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唯物史観の現代的発展を求めて
深山和彦
http://www.bekkoame.ne.jp/i/ga3129/roronn2yuibutusikann.htm
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目次
はじめに
T 「機械制大工業」がキーワードだった
(1) 「機械制大工業」の限界
(2) コンピュータ・ネットワークの技術的特性
@機械の作業を制御する装置
A経済活動全体をネットワーク化する装置
B家族の在り方に変容を条件づける装置
(3) 「コンピュータ・ネットワーク=機械」論に固執する傾向
U 生産力の「量」だけ見ていた
V 物質的条件の成熟のないところで社会革命に苦闘
W 唯物史観の動揺・その1
―黒田寛一の理論―
X 唯物史観の動揺・その2
―A・フィーンバーグの理論、レギュラシオン理論―
Y 「労働手段の成熟」と「人間の時代」の到来
(1) 唯物史観の現代的発展 (2)自然環境問題
(3)差別問題 (4)政治革命と社会革命
Z 付記
―ポストモダンについて―
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はじめに
マルクスは、次のように述べている。
「私にとって明らかとなった、そしてひとたび自分のものとなってからは私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単にいえば次のように定式化できる。人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的意識諸形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないが、所有関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。その時に社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激に変革される」(「経済学批判 序言」マルクス、マルクス・エンゲルス8巻選集、大月書店p40)と。
われわれが今、現代を「研究」するに当たって「導きの糸」とすべきものこそ、唯物史観のこの「一般的結論」に他ならない。なぜなら、今まさに「物質的生産諸力」に質的変化が起こっており、資本主義的生産関係と「質的」に矛盾する物質的生産諸力の発展の時代が始まっているからである。
そもそも物質的生産諸力は、労働対象、労働手段、労働力の三つの要素で構成される。とはいえ人類の歴史において、この三つの要素が常に同等の重要性をもっていた訳ではない。これまでの人類史の大部分にあたる採集・狩猟の時代には、労働対象としての自然が最も重要な地位を占めていた。それが1万2千年ほど前から、労働手段の発達と人口の増大とにともなう相対的な自然の枯渇を契機に、地球上の少なからぬ地域で、採集・狩猟時代から農業・牧畜時代への移行が進行した。それは、三要素の関係における労働対象から労働手段への規定的地位の移行であり、物質的生産諸力の最初の大きな質的飛躍であった。この物質的生産諸力の質的飛躍は、生産関係の大変動を伴った。労働手段を所有し、労働手段と労働力を結合させ、他人の労働を搾取する階級が生まれ、階級対立の発生と共に国家が形成されたのである。労働手段の時代は、機械制大工業の時代になって極まる。
今日、労働手段の発達は、労働対象であった対象的自然の労働手段(農牧地)への改造、人間が自己の手をもって使用する道具の発達、人間の筋肉労働を代替する装置(=機械)の創造、人間の精神労働を代替する装置(=コンピュータ・ネットワーク)の創造へと至り、人間労働をトータルに代替する装置が発達する成熟段階に入った。このことは、社会に次のような変化を促している。
第一は、国家および企業の官僚機構のコンピュータ・ネットワークによる代替と社会組織のネットワーク化の進行。労働現場における精神労働(構想機能)の回復と分業体系の特定の分節に人が固定されない労働スタイルの促進である。
第二は、労働手段の成熟段階(量的に言えば物質的豊かさを実現できる生産力水準)への到達が、継起的により高度の物的豊かさを求めて労働手段(その体系としての産業)の高度化を牽引してきたこれまでの社会的欲求に代わって、一人ひとりの人間(経済的には労働力)の自由な発展の実現を社会の目的に据えることを求める質的に新たな欲求を醸成していること、経済活動の中で人間の自由な発展を支援する労働領域の比重が高まっていることである。今日の自然・環境保護運動の高まりも、こうした変化を構成するものである。
第三は、各人の自由な発展の実現を求める社会的欲求の増大が、人口急増の時代を終らせるということである。
第四は、物的豊かさを実現できる生産力水準、各人の自由は発展の実現を求める社会的欲求の増大、人口急増の終焉などが、贈与経済を拡大するということである。
こうして現在の物質的生産諸力は、「労働手段の成熟」を契機に、三要素の相互関係における規定的地位が労働手段から労働力へと移行する質的飛躍の局面に入っているのである。
われわれが今日、唯物史観をもって現代を捉えようとするならば、まずもって物質的生産諸力のこの質的飛躍が捉えられていなければならない。この物質的生産諸力の質的飛躍と資本主義的生産関係との矛盾の展開が、今日の世界史の大転換の基底に在るのだ。その展開の解明は次の機会に譲るとして、その前に唯物史観に関する上記の視点を欠いたこれまでの諸見解を克服しておくことにしたい。
T 「機械制大工業」がキーワードだった
(1)「機械制大工業」の限界
マルクス主義者は、「機械制大工業」の発展をキーワードとしてきた。
曰く、資本主義の下での機械制大工業の発展が、社会主義革命の指導階級=近代プロレタリアートを生み出した。資本主義の下での機械制大工業の発展は、生産の社会化と領有の私的性格の矛盾を拡大し、私的所有制度の廃絶へと至る革命を導く。機械制大工業の発展は、社会主義革命の物質的条件の成熟である、等々。この理論は、実践においても、大工場の中へ、手工業性との闘争を通した革命党の建設を、等々として深く貫かれていた。
だがわれわれは今、労働手段の発達における「機械制大工業」の限界(=発達途上性)を語りうる時代に生きている。マルクスやレーニンには見えなかったこと、見えるはずもなかったことが、この時代に生きるわれわれは見ることが出来るのである。とはいえマルクスは、資本論において資本の運動が立脚する「機械」を綿密に分析しており、その限界に関するヒントもわれわれに残してくれている。そこにわれわれは、発展の理論としてのマルクス主義の面目を見ることが出来る。マルクスの機械に関する分析は、以下である。
「すべての発達した機械は本質的に相異なる三つの部分から成り立つ、―発動機、伝力機構、最後に道具機または作業機がそれである。…機械中のこの部分―道具機―こそは、18世紀の産業革命の出発点である」「道具機とは、適当な運動を伝達されるとそれに属する道具をもって、かつては労働者が類似の道具をもって行ったのと同じ作業を行うような、一機構である。動力が人間から出るか、それ自身がさらに一機構から出ているかということは、事態の本質を何ら変化させない。本来的な道具が人間の手から一機構に移されると、単なる道具の代わりに機械が現れる。」「同じ道具機によって同時に運転される道具の総数は、そもそもから、一労働者の手道具を狭小なものたらしめる器官的制限から解放されている」「まず道具が、人体用の道具から機械装置用の道具すなわち道具機に転化した後、いまや発動機もまた、自立的な・人間力の諸制限から完全に解放された・形態を受け取った。かようにして、これまで考察した個々の道具機は、機械的生産の単なる一要素に低下する。今や、一個の発動機が多数の作業機を同時に運転することができた。同時に運転される作業機の総数が増加するにつれて、発動機は強大となり、また、伝力機構は発達して広大な装置となる。」「本来的な機械体系は、種類を異にするが相互に補足しあう諸道具機によって遂行される相異なる段階的諸過程の相関連する一系列を労働対象が通過する場合にはじめて、個々の自立的な機械にとってかわる。マニュファクチュアでは、特殊的諸過程の孤立化が分業そのものによって与えられた一原則だとすれば、発達した工場ではその反対に、特殊的諸過程の連続が支配的である。」「一産業部面における生産様式の変革は他の産業部面における生産様式の変革を条件づける。…工業および農業上の生産様式における革命は、殊にまた、社会的生産過程の一般的諸条件すなわち交通=および運輸手段の革命を必要ならしめた。」「かくして大工業は、その特徴的生産手段たる機械そのものを征服し、そして機械によって機械を生産せねばならなかった。そこではじめて大工業はその適当な技術的基盤を創造し、自分自身の足で立ったのである。」(「資本論」、長谷部文雄訳、青木書店、第1部p612−628)
