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(回答先: こんなもんで、どうじゃろか? 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 10 月 02 日 00:53:35)
資本主義社会において強者というのは、使えないお金を抱え込まざるを得ない「お金持ち(米国債持ちの日本、預金持ちの老人)」ではなく。
より多くの人の欲求、必要をより効率的にうまく満たす事ができる主体。
若しくは、そうだと思わせる事に成功した企業、と言ってもいいでしょう。
誰かの役に立って喜ばれ、求められるような「場所」で、そのような誰かと共に暮らしたい。
というのはワヤさんの言うように、人間の最も基本的な欲求じゃないでしょうか?
知り合いの一人に、長年勤めた工場が閉鎖になり、解雇された50代後半の男性がいるのですが、彼の蓄積してきた知恵も、技術も、日本ではもう必要なくなったのです。
パートタイムの雑用係のような仕事を紹介され、そこももうすぐ定年退職です。
「あとは孫の遊び相手になるだけが楽しみ。再就職しなかった同僚の多くは『毎日が日曜日、仕方ないわな。』と腐った魚みたいな目をしてるよ。」
工場の機械の多くは中国に払い下げされたらしいのですが、
日本ではもう必要ない彼の技術、知恵があちらでは必要とされているはずなのです。
そんなに簡単な話では無いかもしれませんが、世界を見渡せば、内戦や災害、そもそもの生活水準の低さなどが理由で平均寿命が短く、高齢者など何処にもいない、国作りをしようにも人材が決定的に欠けているという国は沢山あります。
ここでは使い道の無い廃棄物かもしれませんが、あちらへ持っていけば宝の山、
かも知れないのです。
とれすぎて余ったものは輸出し、足りないものは輸入すればいいのです。
もういちど「産めよ増やせよ政策」を採用するなんていうのは下の下です。
30年前とは時代が違ってます。
各自、おのおのそれぞれが、能力を発揮でき、それが求められる場所で生きて働けばいいのです。
ヒトモノカネの移動が自由になったグローバル化された世界、「帝国」では。