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(回答先: Re: 不健康版での終末医療に関するご意見への私見 投稿者 一鍼多助 日時 2005 年 10 月 16 日 01:14:43)
>だいたい、終末期医療なるものが存在するのか、私には疑問です。
これはむしろ、絶対死なせてはならない若い、良性疾患の方には、気管挿管や人工呼吸や透析・血漿交換・臓器移植などの高度医療を駆使してでも救うべきだが、悪性疾患末期などで、たとえ高度医療で乗り越えても苦痛・延命の点で、そこまですべきではない、むしろモルヒネを使って苦しみから可能な限り解放してあげようとする思いやりの観点から、終末期医療を分けて考えているものと理解しています。
>しかし、有効性の連鎖を追えば、
>最後は、気管挿管まで行きませんか?
>医師として、有効性の連鎖を途中で止めることが出来ますか?
年々、終末期医療で気管送管まで至るケースは、少なくとも小生の周囲では減ってきておりまし、ご家族もそこまでして延命は望まない事が多いです。それには、医師側はなんの抵抗もありません。
>また、逆に医師は人の死を見すぎる傾向にありませんか。
>これが死を単なる事実の一つにすぎないものにして
>しまっていないでしょうか。
確かに、死に対する感情が一般の方より鈍磨していると感じます。自分も、一人の患者の死にいつまでもとらわれず、他の重傷者の支持を冷静に戻って、すぐにも出さねばならない状況でした
>家族の身近に死があるからこそ、他人の死に対する思いやりが生まれる
小生もそう思います。
>その為には医師自身も家族自身も生命に対する考え方、死に対する考え方
>そのものを変えていく必要がある気がします。
>それが医療も、医療制度も変えていく
>力になるのではないでしょうか。
生死感を持って生きる事は重要だと思います。それによって医療も変わるでしょう。
>しかし、私も患者という言葉を使ってしまいましたが、
>死にゆく人を患者と呼べるのかどうか?
>医師自身がどうしようもない人をです。
死に行く人も、そうでない人も、救えないと考えている人も大事な患者さんと考えております。
>それならば、早めに家族に返し、家族から涙ながらに送って
>もらうのが一番よいのではないでしょうか。
それぞれの患者さんの予後を検討して、そうできればと思います。
>現実問題として出来るのか分かりませんが、
>方向性はこの流れが良い感じがします。
他の投稿でも書きましたが、理想としてはそういう方向に向かえばと思っております。