つづいてマルクスは、資本が機械の導入をテコに、女性および児童をも資本の搾取過程へと大規模に引き入れること、労働時間を無制限に延長しようとすること、そして労働時間の法的制限の下で労働の密度をおどろくほど高めるということを指摘した後、機械制大工業が労働のあり方にもたらす転換の基本的特徴を明らかにする。
「マニュファクチュアおよび手工業では労働者が道具を自己に奉仕させ、工場では労働者が機械に奉仕する。かしこでは労働手段の運動が労働者から起こり、ここではその運動に労働者が追随せねばならない。マニュファクチュアでは、労働者が生きた一機構の手足をなす。工場では死んだ一機構が労働者たちから独立して実存するのであり、労働者たちは生きた付属物としてこの機構に合体される。…労働過程であるばかりでなく同時に資本の増殖過程たる限りでのすべての資本制的生産にとっては、労働者が労働条件を使用するのではなく逆に労働条件が労働者を使用するということが共通しているが、しかしこの転倒は、機械を待って初めて技術的・感覚的な現実性を受け取る。…生産過程の精神的力能が手労働から分離すること、および、この力能が労働に対する資本の権力に転化するということは、すでに以前に示唆したように、機械を基礎として建てあげられた大工業において完成される。」(同上p684―5)
労働者は、「精神的力能」を奪われ機械の「生きた付属物」に転落する。労働は、ますます分割され、ますます無内容となり、労働者は機械にとって代えられていく。それと共に、生産の管理や技術の開発という「精神的力能」は資本の力能となる。その結果が、官僚機構と研究開発部門の肥大化であった。
まさに資本にとって機械は、労働者階級の「相対的過剰人口」部分の競争的実存と並んで、労働者に対する資本の専制支配を保障する両輪を形成しているのである。そしてここで指摘しておかねばならないのは、機械制大工業が巨大な官僚機構を必要とするということ、そこでは人間のピラミッドによる情報の集中と中央指令の伝達の熟達、官僚機構構成員が長年かけて蓄積する管理情報と管理技術への依存を不可欠とすることである。このことはとりわけ、工場のレベルを超えて社会システム全体の管理を構想するとき言える。この技術的基盤の上では、たとえ労働者が政治権力を樹立したとしても、管理する人々とこの人々に指揮され労働する大多数の人々への社会の分裂はまだ廃止できないのである。
マルクスは、機械をその「資本制的充用」から区別し、社会革命の物質的基礎としてその利用形態を考察している。すなわち機械制大工業が、労働時間の大幅な短縮を可能ならしめ、かつ、職人的複雑労働を簡単な労働に置き換えることによって、分業に隷属することのない自由な発展への道を開くことなど、いくつかの重要な指摘をしている。しかし機械制大工業について、精神労働と肉体労働の分業の廃止という社会革命の中心課題を達成する物質的条件として解明することはできていないし、なしえることではなかった。とりわけ、一工場を越えた、社会の総過程の管理の問題を視野に入れたとき、その限界性は明らかだった。
(2)コンピュータ・ネットワークの技術的特性
今日われわれは、新たな技術体系の発達を目の当たりにしている。新たな技術体系の基軸は、機械を包摂して発展するコンピューターネットワークに他ならない。機械の本質が、人間の筋肉労働を代替し道具を包摂した点にあるとすれば、コンピューターネットワークは、人間の精神労働を代替し生産だけでなく経済だけでなく人間の社会生活全体をしかもグローバルな規模で組織化するためのシステムだという点にある。
コンピューター・ネットワークの発達は、経済・政治・文化を貫いて社会生活の隅々にまで大きな影響を及ぼしつつある。人はこれを技術革新の第三の波、情報化時代、情報通信革命などと言う。「第三世界」においても、帝国主義諸国からの製造業の移転を契機とする工業化の大波と重なるようにして、情報化の波が広がっている。ここでは、経済の領域に限定してこの技術の発達について見ていくことにする。なお読者は、ここで対象としているのが単なる計算機としての「コンピューター」ではなく、その発達を前提に発展しつつある情報通信機構としての「コンピューター・ネットワーク」であることに留意されたい。
コンピューター・ネットワークの本質は、コンピューターのそれと同じであり、人間の精神労働を代替し支援する装置である。
コンピューターは、第二次帝国主義世界大戦の渦中で、原子爆弾の研究開発の手段として誕生した。この段階では単なる計算機であり、そのレベルで事務機器としても発達していった。
今日では、単なる計算機としてもコンピューターは、その性能を飛躍的に高め様々な領域で使われるようになっている。宇宙の生成・発展のような実験による証明が不可能な運動のシュミレーション、全てのデザインや条件で実験したのでは多大な時間と資金がかかる飛行機設計の際の流体力学試験や自動車設計の際の衝突耐性試験などのシュミレーション、そして身近なところで企業や個人の会計などに使われている。ワープロとしての利用も、デジタル信号が数字形態の代わりに一般的な文字形態として出力される限りで、単なる計算機としてのコンピューターの利用という範疇を越えるものではない。とはいえ、デジタル情報と文字情報の相互変換の容易化は、単なる計算機としてのコンピューターのコンピューター・ネットワークへの発展を導いた。
コンピューター・ネットワークの技術的特性は、次の三つの点において見ていかねばならない。一つは、物の生産過程で機械の作業を制御する装置だという点である。二つは、生産・流通・消費・廃棄等の経済活動全体をネットワーク化する装置だという点である。三つは、家族の在り方に変容をもたらす装置だという点である。
@ 機械の作業を制御する装置
コンピューターは、機械と結合され、労働手段の構成要素に転化する中で、大きな発達を遂げる。そこでは、労働対象の状態を捉えるセンサーと命令を機械に伝え作動させるアクチュエイターを介して、コンピューターが機械の運動を制御する。コンピューターは、「頭脳」だけの存在から「神経系」と連携して「道具を持った手」をコントロ−ルする存在に転変したのである。
コンピューターが機械を包摂することによって生まれた労働手段は、学習もして多様な状況に対応できる柔軟性のある生産を実行できるようになる。包摂された機械は、それまでのように一つの道具をもって同じ作業を繰り返す装置ではなく、労働対象の変化に応じて多様な道具を使い分けることのできる・一つの道具を多様複雑な仕方で使うことのできる装置へ転変する。
そして工場では、機械を包摂したこのようなコンピューター同士が相互に連携して生産が組織される。工場のシステムは、社会的なコンピューター・ネットワークに接続している。
労働手段のこうした発達は、コンピューター・ネットワークに支援された生産管理という形態で、精神労働を生産現場に引き戻す(官僚機構を不要にする)。同時にそれは、労働者個々人のもつ技術情報をコンピューターのプログラムに移し共有財産とすることによって、生産現場に残る古い熟練形態を最後的に駆逐する。こうしたことは、本質的には、労働者が分業への隷属から自己を解放する条件の成熟を意味する。
単なる機械は、単一製品を大量に生産する。それは、製品を消費者の多様な要求に適合させる柔軟性を持たなかった。これに対して新たな労働手段は、多品種少量生産に適合している。それは、生産の地域分散と各地域住民の多様な必要に応じた生産を可能にするものである。そこにおける労働者の役割は、もはや精神的要素を剥奪された単純作業の繰り返しではなく、労働手段と対話しながら地域住民の多様な必要を満たす共同作業を組織することである。
こうしたことから新たな労働手段は、労働者が生産に際して、自ら構想し積極的に有用な情報を提供して工夫する能動的姿勢でこれに対するときにこそ、その機能を十全に発揮する。だが奴隷制の下では、それが最良の奴隷制であっても、労働者に真の意味で能動性を期待することはできない。共産主義的生産関係の下でのみ、この労働手段の真価が現れるのである。
A経済活動全体をネットワーク化する装置
コンピューター・ネットワークは、これまで国家・企業の官僚機構と市場が行ってきた生産・流通・消費・廃棄等の経済活動全体の管理機能を取り込み始めている。コンピュータ・ネットワークの発達が根底的な革命的変化もたらすのはこの領域に他ならない。
コンピューター・ネットワークには、集中処理方式と分散処理方式の二つの形態がある。集中処理方式とは、情報を各コンピューターから中央のコンピューターに集中・蓄積して利用する方式であり、分散処理方式とは、各コンピューターの情報を特定のコンピューターに集中することなく直接相互に利用する方式である。コンピューター・ネットワークの発達史から言えば、60−70年代に支配的だった前者から、80年代の過渡を経て、90年代には後者が支配的になってきている。集中処理方式は、資本の組織(中央指令型)に適合している。分散処理方式は、情報の源である生産現場、生活現場の人々が直接相互に連携して行動する組織に適合している。
