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(回答先: 市場から見たマルクスとケインズの共通点 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 10 月 26 日 23:39:42)
具体的な質問を書いているのに、それに応えず、「意見交換しても、不毛と思われます」とおっぽり投げ、「「マルクスとケインズ」を、「市場(原理)主義」から見た場合、これらは、「人間が、経済を直接に操縦する」という思想として、同一性を持ちます」と説明されているあなたはあまりにもレベルがひどすぎます。
経済は、自然現象でもなければ、市場とやらが動かすものでなく、「人が直接に“操縦”する他者関係的活動」です。
その“操縦”が目的達成(利潤の獲得)に導くかどうかは別として、そうなるように必死に“操縦”しているのです。
市場は、そのような無数の操縦の正誤にジャッジを下す機能を持っているだけです。
(市場や国民経済の動きは、そのような人々の経済活動の結果であり、それを数値的に表現したものです)
ある目的を持って経済主体を操縦している人々が関わらないで動く市場や経済があるというのなら、それをお示しください。
もちろん、あなたが“操縦”という言葉を“外から経済をコントロールする”という意味合いで使っているらしいことは承知しています。
しかし、マルクスやケインズが「直接に操縦する」思想を持っている考えるのは、集産主義者や(国家)社会主義者などの思想と二人を混同する誤りです。
資本制経済システムを否定し資本制経済システムの崩壊論を唱えたマルクスが、「人間が、経済を直接に操縦する」という思想を持っていなかったことは自明です。
マルクスは、個々の資本家がどんなにあがいても論理(資本の運動法則)で資本制経済は崩壊すると主張した人です。
ですから、マルクスは、「人間が経済を直接に操縦する」立場ではなく、「人間は(資本制)経済を操縦し切れない」という立場にあるひとなのです。
ケインズは、市場の規定性を理解し尊重していたからこそ、政府部門が市場に有効需要を持ち込むことで国民経済を波及・連関的に拡大できることを説明したのです。
ケインズは、経済を直接に操縦するというより、経済活動を操縦している人たち(経済主体)に操縦しやすい条件を投げ入れることを唱えたと言ったほうがいいでしょう。
一方、「市場原理主義」や「新自由主義」は、国家機構が経済活動を規制したり経済活動を行うことを否定しますが、中央銀行の関与には触れません。
中央銀行が金利を設定したり通貨発行量(通貨供給量)を制御するのも、「人間が経済を直接に操縦する」ことに他なりません。
「市場原理主義」や「新自由主義」の“本義”から言えば、金利は個々の融資取り引きという市場で決まるべきもののはずですから、発券権限を有する中央銀行が一方的に宣言するかたちで金利が決まる現状に異を唱えなければなりません。
通貨発行量も、市中銀行が合意した金利で借りる意志があり信用力もあるのなら通貨を供給し、約定通りに返済してもらうことで変動するものでなければならないはずです。
(金本位制ではないので、通貨発行量のシバリは“人間の操縦”以外にありません)
政府部門が財政支出で“操縦”できるレベルよりも、中央銀行が金融政策で“操縦”できるレベルのほうが低いというわけではありません。
理論や思想については、流布されているイメージではなく、内容をもう少し峻別する努力をされたらいかがでしょうか。