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(回答先: Re: 「生きる事は死ぬ事と見つけたり」で感じている事 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 10 月 21 日 03:27:38)
>今のBBマークさんは、まるで自分にはまだ0ヶ月が起きていないと思っているから、勘違いし易いのです。
勘違い?というと・・・何の事でしょう。
>我々全員が、0ヶ月かどうかは知りませんが、死ぬ向かって時間の中を進んでます。
>癌であろうと、交通事故であろうと、言われ無き殺人かもしれないし、とにかくBBマークさんも、死にまっしぐらで時間を過ごしています。
>Oヶ月なのか、O年なのか、100年なのか、時間の長短はあろうが、ここを読んだ後、外に出てダンプに轢かれて死ぬかも知れません。とにかく死ぬのです。
>だから「あとOヶ月」と言われなくても、時間の問題で、もう死は宣告されているのだから
それは理解してます。
だから死を意識するような社会がなぜ悪いと、提言しているのです。今の社会は死を忘れさせるためのシステムが稼動しているみたいです。誰しもが「死」と隣り合わせなのに、なぜ「死」と対面しないのか?「死」は決して悪いものじゃない。日常茶飯事だ。
「死」があるから「生」を考えることができるのだ・・と。
だから「あとOヶ月」という例においては、ようやく人間は生について考えることができるという事例であり、俺から言わせればもっと早くから考えたほうがいいんじゃない?と思っているだけです。
>『武士道とは死ぬことと見つけたり』
>なんと美しい優雅な言葉でしょうか?
美しいかどうかは、わかんないですけど(笑)、まーそうでしょうねー。
>美しい大和言葉で、「武士道とは、死に至るまでの『生きる道』を見つけたり」だと思っています。
個人的な『生きる道』は見つけられるとは思いますが、それはただのこじつけの人生観でしかないはず。ある意味においては、偽ものの人生観とすらも言えるかも・・・。