コンピュータ・ネットワークの分散処理方式へのこのような発達は、ハードのダウンサイジング・性能向上・価格低下およびソフトの容易化・豊富化が飛躍的に進み個人の活動を支援できる装置になったこと、人々の自己発展の欲求と結合したこと(「パソコン」という呼称の発明もその一つ)、分散処理の方が集中処理より概して効率的かつ経済的なこと、などによる。
コンピューター・ネットワークの主要な構築主体は、まずもって資本主義的企業であり、集中処理方式のそれを構築した。その典型が、銀行のATM(全自動預け払い機)、コンビニエンス・ストアのPOSシステム(商品が売れた時点で販売情報を中央コンピューターに集中し、消費動向を商品の配送に即座に反映させるシステム)、鉄道・航空の予約システムなどである。こうしたネットワークも、例えば競争関係にある銀行同士がATMを相互に接続し、自行の端末から他行のATMを利用できるようにしているように、分散処理システムを組み込むようになってきている。多国籍企業は、生産・物流・販売・取引の決済・為替などの管理のために企業独自のコンピューター・ネットワークを、分散処理を強める中で、世界的規模で構築している。
分散処理方式のコンピューター・ネットワークの典型は、全てのコンピューター・ネットワークのネットワークであるインターネットである。これは、企業の構築した上記のようなコンピューター・ネットワークをも包摂していくに違いない。
分散処理方式のコンピューター・ネットワークによって人々は、自己の情報と意志を多くの人々に向かってダイレクトに発信できるようになった。それは、現時点でも次のような領域で、社会システムの変化を生み出している。
一つは、個人の自己主張の領域である。これまでは、表現の自由はあっても手段に制約があった。一般社会においてはテレビや新聞などのマスメディアを介さずには、巨大組織においては官僚機構の中枢を介さずには、自己の情報と意志を全体化できなかった。このような媒介項があるとき、自己の情報と意志は多くの場合無視や歪曲や変形を被らずにいないものである。しかし、このネットワークにおいては、パソコンで自己の情報と意志をホームページやメールで、不特定多数の人々に対して国境をも越えてダイレクトに示すことができる。
二つは、災害への救援要請や救援の組織化における民衆同士の協力の領域である。そもそも分散処理方式の典型であるインターネットは、米国において、指令中枢が破壊されて崩壊する従来の組織に代わる・核戦争に耐えられる組織を追求する国家的研究の中で誕生し、それが全米および世界に広がったものである。つまりこのネットワークは、災害によって一部が破壊されても全体は影響されず、破壊された部分の修復に速やかに向かえることをそもそもの特徴としているのである。災害現地の人々が直接に被害情報と救援要請の内容を明らかにし、他地域の人々が直接これに応える。それ自身としては、中央指令型組織の非効率だけでなく、上層階級の利害が優先されて現場の必要が踏みにじられる危険も、中間項がないことであらかじめ排除されている。
三つは、求職・求人の領域である。これまでは、求職・求人をする当事者の間に第三者(学校・職安など)が介在し、情報を集中・提供してきた。そこでは、情報収集における第三者の社会的諸関係に規定された限界や情報の収集・提供過程における第三者の利害の侵入を排除できなかった。しかしコンピューター・ネットワークは、このような限界を取り払い、求職と求人の当事者が自己の情報をそれぞれ公にし、総覧し、求める情報に直接アクセスすることを可能にする。
分散処理方式のコンピューター・ネットワークの発達が社会システムに強要するこうした変容の芽は、今後多方面に現出し、経済領域でも拡大してゆくに違いない。
コンピューター・ネットワークは、企業の官僚機構に置き換わるものである。そしてそれは、生産現場・生活現場の人々が、地域的・国際的規模で、直接に・相互に・速やかに労働力を含む経済的諸要素の配分調整を行うことを可能にする(すなわち市場を廃絶する)物質的条件となるものである。この技術の発達によって資本は、今や、中央指令型大企業の排他的分業構造の枠内で事業を成す従来の仕組みでは生き残れなくなってきており、従来の企業の枠を越えたヨコの連携(ネットワーク)で事業を成す仕組みを拡大しつつある。社会組織全般が、タテ型・指令型からヨコ型・協力型へ移行し始めている。この移行にとっての最後の桎梏は、資本−賃労働関係であり、国家−人民関係に他ならない。コンピュータ・ネットワークは、たとえそれが、資本の主導権によって発展されているとしても、従って労働者に苦痛を及ぼす仕方で発展させられているとしても、その発展は、資本の支配を弱めずにいないものなのである。
なおコンピュータ・ネットワークが機能する上で、情報の標準化とオープン化とは、必須の条件である。人々が、諸組織が、必要な情報を全て、正確に、積極的に提供してはじめて、コンピュータ・ネットワークは十全に機能する。他人を食い物にすることを良しとする市場経済と賃金奴隷制の下で、十全な情報提供を期待することはできず、コンピュータ・ネットワークがその機能を真に発揮することはないのである。
B家族の在り方に変容を条件づける装置
資本主義とその下での機械制大工業の発達は、農業・牧畜時代には生産=消費組織で、子どもの学習(職業訓練等)の場でもあった家父長制家族を解体した。家族は、生産組織であること・子どもの学習の場であることを止め、専ら消費のための組織となった。家族の住居は、生産活動の場(職場)から離れた。家族にあっては、夫は「仕事」専業、妻は「家事・育児」専業という分業が促進され、この分業を基盤に貨幣収入を持ち帰る夫の妻に対する支配的関係が成立した。親の子に対する支配的関係も、もっぱら生活費の所有を根拠とするものとなった。
これに対してコンピュータ・ネットワークの発達は、精神労働と筋肉労働の分業の止揚と生産拠点の分散・多品種少量生産を促進することで、都市と農村、農業と工業の対立の解消、地域社会の協働関係の強化をもたらす。またこの新たな技術の発達は、大幅な労働時間の短縮を可能にする。こうしたことは、自由な自己発展の欲求を起動力として、家族のあり方に次ぎのような歴史的変容をもたらさずにいない。
職住の接近。地域の社会・経済的な諸活動と結びついた・各人の自由な発展を保障する生涯学習システムの建設への参加。男女の役割分業の廃止。夫の妻に対する、親の子に対する支配関係から、相互に自由な発展を尊重し援助する関係への移行。地域=職場の環境問題への関心・関与の高まり。
この変容の最後の桎梏は、コンピュータ・ネットワークを基幹とする生産手段の私的所有制度である。もっともコンピュータ・ネットワーク(とりわけ重要なその中味たる『情報』)は、私有にそぐわないもの、本質的には公共財なのである。私的所有制度は廃絶され、新たな家族形態の全容が現れるだろう。
(3)「コンピュータ・ネットワーク=機械」論に固執する傾向
コンピュータ・ネットワークの発達を『機械』の発達の内に位置付けようとする傾向は根強い。技術論・技術史を専門とする星野芳郎も、1999年11月の講演(「現代技術の歴史的・論理的評価」と題するレジメ)の中で、次のように主張している。「現代技術の多くは、第二次産業革命期(1870年頃から1920年代の期間を指している―引用者)の技術の部分的改良の枠を越えるものではない」「情報革命とは、情報の大量・高速伝達、大量処理(問題情報→解答情報)だけのこと」「情報革命の到来により、機械文明が爛熟し、…」と。
もとより、こうした傾向に深く囚われているのは、われわれ共産主義党派であるだろう。われわれは、労働手段の前述した歴史的飛躍を確認するところから出発して、教条主義的見解を克服し、マルクス主義の現代的な理論的発展を勝ち取っていかねばならない。
なおここで、コンピュータ・ネットワークが発達する時代を、「農業の時代」「工業の時代」に続く「情報産業の時代」と、産業の発達からもっぱらでないまでも主として捉える主張について、付言しておきたい。コンピュータ・ネットワークが発達する時代とは、実は、労働手段(=産業)が『成熟段階』に到達した時代なのであり、労働手段(=産業)の要素が社会的規定力を衰退させ、労働力(=人間)の要素が浮上する時代なのである。だから、労働手段(=産業)の発展という見地からこれからの時代を位置付ける見解は、極めて一面的であり、その意味で誤りだといわねばならないのである。
U 生産力の「量」だけ見ていた
「機械制大工業」の発達は、資本が労働者に対する専制支配を確立・拡大再生産する物質的条件であった。労働を細分化・無内容化し、現場労働から精神的機能を分離・専門化(管理機構と研究開発部門を肥大化)する労働手段であるところの機械制大工業が、人々の分業への隷属構造を解体し各人の自由な発展の時代を拓く共産主義革命の物質的条件であるはずもなかったのである。
