依さん どうもです。
【民法・家族法がなぜ相続を定義するかというと、日本の従来からの流れにおいて「家系の利益を守る。」ことが重要とされているからです。】
橋本内閣の支持基盤に遺族会というのがありまして、墓守を条件にして弔慰金を貰っていますが、家系を守ると言う意味合いとも微妙に関わります。直系の家系に傍系と家系も色々ですが、昭和の30年代に戸籍法は改正され、今までの家長(家)の戸籍に全血縁者が入るというものが、世帯(個別家族)の戸籍に改められています。
家系を守ると言うのは、既に「旧家や貴族とか名門資産家」と言った支配階級層にしか意味のない事とも思われます。ほとんどの一般庶民には無縁な考え方でしょう。夫婦別姓とか性別も変更が認められる(Kはそれが良い事とも思いませんが)現在、家系を守るという制度に守られる権利を有するには「家(祖先・親)を大切にする」のが一つの条件でしょう。ここを考える人が居なくなったのなら家系制度は意味が無い制度になるのでしょう。
その上で今の家系制度が【安定している】と見るのは疑問もあります。むしろ「既に崩壊している家系制度が親を大切にする事で安定する」という見方もできるのではないか?とも思います。しかし、ここはそのような見方もあるのかとしておきます。
【より重要なのは、相続時精算における税収や物質面での収穫が、国家財政を立て直すために、貢献できるほどのものなのだろうか、という、大きな懸念もあります。】
Kの考えでは極一部の人に富の集中があり、それが死んでも解消されないから、貧富の差が広がり、様々な問題を引き起こすと考えていますが、仮に相続の上限を5億にしたとして、ほとんどの庶民には税金は掛かりませんが、極端な例ですが、仮に1兆円5億円の財産を持っている人が10人亡くなれば国家の税金収入は10兆円増えます。一番重要なのは「上限」部分です。
日本レベルでも信じられないような財産を所有している人は相当数居る気がします。これはKの思い込みかもしれませんが、その財産は汗水垂らして真っ当に形成されたものは少ないとも思います。多くは親からの財産か、他人の正当報酬の上前をはねたかしたものかもしれません。
それでもまあ「法に触れないならば、ギリギリセーフ」とも思われますが、子々孫々に引き継がれるのはどうでしょう?自由主義社会であっても「個人の努力の恩恵は個人還元までで、子々孫々にはまた、自分で稼がせるべきではないか?」とKは思います。しかし、ここも主観です。
しかし、仮に実施されれば「金持ちは何か手を打つでしょうが、子々孫々もいずれ死にますので、理屈的には、『国民に借りた赤字国債はいずれ必ずなくなります』、現在の赤字国債をまともに返済するならば計算上は「50兆の円の増税をしても100年以上掛かります。実質的には永遠に返せないのでしょう。」
しかし、K案なら、理論的には「絶対無くなる」のですから【国家財政を立て直すために、貢献できる】と考えています。
【「投資による桁外れの利益には、高割合の徴収をかける」ほうが、より適切な結果を実現しそうであります。】
この意見は一理ありますし、そう思う人も多いとも思います。ここは意見の分かれ目ですが、今回の投資家に高所得を掛けたとして、海外に移住されたら終わりです。所得税の累進性強化という内容で他の人ともやり取りした事もあるのですが、生活基盤のある日本から簡単には脱出できはしない。と言う「取らぬ狸の皮算用」は危険でしょう。今回の投資家に限れば、日本に自分の家を持っていない可能性すらあるのですし、世界のどこでもインターネットに繋げられれば「それだけで稼げる」のかもしれません。日本だけが、世界の基準より高い税金徴収をするのは危険です。今回の投資家が海外逃亡すれば一般庶民数百人が日本を離れたと同じ程度の税収が減る可能性も高いです。もっとも、K案でも死ぬ間際に逃亡は可能ですが、K案には「老後の面倒は国が保障する」と言う定年後は(住みやすいので)逃げにくい工夫があります。結果、機を逸して逃げ損なって死ぬ事になるでしょう。