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(回答先: デラシネさん、私が何歳なのか御存知ですか? 投稿者 乱 日時 2005 年 10 月 03 日 06:23:01)
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老人の方も、生き生きと天寿をまっとう「しなければならない」と自分に言い聞かせ、社会的には無用のお荷物と思われていることを知りながら、お迎えがくるまでじっと耐えて待つような人生に果たしてどんな意味があるだろう。
日本という国の維持・安定・存続を願い、老人が増えることが社会問題だとするならば、
長寿を祝うなどという欺瞞はやめて、現在の社会的要請にもとづいて「長生きは迷惑だ」といった逆キャンペーンを張り、社会的役割を終え、生きる意味を失った老人の死を手助けするような制度や施設があったらいいと思う。
それが社会的な価値を価値として生きる我々の、社会的人間らしい生死のありようだと思う。
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いうまでもなく、この社会を形成しているのは我々です。
目を塞がずに、ベールを剥ぎ取ってありのままを見れば、老人を社会的に「産業廃棄物」扱いしている我々の社会の実相が見えるでしょう。
人が老いることを醜く、疎ましく、みっともないことだと思っているのは、若者だけではありません。
老人自身も消極的にであれ、そうした社会通念を受け入れているわけです。
そういう時代なんだから仕方がないと諦めて、「自発的服従」に甘んじることが悪いとは言いませんが、それが世俗の構造を支え、そうした価値観の再生産に加担することに他ならないのだということは、せめて自覚して生きる方がいいと思います。もちろん、老いも若きも。
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「老人は産業廃棄物」という戦争さんの発言から派生したスレなので、こちらも「若さ」に対する価値というものが、市場原理主義によって捏造されたものという事実を提示したまで。
もとより生まれ、生き、老い、死んでゆく我々ひとりひとりの人間が暮らす社会に、若さや老いに対して偏向した価値を付与することじたいが愚の骨頂であり、生に対する冒涜であろうと俺は思っている。
だが悲しいかな、日本を含む多くの資本主義社会では、若さを賞賛し、老いを蔑む風潮が跋扈している。
あなたの二つの投稿から見えてくるものは、氷のように冷めた目であり、心だ。
そこには生まれ、生き、老い、死んでゆく我々「人間」の中に、あなたは「あなた自身」を含めていないように思える。
そして「社会的要請」(←捏造されたものだが)が、人間の尊厳より優先すると、何らの良心の呵責すら感ずることなく言い切ってしまう冷酷さ。
幼い頃に布団の中で、冷たく凍えた足を爺ちゃん婆ちゃんに温めてもらったことのある人間だったら、そんな言葉は金輪際吐けないだろう。
俺の住むこの国でも、ジワジワと“極右”が発言権を獲得している。
人々をある“属性”において判然と区別し、貶め、排斥する思想。
「歴史は繰り返す」という言葉の信憑性を、俺はあなたの言葉の中に見た。