したがってわれわれは、資本主義の下で機械制大工業が発達した時代における「生産力と生産関係の矛盾」に言及する場合、生産力の「質」と生産関係の矛盾を語ることができず、生産力の「量」と生産関係の矛盾をもっぱら語らざるを得なかったのである。すなわちそれは、生産手段・消費手段の分配の不平等であり、過剰生産恐慌であり、世界市場再分割競争(戦争)であった。
20世紀に樹立されたプロレタリア諸国が直面したのは、機械制大工業の発展の時代という現実に他ならない。世界史上はじめてプロレタリア国家を樹立したロシア革命は、社会革命の領域において生産手段の国有化のレベルを越える事が出来ず、党・国家官僚ブルジョアジーとの権力闘争に敗北・変質した訳だが、その物質的根拠は、単に当時のロシアが「遅れた農業国」だった等々というだけでなく、機械制大工業の時代そのものにもあったのである。党・国家官僚ブルジョアジーが自己を形成し、専制支配を確立・拡大再生産する上で、機械制大工業の発展が最も確かな物質的基盤であったということである。国家権力を簒奪した党・国家官僚ブルジョアジーが、生産増進こそ共産主義社会への道だとして労働者を駆りたてたことは言うまでもない。次の言は、「経済学教科書」(ソ連邦科学院経済学研究所著、合同出版、p995)に引用されているフルシチョフ「ソ連邦共産党綱領についての報告」の一節である。
「共産主義の原則にうつれるように社会の準備をととのえるためには、生産力をすばらしく発展させ、物質的、精神的財貨をありあまるほどつくりださなければならない。」
もちろん20世紀のマルクス主義者は、共産主義運動を蝕む党・国家官僚ブルジョアジーに対して、党内闘争、党派闘争、階級闘争を展開した。マルクス主義者はこの闘争において、党・国家官僚ブルジョアジーが生産力の「量」的増大を第一とする理論をふりまいたのに対し、「階級闘争」(「官僚主義との闘い」「スターリン主義との闘い」等々は自覚レベルの違い)を対置して闘った。「階級闘争」は厳然として存在しており、その現実を暴露し闘うことは、全く正しいことだった。しかしその闘いは、高次の生産関係を要求する質をもった物質的生産諸力がまだ発展していない物質的基盤の上での・すなわち勝利的決着の物質的条件を欠いた闘いだった。この闘いを大衆的に断固として・限界をもあらわにしつつ展開したのが1960年代後半の中国における「プロレタリア文化大革命」である。
毛沢東は、文化大革命に先立つ1962年の第8期中央委員会第10回総会で次のように演説している。「社会主義社会は相当長期にわたる歴史的段階である。社会主義と資本主義との二つの道の闘争が存在し、資本主義復活の危険性が存在している。……われわれは今から、毎年語り、毎月語り、毎日語って、われわれがこの問題に対し、比較的はっきりした認識をもち、マルクス・レーニン主義の路線をもつようにしなければならない」(「中国共産党五十年略史」東方書店p295)と。毛沢東によって開始された文化大革命は、党・国家官僚ブルジョアジーに対する蓄積された怒りを解き放ち、紅衛兵運動を先頭に大爆発した。しかしその運動は、社会の物質的基盤との対立を深め、小ブル急進主義的諸偏向を生み出しつつ敗退する。結局、党・国家官僚ブルジョアジーを代表するケ小平が奪権し、「四つの近代化」路線を定め、市場開放と市場経済の導入をテコとした機械制大工業化の道へ舵を切っていくことになったのである。
われわれは、物質的生産諸力の「質」の問題の重要性を見てきた。機械制大工業の発達の基盤の上には、まだ高次の社会的諸関係は形成出来ないということである。機械制大工業の発達を越えて、コンピュータ・ネットワークが発達し、労働手段が成熟段階に入ること、それと共に人間(経済的には労働力)の発達の時代が始まること、物質的生産諸力のこの「質」的変化が共産主義革命にとって必要だということである。そのことを確認した上で、「量」の重要性にも一言触れておかねばならない。
現実に人々が自由な自己発展を実現しうる社会を創出するには、分業への隷属からの自己解放の技術的条件としての物質的生産諸力の「質」だけでは足りない。労働時間の大幅な短縮を実現し、人々が分業体系の特定の分節に緊縛されないだけでなく・生きるための経済活動に緊縛されない生活を達成できなければならない。それには、物質的生産諸力の「量」も重要なのである。
「労働手段の成熟」の時代は、そうした物的豊かさを実現できる物質的生産諸力のレベルに達した「産業の成熟」の時代でもあるのだ。この時代の物質的生産諸力は、市場的限界(購買力)に制約され貧困と同居したものであるとはいえ、地球環境保護の見地からその量的増大の制御に賛成する社会意識を広範に醸成する程のレベルに既に達している。われわれは、このことも確認しておかねばならない。
V 物質的条件の成熟がないところで社会革命に苦闘
「一つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されおわるまでは、けっして古いものにとって代わることはない」(「経済学批判 序言」マルクス 「マルクス・エンゲルス8巻選集」大月書店p41)
われわれは、これまでの革命運動の経験を振り返って、マルクスのこの見解の正しさを再確認しなければならないところに来ている。
第一は、ロシアなどいくつかの諸国における・前世紀の間のプロレタリア革命が、ことごとく変質した事実に関連してである。
これら諸国のプロレタリア革命は、国内的階級関係で見るならば、封建地主階級の支配を転覆するブルジョア革命と共に前進し、ブルジョア階級の政治・経済的基盤が打ち固められていない状況を突いて実現されたものであり、社会革命の物質的諸条件を欠いていた。生産手段の国有化の下で、管理するものと管理されるものへの人々の分割を克服できるはずもなく、官僚ブルジョアジーの支配と官僚制国家資本主義が生成されることになる。この困難に対して、世界革命で(=西欧との協力関係で物質的条件を確保し)これを打破するとした見解、掌握した国家権力をテコに物質的条件を創り出してこれを打破するとした見解、「継続革命」をやり発生する官僚ブルジョアジーを繰り返し打倒するとした見解などが現れた。それぞれの意図は良しとすべきものではあった。しかしそれらは、世界史的に社会革命の物質的条件の未成熟な(=機械制大工業発達の)時代に限界付けられ、破綻せざるを得ない苦闘だったと言わねばならない。
第二は、機械制大工業の発達した帝国主義諸国では、プロレタリアートは、政治権力の樹立さえも実現できなかったという事実に関連してである。
この事実は、機械制大工業の発達が資本の専制支配を打ち固め拡大再生産する物質的条件であり、高次の生産関係の物質的存在条件ではないとするならば、帝国主義の政治・経済的な国民統合力等の要素と合わせて考慮するとき、十分納得できることである。
ただ、機械制大工業が資本主義に代わる高次の生産関係の物質的条件ではないとしても、そのことから、機械制大工業の発達とともに数と結束と反抗を増大させた労働者階級が政治革命を成功させることは出来ないと結論付けるのは誤りであるだろう。そのことから結論付けることができるのは、機械制大工業の時代においては、たとえ政治革命は成功させえても、社会革命は成功させえないこと、結局樹立されたプロレタリア国家は変質せざるを得ないということだけである。
今日の世界は、労働手段(産業)の発達が成熟段階に到達し、人間の自由な発展の時代に移行しようとしている。だがそこにおける労働手段(産業)はグローバルな規模での分業=重層的支配の体系として発達しており、その中で工業化を主要な経済的特徴とする諸国もある訳である。この場合には、そうした諸国の政治革命は、世界革命の一環として、社会革命と連動したものになるに違いない。
第三は、レーニンが、独占資本主義・帝国主義の時代を「資本主義の最高の発展段階」「死滅しつつある資本主義」と規定したことに関連してである。
この規定の誤りについては、理論誌「創刊号」の「現代帝国主義とその没落の素描」において触れた。当時は、機械制大工業化が、産業革命期の消費手段生産部門から生産手段生産部門にまで拡大した時代であった。生産領域の機械制大工業化だけでなく、生活領域も機械化され、更に労働手段(産業)の成熟と人間の自由な発展の時代への移行が課題となるには、レーニンが活動した時代からほぼ一世紀の時間を要している。
また資本独占の発展も当時は、自由競争資本主義から独占資本主義へ移行したとしても、地球の領土的分割に限度付けらてれたレベルにおいてであった。一つの超大国を主柱とする国際反革命同盟体制を政治条件に国際独占が全面的に発達するのは、第二次大戦後であり、とりわけソ連崩壊後のことである。
第四は、社会主義の衣をかぶった党・国家官僚ブルジョアジーが、物質的条件のないところでも社会革命は可能だという理論を作り上げ、共産主義運動に害毒を流したことである。
その最初のものが、スターリンの「一国社会主義建設可能論」に他ならない。当時のロシアの官僚ブルジョアジーは、自己の地位と特権を守る見地から、その利害が必要とするレベルを越えて国際革命に関わる危険と負担を回避し、労働者人民に「展望」与えて生産増進に駆りたてる為にこそ、かかる理論を創り出したのである。
