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(回答先: 「自発的服従」を止めることでしょうね。 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 10 月 01 日 23:36:56)
「身体は衰えていき、社会の関係性の網の目からは脱落していき、徐々に状況は悪くなっていくばかりなのが自明となり、…しかし、自然に死を迎えるまでの生存が保証され、するべき事は何も無く、誰からも何も求められない。」
ような人達を「老人」と呼び、「産廃」と呼ぼうとしています。
「せんぱい」は音が似ていていいかも知れません。
目の前の光景が下り坂となり、可能性が見えなくなる時点が、人が「老人」になる時でしょう。
その意味では、小学生の老人はいても不思議じゃありませんね。
「自発的服従」 ですが
彼ら老人達は、企業人として、工場労働者として、会社に囲い込まれ、生を保証され、飼い主の利益に奉仕するために生かされてきた家畜と言っていいでしょう。
自営業者も農民も事情はそう変わりません。
囲い込む飼い主が自民党政権だったというだけです。
家畜はその用を終えれば処理されます。
乳の出なくなった牛、卵を産まなくなった鶏は食肉となります。
生産に必要じゃなくなった…は、・・・。
インドでは牛が聖なる生き物とされているため、農耕や搾乳用の牛が用済になっても処理されず、街に放たれて「野良牛」となります。
彼ら、牛達は街を徘徊しながら結構うまく食料を確保して寿命をまっとうしているように見えます。
健康の為に早朝に散歩をしている「老人」を見かける度に・・・