★阿修羅♪ > 議論22 > 238.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: いやなことを、色々言わせて、ごめんなさいね。 投稿者 NJ 日時 2005 年 10 月 26 日 05:26:07)
手術後とはたいへんでした。
お疲れ様でした。
医師が過労死では、なんとお悔やみ申し上げて良いのか言葉も見つかりませんので・・
御自愛、御他愛ください。疲れているのに「御他愛」では残酷か。
冗談抜きに、私のつまらない意見が余分な労力を使わせた様で、
申し訳ないことです。
さて、私には、文才も無い上に読解力の無いことも分かりました。情けないことです。
おまけに金も無いとなると、そのうち「無」の悟りを開くのではないかと
期待したりするのですが、結局、「命が無い」で決着がつくのかも。
NJさんは指摘していますが、私の文章はとげとげしかったですか。
文章を書くうちに、しだいしだいに感情が入ってきてしまったのでしょうかね。
町医者さんやNJさんには不愉快だったかも知れません。失礼しました。
町医者さんも、もう嫌でしょうが、もういちど引き合いに出させてもらいます。
申し訳ないです。
http://www.asyura2.com/0505/health10/msg/566.html
終末期医療に関して投稿しているのに、その中に死にゆく人の事が一言も
入っていなかったのが、不思議でした。
もし、これが誰か分からなかったら、私もレスしなかったと思います。
ただ町医者さんが「医師」であったからこそ、これで良いのか
という気持ちと、病院に対する不信感から感情が入り始めたのだと思います。
二人とも、医師として真摯な人柄が伝わってきます。
しかし、すべての医師がそうではないんですよ。
不愉快な医師やおかしな医師もいますし、
病院のシステムも、?マークを付けたい時があります。本当に。
自分の頭の中で、ポイントは一つとして書いているつもりなのですが
文章として書くと、なかなかうまく表現できていないのかも知れません。
整理すると(これもうまく表現できているのか自信ない)
疑問=>「人間の最後を病院にて看取る必要があるのか」
自分の考え=>各家庭にも様々な事情があるので、一般化はもちろんできないが、
「できるならば、最後を家で迎えるのがよい」
理由
1.病院は個々の事情を抱えているようで、スタッフを
を切りつめるためか、入院患者一人一人に家族の様な丁寧な対応ができない。
この現実を実感して書いたのが、私のくだくだしい文章です。
2.介護を通じて分かったことは、大変なこともあるが、介護をする人も受ける人も、
得る物が非常に大きい。
これを表現したつもりが、私の別のくだくだしい文章です。
3.現代医療で助からないとした人に対して、病院でしかできない事は何か?
それほどには、手だてがないとするならば家で見てもよいのではないか。
家族<=>患者(?)<=>医者の関係では、往診という手段があるのではないか。
「往診という言葉は死語か」というのは、この意味です。
NJさんが往診している、していないの話ではないのです。
表現が適切でなかったようです。失礼しました。
この考え方を持っていましたので、「身近な医者はぜひ必要」とも書いたのですが、
その投稿は消えてしまったようです。
4.社会的に「生」が何故これ程まで軽くなってしまったのか。
私は肉親の死が身近に無くなってしまったのも一因ではないかと考えるわけです。
これが、必要にして不十分な私の意見です。
ただ、私がNJさんの意見を読んで感じたのは、都会と地方の病院では
かなり事情が違うのかなという感じがしました。
医療というのは、地域や個々の病院によって、かなり差があるのでしょう。
これも、NJさん、町医者さんなどの医師としての意見、
私のような家族からの意見としての違いとともに
見方の違いを生んでいるかも知れません。
繰り返しになりますが、「生き方」などの議論になると、
もうお互い決着がつかなくて、下手をすると
三途の川を渡る船の中でまだ「生き方」を議論してたりすることになりかねない。
自分への批判を何処まで受け入れられるか、受け流すか、
自分の心の容量しだいなのでしょうが、これが難しい。
共振する周波数帯を広げておきたい、要領から容量へ、これは、自分への自戒です。
この様に賢人ぶりながら、
もし医師が不治の病にかかり、その職業を隠して
自分の知らない病院で治療を受けたら、現代医療にどんな感想を持つのだろう。
もちろんその様なことは起こり得ないとは思いますが、正直すこし聞いてみたい。
このせこさ! が自分です。
この多面性が人間の、愚かさと、尊厳の根源かも。(自己弁護に終始か)
NJさんは医師としての立場から、私は家族としての立場から
こんなのはどうでしょう
「長寿頌」
七十歳にてお迎えのある時は
いま留守と言え
八十歳にてお迎えのある時は
まだ早いと言え
九十歳にてお迎えのある時は
そう急がずとも良いと言え
百歳にてお迎えのある時は
時期を見て、こちらから
ボツボツ行くと言へ
NJさんの気力には驚かされました。
患者さんにその気力を注がれて
素晴らしい医師になられる様(現在も素晴らしいのかもしれない)
期待しています。