それに続くもう一つの典型が、「反帝民族解放・民主主義革命から社会主義革命への連続的発展」の理論である。この理論のポイントは、「社会主義陣営」の援助があれば、社会主義革命の諸条件が極めて未熟な旧植民地諸国においても社会主義的変革の道が開かれるとした点にある。ソ連社会帝国主義・官僚ブルジョアジーとってこの理論は、自己の勢力圏(=官僚制国家資本主義陣営)を拡張することと固く結びついていた。
革命的共産主義者が、こうした理論から全く自由だった訳ではない。いずれの理論も、ソ連の崩壊で、最後的にその誤りが白日の下に晒されたのだった。
W 唯物史観への確信の動揺・その1
―黒田寛一の理論―
(1)革命ロシアの変質は、革命理論に対する確信を、唯物史観という土台のレベルから揺るがした。動揺の典型は、黒田寛一の以下の主張に見ることが出来る。
「労働過程は、合目的的な活動または労働そのもの、労働の対象および労働手段という三つの契機から成り立ちます」(「社会観の探求」黒田寛一、理論社p49)。
「人間の生きようとする意志、欲望、生きるためにどうしても必要な物質的な生活条件をたえず取得してゆく労働。じつに、これこそが、人間を動物から区別しはじめた本質的なものであって、労働を基礎にしてはじめて、人間の独自性ないし優位性をなす意識性がかたちづくられるのです」(同上p21)。
これは、歴史的事実についての認識の誤りである。「人間を動物から区別しはじめた本質的なもの」は「労働」一般ではない。「労働はさしあたり、人間の自然との間の一過程、すなわち、それにおいて人間が人間と自然との質料変換を彼自身の行為によって媒介し・規制し・統制する一過程である」(「資本論」マルクス、長谷部文雄訳、青木書店、第1部p329)とするならば、それは呼称が違うだけで「動物」も行っている「一過程」である。
人間を人間たらしめたのは、「人間と自然との間」に「労働手段」を介在させ、自然環境の地域的相違・時代的変化に対し「労働手段」の創造・変革をもって適応する種として自己を形成したことにある。ここでいう「適応」とは、主体が生存し子孫を残すことができる状態の獲得を意味する。
人間以外の動物は、自然環境と対するに直接的に自己の身体をもってし、自然環境の地域的相違・時代的変化に対し自己の身体的特化をもって適応する。人間以外の動物は、道具を使う場合にも、ほとんどは一定の決まった道具、一定の決まった使い方しか出来ない。人間以外のある種の高等動物は、道具の使い方を一定工夫することもできるが、それを生存のための活動の基本にしている訳では全くない。
生物が自然環境に適応して自己の生存を確保する仕方は、それを子孫に伝える仕方を規定する。多くの生物がそうであるような・身体的特化をもって自然環境に適応する仕方は、遺伝情報によって継承されることになる。これに対して人間の場合は、自然環境の地域的相違と時代的変動に対し、基本的に労働手段の変革をもって適応するのであるから、この仕方を遺伝情報で子孫が継承することは出来ない。人間はそれらを、労働手段・技術(技能)・知識など総じて文化として、生物的存在の外部に・社会的に蓄積するのであり、子孫はそれらを「学習」によってが継承する。「学習」は、人間の種としての存続にとって死活的に重要な活動なのである。人間の学習能力が他の動物に比して飛躍的に発達したゆえんである。
こうしたことの上に立って、マルクスが「人間にのみ属するような形態をとる労働」として指摘した人間労働の特性が開花するのである。
「蜘蛛は織物師の作業に似た作業をおこない、また蜜蜂はその蝋製の巣の建築によって幾多の人間建築師を赤面させる。だが、最も拙劣な建築師でも最も優秀な蜜蜂よりそもそもから優越している所以は、建築師は、巣を蝋で建築する前にすでにそれを自分の頭の中で建築しているということである。労働過程の終わりには、その始めに当たり既に労働者の表象のうちに・つまり既に観念的に・現存していた一の成果が出てくる」(「資本論」マルクス、前出p330)
これは、「構想能力」である。
蜘蛛は蜘蛛の巣を作るだけである。蜜蜂は蝋製の巣を作るだけである。それらは、自然環境への適応を身体的変容でもってする仕方の延長なのである。そこに「構想能力」が生ずる根拠はない。「構想能力」は、異なる目的に応じ、また異なる条件に応じて、「労働手段」とその使い方を創造し変革することの必要から生ずるのであり、「学習」によってその能力を継承し高めてきたものである。
なお他の動物との比較における人間の生物的特徴は、人間が自然環境の地域的相違と時代的変化に労働手段の創造と変革をもって適応する何百万年の生活過程が創り出したものである。直立二足歩行と手労働の器用さ、大きな脳、体毛の退化、長期に及ぶ子どもの自立の為の学習、等々である。
(2) 人類の形成は、今日までの調査・研究からすると、400万年程前のアフリカにおいて、森林の後退を契機にサバンナでの生存を迫られたある種の類人猿が、道具の使用(=二足歩行)をもって新たな環境に適応する道に踏み込んだことで、開始されたようである。ここで大切なことは、人類の生物的特徴は、前記したように、自然環境の地域的相違と時代的変化に労働手段の創造と変革をもって適応する何百万年の生活過程が創り出したものだということである。「猿人」「原人」「旧人」「新人」の区別は、そうした発達過程を表現したものとして捉えるべきものであるだろう。この発達過程は、漸進的なそれだけを意味しない。相対的に高度の労働手段を発達させ、生物的特徴をも高度化させた勢力の制覇として進展したそれをも含むものであるだろう。
400万年程前アフリカで今日に至る人間への歩みを開始した「猿人」が使用していた労働手段は、現物としては、発見されていない。当初の労働手段は、ほとんど加工されていないもの、あるいは木器など腐食して痕跡が残りにくいものだったろうと想像される。
今日確認されている最古の労働手段は、250万年程前の加工された石器である。石器の発達は、肉食の発達と強く結びついている。180万年程前になると、頭蓋や身体が大きくなり、現代人に近い体格の「原人」となる。「原人」はアフリカの地を出て、ヨーロッパ方面、および、遠くアジア大陸の太平洋に面した沿岸に到達する。火を使うようになることで、食料対象を飛躍的に広げ、また熱帯だけでなく寒さの厳しい季節のある地域での生活にも適応する。人類は、自然環境の変化に自己の身体的変化をもって適応するのでなく・労働手段の創造と変革をもって適応することからする・適応における高度の柔軟性を獲得することによって、種の増加を特定の環境内の生態系に限度付けられることなく、生活集団の細胞分裂・新天地への進出によって実現していった。だがこの過程は、採集・狩猟の困難が増大する過程、この困難の増大を石器の進歩や火の使用など道具の発達で克服していく過程でもあったのである。それゆえにまた、「旧人」そして「新人」としての形質が獲得される過程ともなった訳である。十数万年程前になって人間は、生物的特徴において、「新人」と呼ばれる現代のレベルに到達する。
「新人」は、4万9000年まえから3万年前までの約二万年の間に打製石器文化を最高度に高め、大型動物の狩猟・調理を容易化した。これをテコにマンモスやトナカイを追ってシベリア・極北の地へと進出し、アメリカ大陸の北端に入って一気にその南端まで到達(1万年程前)した。また6〜5万年程前にはオセアニアに進出している。太平洋の島嶼に展開するのは、今から3600年程前から1800年程前になる。こうして人間は、ほぼ地球上の全ての地域で生活するようになったのである。この時代に、地球上の様々な自然環境に対し各々に適合した労働手段の創造をもって適応していった仕方は、今日の多様な文化の最深の土台を成している。
以上見てきたように、「人類」という種が誕生する上で、「労働手段」の要素は決定的に重要だったのである。しかしそのことは、当時の人間の生存のための諸活動、それらを構成する三要素(労働力・労働手段・労働対象)の相互関係において、「労働手段」が最も大きな・規定的要素だったということを意味するものではない。採集・狩猟という当時の経済活動おいては、他の生物種と同じく、「労働対象」であるところの対象的自然が最も大きな・規定的要素でありつづけていたのである。
また当時は、生産関係をはじめ当時の人間社会の社会組織に対しても、「労働対象」であるところの対象的自然が、最も大きな・規定的要素として作用していた。
「採集狩猟民の社会は、資源を求めて広い範囲を移動するため、家族・親族を中心に構成された、一般に『バンド』(band)と呼ばれる小規模な集団から成っていることが多い。バンドのサイズは通常100人に満たないほど小さく、季節によって分かれて暮らすことも多い。彼らは基本的に定住の場所を持たない移動民である。
