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不安と不健康版で、一鍼多助さんのレスがあまりにも真摯に終末期医療の事を考えていらっしゃるし、内容にも是々非々なので、引用符をつけて再褐し、個々にアンサーの形で私見を記述させていただきました。
Re: 在宅終末医療が一般化されるとどうなるか考えてみました。
http://www.asyura2.com/0505/health10/msg/574.html
投稿者 一鍼多助 日時 2005 年 10 月 14 日 23:20:03: Ini9COu.4I8AU
(回答先: 在宅終末医療が一般化されるとどうなるか考えてみました。 投稿者 町医者 日時 2005 年 10 月 14 日 12:30:30)
>この辺になると私もついて行けなくなってしまいます。
大部分の医療関係者も悩みながらやっていると思います。
>人間の最後の一時期が何故政治的、経済的、労働力の
>評価対象になってしまうのか。
>人間に対する見方がどこか間違っているという感じがします。
>現代医療は余りにも死を機械論的に見過ぎていないだろうか。
>人間の死がかくも軽くなってしまうとは。
>日本人は肉親の死という実感までも人任せにしてしまうのだろうか。
小生も同感です。
>私は生まれがかなりの田舎なので,村人の葬式というのを子供心に
>憶えています。もだえるように悲しむ人々の姿、それを慰める人々
>様々な人間模様で、それは死というものを実感させてくれます。
>>患者である家族に対して、看ている家族がどこまで心を鬼にできるかという問題。
「自然経過」によって、家族が苦しむのを看るに見かねて結局病院に連れて行くという事が多いための記述でした。
>しかし、心を鬼にしなければならない医療が行われていないでしょうか。
延命を求めるあまり、結果として、そういう医療になってしまう場合もあろうかと思います。厳に、自ら戒めるべきと考えます。
>>だんだん食欲がなくなってくる→点滴が必要になってくる。
>だんだん食欲が無くなってきているのに、何故点滴が必要になってくるのか。
>私はここから問いたいのです。
>この時点で患者は苦しいのでしょうか?
>高齢の人が、だんだん食欲がなくなるというのは、まさに人間が死にゆく準備に
>入ったと言うことではないでしょうか。そのまま枯れていく生命を、
>無理矢理延命させて、医者は誇るかも知れないが、
>患者の苦しみは大変なものかもしれない。
>この苦しみを見るに堪えない家族がいても不思議ではない。
>家族の逃げの可能性もありますが・・・。
個々のケースで違いますが、点滴1本、あるいは2−3日点滴で、もとの食欲がもどり、以後数日から数週、数ヶ月維持される場合が少なくないのです。
点滴を単なる延命と考えるのは早計だと思います。
元の様に食べられる様になれば、しばらく好きな食べ物を食べさせてあげれるし、人生の楽しみの1部を再び甘受できるのです。
また、逆に、食べられなくなって、脱水になれば苦しいです。口も渇くし、血液も円滑に流れない為、全身に栄養が行き渡らず、全身倦怠感や、脳にも充分栄養行かない事や、尿に毒素が排出されなくなる為、精神症状、意識低下も来します。
点滴で以上を回避できるステージであれば、苦痛を除いてあげたり、本来の人格を保ってあげたりしたいです。
まだ歩ける人であれば、確かに行動を制限される事はあります。
痛みが強い場合は鎮痛・苦悩が強い場合は安定剤など、対症療法をもちろん併用します。しかし、これらは延命に関してはマイナスになる事が多いのですが、医療関係者はそれこそ、延命だけが仕事ではなく、誇りにしているのではなく、残りの人生のQOL(quality of life)を達成できたとき誇りにしている割合が年々増えているものと信じていますし、最近はそういう教育を受けて来ています。
>医者としての立場では、患者を生かすために最善を尽くすというのは理解できます。
>しかし、この努力が逆に高齢の患者と家族に負担をかけていないのでしょうか。
>ここに大矛盾があるような気がします。
さすがに、気管挿管(人工呼吸)以降はそう思います。気管にカテーテル留置されただけで苦痛は甚大だし、それを緩和するため鎮静剤を使えば、昏睡になります。患者さんは会話もできません。
>国は名付けて、終末期医療などと言う。名前は立派ですが、実情は如何なものか。
>このような名前があること自体がおかしい。
>国の言う
>「・・終末期を迎えた患者の尊厳を重視するとともに・・・」
>等は嘘っぱちに決まっている。
財務省や諮問会議からおりてくる法案に関しては、まず医療費切りつめありきなのでそう思います。
>しかし、家族自身が死に対する考え方を変えなければ、人間の尊厳など永久に
>言葉だけの問題で終わるのではないでしょうか。
そう思います。我々も常々内省しております。
>無理かも知れないが、死を病院から取り戻すことも必要かと思います。
やはり、自宅で最後を迎えたいという方が多く、理想はそうあればと思います。
>安楽死にしても私的には疑問の残るところです。
>調べる資料がないので何とも言えないのですが、
>この概念が一般的になったのは何時頃からでしょうか。
>延命治療の進歩と期を一にしているのではないか。
>下手をすると苦しむだけ苦しませて、三途の川を渡らせる事になりかねない。
「終末医療」のやり方がまずければ実際そういう事になりかねません。
>医療は誰のためにあるのか?
>死にゆく準備に入った人には、医療は無力でしょう。
医療は患者の為にある。死に行く準備に入った人にも、余命のQOL向上という点でも医療はお役に立てる事は多いと思います。
>日本人自体が死というものを、もう一度実感をもって考え直さなければ
>医療は変な方向に向かってねじ曲げられてしまうのではないでしょうか。
>その様に感じます。
小生もそう感じます。