採集狩猟民にとって最も重要なものは、環境資源をうまく利用するための動植物や気候に関する知識である。食べられる植物、有害な植物、病気やけがを治すのに役立つ薬用植物などの識別力や、動物を捕まえ、殺し、解体処理するための、動物学的、解剖学的な知識、植物を切り取ったり、動物を解体してその皮をなめす技術、矢や槍を飛ばすための空気抵抗に関する知識や技術などが生存の条件となる。分娩も自力で処理できなければならない。
食料生産力の低い採集狩猟民社会では、人口の抑制は至上命令である。そのため、分娩後は、赤子が十分成長を遂げるまで(3〜4年)禁欲を強いるタブー(postpartum sex taboo)が一般的に見られる。不幸にして上の子が成長する前に生まれた赤子は、いわゆる嬰児殺し(infanticide)の対象となることがある。人口過剰とともに重視されたのは、資源乱獲への警戒である。食糧自給能力の範囲内に人口を抑制する資源と人口のバランス感覚は、採集狩猟民社会が持続するための不可欠の条件であった。
このような小さな社会では、全員がすべてのことを自力でこなす能力を求められ、その意味で同じ能力を持つ人々の話し合いとコンセンサスによって何事も決められる平等社会であった。ジェンダーや年齢に基づく役割の分化・専門化もほとんど見られなかった。…
採集狩猟民の暮らしに共通するのは、自然の恵みに対する全面的な依存から生じる不安を和らげ、彼らの暮らしの基となる動植物の繁殖・繁茂を神に祈る増進儀礼(increase rites)が盛んなことである」(「文化人類学」江渕一公、放送大学教育振興会p104〜5)
今から1万2千年程前、こうした採集狩猟社会に危機が訪れる。一つは、人口増加の一大安全弁の役割を果たしてきた新天地がほぼ無くなったことである。もう一つは、道具の発達(採集・狩猟と調理の技術進歩)が採集・狩猟対象の範囲を拡大しつつも最終的に数量を減少させたことである。こうした事態は、まずもって、生活集団相互のテリトリーをめぐる戦いを各地で巻き起こし、先鋭化させたであろう。またテリトリーをめぐる戦いの拡大と先鋭化が、生活集団相互の血縁関係の取り結びを基礎とする同盟関係(それは旱魃等、自己のテリトリーの自然環境崩壊時への備えとしても構築されたと考えられている)の意識的な強化を促したに違いない。
こうした戦いは、人類誕生以前の生物種の生存競争を受け継ぐ在り方であり、あたかも人類の減少をもって生態系のバランスが回復するサイクルの一駒であるかのような事態だったであろう。しかし、人類はこの危機を、それまでの生物種とは異なる仕方で打破していく。各地で採集・狩猟から農業・牧畜への移行(食用等の動植物の訓育)が始まったのである。旧石器時代から新石器時代へといわれる道具の発達があり、労働対象であった対象的自然の農牧地(=労働手段)への転化が進行して、人間社会において「労働手段」が最も大きな・規定的要素であるような時代が拓かれていくのである。
この過程は、農牧地などの労働手段の日常的な防衛と管理が必要となり、階層的かつ恒常的な協働労働組織が発達し、指導的層による労働手段の占有が進行し、男女の役割分業が現れる過程であった。またこの過程は、農業と牧畜の分業が各地域的に形成され、定住化が始まり、交易が飛躍的に拡大する過程でもあった。時代は、社会の階級分裂、都市の形成―都市と農村の対立、家内奴隷制の確立、国家の誕生に向かって動きだしたのである。これらの一連の事態は、採集狩猟社会のシステム・しきたり・世界観と衝突し、それらを掘り崩し、破壊した。
(3)ここで再度黒田の「社会観の探求」に戻ることにする。
黒田は、「原始共産体」について次のように語る。
「根源的な社会的生産は、生産と所有の統一に決定された生産様式に他なりません。ここでは、社会的生産の担い手としての直接的生産者たちは同時に所有者であり、所有者として労働するのです。
このような生産あるいは所有の根源的な形態は、歴史的には原始共産体における生産様式であって、共有が所有の根源的な形態にほかなりません。原始共産体の本質は、生産と所有との本質的な統一に基づく生産様式なのです」(p27)と。
黒田にとって共産主義革命は、「生産と所有の分離」という社会的生産の「自己疎外」と対決し、「生産と所有との本質的な統一」を回復する運動だということになる。いわゆる「疎外革命論」である。
問題点を以下の二点にわたって指摘しておく。
第一に、「原始共産体」では、人は「所有者として労働」していた訳ではないということである。
当時の人間社会は、労働対象としての対象的自然の状況に圧倒的に規定され、他の諸動物と同様に採集・狩猟で生存をはかる存在だったのであり、それゆえその社会=経済システムは、それを「原始共産体」と称しても、「霊長類」時代の社会システムの継続・発展形だった。つまり当時の人間社会は、対象的自然にいわば「支配」された存在であり、その恵みを授かる側にあり、対象的自然を「所有」(「共有」を含む)する関係にな全くなかったのである。「労働手段」との関係について言えば、まだ「労働手段」自体が対象的自然の一部というレベルをさして越えたものではなかったのであり、社会システム(生産関係を含む)を規定する要素としては程遠かったとするのが妥当なところであるだろう。
黒田は、「原始共産体」を賛美する誤りを犯してしまった。その根拠は、「人間を動物から区別しはじめた本質的なもの」(黒田)を「労働」だとして、「原始共産体」から「階級社会」への『発展』の推進的契機である「労働手段」の発達を、無視してしまったことに求めることが出来る。
われわれは、「階級社会」がいかに矛盾に満ちた社会であろうと、それを「原始共産体」からの『発展』として、その唯物論的必然性を明らかに出来なければならない。それがまた、「階級社会」から「高次の共産主義社会」への発展の必然性の解明にも繋がるのである。黒田はそのことに失敗し、「原始共産体」への回帰を主張する反動的立場に陥ってしまったのである。
第二に、「原始共産体」の賛美―「疎外革命論」によっては、「労働からの解放」の意義と必然性は説けないということである。
われわれは、「各人の自由な発展がすべての人の自由な発展のための条件であるような一つの共同社会」(「共産党宣言」マルクス・エンゲルス、青木文庫p40)の実現であるような革命を構想する。この革命は、たしかに階級差別は無いが、社会全体が生存のための活動に緊縛され、そのことにより働けないものが差別され殺されもする「原始共産体」のような社会(ブルジョア社会も「失業(野宿)労働者」「障害者」等に対する態度において継承している)への後戻りでは全くない。それは、労働時間が大幅に短縮され、労働が社会的な強制でも義務でもなくなり第一の欲求となるような、そうした意味での労働から解放された社会の実現である。
今日の社会革命においては、階級差別の廃止(=「労働の解放」)は、「労働からの解放」と不可分の関係にある。なぜなら、階級差別の廃止は、私的所有の廃絶と一体的に推進される分業への隷属からの人々の自己解放(分業の廃止ではない!精神労働と筋肉労働の分業は廃止されるが…)として実現されるものであり、分業が高度に発達した現代にあっては、十分な自由時間と物質的保障とを欠いては実現され得ないからである。
「労働からの解放」は、労働手段(=産業)の成熟、物的豊かさの実現、人間の自由な発展(その基盤である自然環境の豊かさ)への社会的欲求の増大などといった到達地平の上に立ってはじめて、その必然性を語ることができる。だが黒田の理論は、前述したように理論展開の出発点において、そうした歴史的到達地平を導く契機(=「労働手段」)を捨象してしまっているのである。彼が「労働からの解放」を語ることが出来ないのも当然なのである。
X 唯物史観への確信の動揺・その2
―A・フィーンバーグの理論、レギュラシオン理論―
(1)マルクスは、次のように述べている。
「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る」(マルクス・エンゲルス8巻選集 マルクス第4巻 大月書店p40)
ここで言う「物質的生産諸力」は、既に述べたように、労働対象、労働手段、労働力の三要素から成る。ここで扱う「テクノロジー」とは、労働手段(実体概念)を関係概念に翻訳した表現である。三要素の相互関係において労働手段が規定的要素となる社会は、階級社会である。労働手段の発達において、農牧地が規定的要素である発展段階に対応するのが農奴制、機械が規定的要素である発展段階に対応するのが賃金奴隷制である。
だが第一章で指摘したように、これまでのマルクス主義理論は、機械制大工業の発達について、資本の専制支配を打ち固める基盤だと論じつつも、同時に高次の社会の物質的条件でもあるとしていた。否むしろ後者を強調していた。この後者の強調と、20世紀の西側諸国の機械制大工業の目覚しい発達が資本の専制支配を打ち固める方向へ飛躍的に作用した現実との乖離が、テクノロジーに関する唯物史観的見地の動揺と後退を引き起こした。それは、フランクフルト学派の系譜に属するアンドルー・フィーンバーグの技術に関する次の定式に見ることができる。
「1、テクノロジーの発達は、進歩のための技術的基準、ならびに社会的基準の双方によって決まる。したがってそれはまた、支配権力が何であるかに応じ、いくつもの異なる方向の、いずれに向かって進展することも可能である。
2、社会的な諸制度はテクノロジーの発達に対して適応を行うが、同時にこの適応のプロセスは相互作用的である。つまり、テクノロジーはそれみずからが置かれている状況に対して影響力を有するが、あわせてそれは、状況に応えて自らも変化するのである。」(「技術」アンドルー・フィーンバーグ著 藤本正文訳 法政大学出版局p257)
フィーンバーグは、自己の主張について、「各種のテクノロジーはそれの利用者の目的に奉仕することを待ち受けている『道具』である」「テクノロジーは、それ自身うちに価値判断の対象となる内容をもたない、いわば『中立的』なものである」といった「常識」と区別し、それとは異なるものだと強調している。しかし彼の主張は、上記の定式にあるように、「支配権力が何であるかに応じ、いくつもの異なる方向の、いずれに向かって進展することも可能である」としているように、テクノロジー=「道具」説・「中立性」説と本質的に同一なのである。違いは、現に存在するテクノロジーが、「〔支配階級やエリート〕の価値観と利害をテクノロジーのルールとプロセスの中に―仕掛けと構造の中に―沈積させ」(同上p25)ていると強調している点だけである。それはそれで、20世紀の機械制大工業の発達が資本の専制支配を途方もなく強めた現実を前にして、彼の動揺が如何に大きかったかを示している。
結局問題は、テクノロジー=「道具」説・「中立性」説に帰着する。これが誤りなのは、採集・狩猟時代にはどのような奴隷制も支配的生産関係たりえなかったであろうこと、農業・牧畜の勃興にともなって原始共産制的な生産関係が衰滅していったこと等々、歴史を振り返れば明らかなことである。もちろん、物質的生産諸力(「テクノロジー」と狭く捉えると階級社会の時代のそれに近似的に限定される)と生産諸関係の関係は、「相互作用的」であり、生産諸関係の側からの作用の側面をもっている。また物質的生産諸力の発展が生産諸関係の変革を引き起こす場合でも、無媒介にではなく、階級社会においては階級闘争を媒介にしてはじめて、それは広範に実現される。物質的生産諸力の側からの一方的な作用関係で歴史が創られていく訳では全くない。しかし、窮極的な規定的要因としての物質的生産諸力の地位は再確認されねばならない。
そしてその見地から21世紀初頭の現実を見るならば、次ぎのように言うことができる。これまでの、労働手段=機械が規定的要素であるような物質的生産諸力の発展段階には、資本主義的生産諸関係が対応してきた。これからの、労働手段の成熟―労働手段から労働力(人間)への規定的要素の移行という物質的生産諸力の発展段階には、高次の生産諸関係が対応することになる、と。
(2)労働手段が規定的要素へと高まる物質的生産諸力の発展段階は、労働対象であった対象的自然が農牧地という労働手段へ改造されたことによって画される。労働力は、労働手段である土地に緊縛され、対象的自然は畏敬の対象から改造の対象に転変する。労働手段を構成する道具は、鍬、鋤などの農具をはじめとして、生産・生活領域全般にわたって発達する。道具の素材は、石・木・土から、青銅などの金属、そして鉄が使用されるようになる。動力は、基本的に人力であるが、労働手段としての動力でいうと、畜力が広く活用される。
農牧地を占有し協働労働を指揮し剰余生産物を独占する階級が形成される。そうした階級に属する人々によって、旧来の血縁的共同体を越えて、交易のため・財産防衛のため・享楽のため等々の理由から都市が形成される。男女の役割分業(家内奴隷制)が現れる。相対立する階級への分裂をはじめとした支配・隷属関係の形成は、社会秩序の維持を役割とする国家を出現させる。分業の発達で経済的重要性をもつようになった交易、恒常化・大規模化した協働労働、国家の運営などの必要から文字が発明され発達した。対象的自然の内に諸々の精霊を感じる信仰に代わって、対象的自然に対しても、人間に対しても、超越者・造物主・支配者である「存在」への信仰が現れる。
こうした変化は数千年前、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河などの大河流域の農業の発達を背景に勃興し、農業―牧畜の分業関係(中心―周辺の関係)を発達させた。農地への労働力の緊縛を基軸とする生産諸関係(およびその上に立つ身分制国家)は、一朝にして出来あがった訳ではない。採集狩猟時代末期の共同体の諸関係(氏族制)を母斑として引きずる過渡諸形態(中国の「春秋時代の諸改革」以前、日本の「大化の改新」以前)がある。
農地への労働力の緊縛を基軸とする生産諸関係は、工業および商業の発達として現れる分業の発展(=農業人口の相対的・絶対的減少と脱農人口の膨張)、農民からの搾取の強化、商品経済の発展とブルジョアの台頭などによって動揺を深めていく。この過程で見られるのは、あるいは既存の生産諸関係と分業体系を身分制度の再編・強化で固定化せんとし(日本の江戸時代)、あるいは農奴主専制王朝の官僚機構の思想・政治的統合力を強めることで(中国の科挙制度)、そうした動揺の拡大を押し止める諸形態である。200年程前に至って、西欧でブルジョア革命が勃発し、土地への労働力の緊縛を基軸とする生産諸関係と身分制度が解体され、賃労働制度をテコとする工業化の時代が開かれることになる。
(3)ブルジョア社会は、利潤を規定的目的とする社会である。それは言いかえれば、労働手段の拡大再生産を目的とする社会だということであり、労働手段の発達の為に、労働力(=人間)も、労働対象としての対象的自然も奉仕させられる社会だということである。ブルジョア社会は、機械制大工業の出現によって、この特徴を全面開花させる。
労働力と賃金の交換を媒介に、資本の指揮下で労働手段に労働力を結合せしめる資本主義的生産関係は、当初、労働手段が「道具」のレベルのマニュファクチュア(工場制手工業)を発展させた。このマニュファクチュアを基盤に、「機械」が生まれる。「機械」は、「道具」ではない。「機械」は、人間の筋肉労働(端的には手労働)を代替する装置が骨格を構成し、それに「道具」が組み込まれ、「道具」を操作する装置である。
機械制大工業においては、動力は、「道具」においてのように人間の労働力から発するのではなく、蒸気力、そして電力という形で発せられるようになる。労働力は、それから精神的機能が切り離され(資本の権能に転化)、細分化・無内容化された(=交換可能な)労働形態で機械と結合され、機械の付属物となる。資本の専制支配が実現される。また機械制大工業においては、対象的自然は、そこから原料・エネルギー資源を収奪する対象に転落する。
資本の自己増殖欲求に促迫されて、機械化は順次、消費手段生産部門、生産手段生産部門、労働力再生産部門へと、全ての経済領域を捉えていった。部門から部門への機械化の展開は、それまでの発展部門市場の過剰とそれによる長期の不況を介して、新たな・国際的規模の・より発達した分業体系(支配―隷属構造)を創り出してきた。こうした展開は、おおまかに言えば、18世紀半ばから19世紀半ばにかけての植民地拡張時代の最後の局面(自由競争期)、19世紀半ばから20世紀半ばにかけての帝国主義世界大戦の時代(本国と植民地からなる勢力圏市場での独占と世界市場再分割の時期)、第二次世界大戦を媒介に形成された超大国を主柱とする国際反革命同盟体制の時代(本国市場を含む旧勢力圏を超えた資本の相互乗り入れ―多国籍展開の時期)に照応する。
ブルジョア社会は、機械制大工業が全経済部門を捉えると共に、1970年代初頭あたりから、物の生産の全般的な過剰(消費の資本主義的限界に突き当たってであるが)という事態に直面する。
この事態を契機に物質的生産諸力の発達は、新局面に入っていく。それは、一方でコンピュータ・ネットワークの発達により労働手段(=産業)が成熟段階へ移行し、他方で自由な自己発展への欲求(自然環境保護の欲求もその不可欠の構成環)が増大し始めたことに見ることが出来る。時代は、労働力(=人間)が労働手段や労働対象との関係で規定的要素へと高まる物的生産諸力の発展段階へ移行し始めたのである。
だが資本主義的生産諸関係の下では、労働手段(=産業)の成熟は、グローバルな搾取・監督システムの確立、生産活動からの貨幣資本の大量遊離と投機資本の支配的影響力の形成、縮小する生産領域をめぐる資本相互の競争の熾烈化へと結果し、それらにより労働者階級の生活の不安定・貧困・精神的肉体的摩滅の増大がもたらされる。資本主義的生産諸関係は、一方で労働手段(=産業)の成熟とともに、物的生産領域からますます増大する規模で膨大な失業者群を排出させながら、他方で社会が求める人間の発展に関わる活動領域での協働労働の組織化(失業者群の吸収)には不向きであることを露呈する。社会(人々)は、存立(生存)の必要に迫られ、生産と生活の新たな諸関係の構築を模索し始める。事態は、ブルジョア階級支配の転覆へと向かわずにいない。
(4)ここで「レギュラシオン理論」に触れておきたい。
この理論は、物質的生産諸力の一定の発展段階に特定の生産諸関係が対応するとした唯物史観の見解を否定する点で、つまり物質的生産諸力に対する支配階級の能動的関わりを過度に重視する点で、この章の冒頭に取り上げた「テクノロジーの両面価値性」論と全く同じである。違いは、そうした主張を、「テクノロジー両面価値性」論が労働手段の柔軟性に焦点を当てて論じたのに対して、資本主義的上部構造の柔軟性に焦点を当てて論じている点にある。
「レギュラシオン理論」(山田鋭夫・講談社現代新書)からの引用でこの理論の特徴を紹介しつつ、その限界を明らかにしていくことにする。「レギュラシオン」とは「調整」である。
「1970年代半ばに産声をあげたレギュラシオン理論にとって、最大の関心事は、この時代における資本主義の変化を、しかも断絶とさえいえる大きな変化を読みとくことであった」(p102)
70年代初頭の世界同時不況に時代的「断絶」を直感したことは、そのこと自体は適確なことであった。しかし、この理論の実践的問題意識は、この危機を克服する「制度諸形態」「発展様式」「蓄積体制」「調整様式」、とりわけ資本―賃労働関係の領域における新たな「調整様式」を見つけ出すことに在る。その前提に、資本主義の柔軟性に対する信仰があり、この信仰を理論的に支えるものとして「フォーディズム」論が据えられている。
したがって、「レギュラシオン理論」の批判においては、「フォーディズム」論の切開がポイントになる。
レギュラシオン理論は、「フォーディズム」という用語をもって、第2次世界大戦後―70年代初頭までの資本主義経済の繁栄をもたらした経済構造総体を特徴付け、その核心に「調整様式」を位置付ける。フォーディズムの調整様式は、労使間における「テーラー主義の受容」と「生産性インデックス賃金」の取引を指す。
「テーラー主義は、構想と実行の分離(労働者からの熟練・判断力・自立性の剥奪)、実行作業の細分化と単純化(単調な反復的労働の強制)、組織のヒエラルヒー的編成(命令にもとづく労働統制)」(p122)である。「労働を非人間化し面白くないものにするテーラー主義に、労働者が抵抗するのは当然のなりゆきであった」(p122)。「ところが戦後、労働者はこのテーラー主義を受容するようになった。…ただしタダで受け入れたのではなく―ここが決定的ポイントであるが―代償と引きかえに受け入れたのである。そしてその代償こそは、さきにみた生産性インデックス賃金であり、つまりは生産性上昇に応じた賃金上昇である」(p122―3)「これこそが戦後先進諸国に成立した労使のゲームのルールであり、フォーディズムの核心的な調整様式であった」(p123)
この調整様式が成立することによって、「生産性インデックス賃金」は需要の増大を呼び、需要の増大は生産性の上昇を導き、生産性の上昇は賃金をさらに押し上げる、といったサイクルに代表される大量生産・大量消費の「蓄積体制」が作動したのだとする。「調整様式」と「蓄積体制」とを合わせてフォーディズムの「発展様式」と称する。そして、この「発展様式」を下部構造に持ち、それを国際的・国内的に支えるケインズ主義的上部構造とを合わせて、経済構造総体を「フォーディズム」と言う訳である。
われわれは、これまでの理論展開から、「フォーディズム」を次のように捉え返すことができる。
それは、機械化が消費手段生産部門、次いで生産手段生産部門を捉え、そして労働力再生産部門という最後の部門で発達する段階の経済構造だということである。尚、労働力再生産部門の機械化とは、主要には家庭に家電製品、乗用車が導入されたことを指す。レジャー産業の発展なども含まれる。
「テーラー主義」の内容である「構想と実行の分離、実行作業の細分化と単純化」は、機械制大工業と不可分の労働編成のあり方に他ならず、機械制大工業が資本の専制支配の実存条件だとする根拠なのであって、イギリス産業革命期の機械制大工業の分析においてマルクスが既に指摘しているところのものである。機械制大工業が全経済部門を蔽う段階になって、これが「テーラー主義」として意識化され、堪え難いレベルに達したということなのである。「大量生産・大量消費」についても、機械制大工業と不可分の特徴であり、その全面開花以外の何物でもない。
だが「フォーディズム」論は、「調整様式」等がその上で成り立つところの「物質的生産諸力」との関連で展開されていない。それは、そもそも「資本主義的生産諸関係」が「物質的生産諸力」との矛盾し破綻する事態を想定から外し、資本主義的生産諸関係の枠内で「調整」の在り方を模索する実践的立場に立っているからである。この弱点は、「フォーディズム」の次の時代を読み解く段になって、致命的な躓きの石となる。
今や時代は、機械制大工業の発達する時代が終わり、労働手段(=産業)がコンピューター・ネットワークの発達する成熟過程に入り、労働手段(=産業)の時代から人間の時代へ移行し始めている。賃金奴隷制の廃絶が課題にならざるを得ない時代なのである。したがって、「調整様式」はいくらでも見出せるだろうが、新たな「発展様式」を導くような資本主義的「調整様式」を発見することはできない。「レギュラシオン理論」の今日の混迷は、このことに規定されているのである。
Y 「労働手段の成熟」と「人間の時代」の到来
(1)「唯物史観の現代的発展」とは何か。
それは、人間社会が今日、物質的生産諸力における質的飛躍の局面に入っていること、その進行によって既存の生産諸関係とその上に聳え立つ全上部構造が崩壊せざるを得なくなる時代・それらに置き換わる新しい社会的諸関係とイデオロギーが創生される時代に入っていることの理論的把握である。つまりは、現実の大きな・否世界史的な変化を掴み、迫り来る大革命に備え、構えなおさねばならないということである。
ポイントは、「物質的生産諸力の質的飛躍」にある。
例えば、機械制大工業の時代として特徴付けられるここ200年ほどの範囲内でのいくつかの質的飛躍がある。それは、消費手段生産部門の機械化、生産手段生産部門の機械化、労働力再生産部門の機械化の継起的勃興としてあり、長期波動の景気変動を生み出してきたものである。また例えば、労働手段の時代として特徴付けられるここ1万2千年程の範囲内での質的飛躍がある。それは、採集狩猟時代には労働対象だった対象的自然が労働手段化される農業・牧畜の勃興、人間の筋肉労働を代替する装置が発達する機械制大工業の勃興である。だが、いま生起し進行している質的飛躍は、機械制大工業の時代の範囲内でのそれでもなければ、労働手段の時代の範囲内でのそれでもない。それは、人類史的視野でのみ特徴付けることができるところのものであり、1万2千年程前に生じた労働対象(=対象的自然)の時代から労働手段の時代への移行に続く、労働手段の時代から労働力(=人間)の時代への移行なのである。「労働手段の成熟」がその契機である。
労働力の時代とは、労働力(=人間)が生存のための活動に緊縛されなくなる時代であり、労働力(=人間)が労働手段(分業)に緊縛されなくなる時代である。労働は、「義務」なり「苦痛」から「第一の欲求」に転化し、各人の自由な自己発展過程を構成する一要素へと止揚される。その意味では、労働力の時代というより人間の時代と表現した方が正確であるだろう。けだし、労働対象の時代を対象的自然の時代と表現した方が正確なのと同じである。
この時代は、資本主義的生産諸関係の桎梏を打ち砕いて切り開かれる。
人間の時代の物質的条件となるはずの労働手段(=産業)の成熟は、資本主義の下では、反対に人間社会を存立の危機に引きずり込む程に、自然環境と主体的自然の破壊を、また失業者の増大、過度労働、経済の投機化と貧富の差の拡大等々を堪え難いレベルに引き上げる。この否定的現実は、労働手段(=産業)の発達から人間の自由な発展へ、社会の目的と諸活動の在り方を転換させることによってのみ克服できる。資本主義的生産諸関係は粉砕されねばならない。
(2) これまでの対象的自然との関係は、人類形成当初以来の大部分を占める期間、対象的自然の側の支配的規定性を特徴とするものであった。継いで現在までの1万2千年程の間は、人間社会による対象的自然の改造、そして収奪・破壊という関係であった。だが、人間の自由な自己発展の欲求は、自由な自己発展の基盤であり・自己の外的身体でもある対象的自然の健康と豊かな発展への欲求をその内に自ずと含むものである。したがってそれは、対象的自然の破壊に行き着く関係の転換を求めるし、対象的自然に支配されていた採集・狩猟代の関係を美化する思想とも相容れないものである。
自然環境の破壊に反対する運動の源流は、機械制大工業が、資本主義によって促進され、消費手段生産部門だけでなく生産手段生産部門をも捉え始めた19世紀末葉あたりのヨーロッパと見ることができるようである。だが自然環境破壊の現実を打破する条件が未形成な段階での運動は、思想・政治的混迷を免れなかった。すなわちこの運動は、自然環境破壊をもたらす資本主義の下での機械制大工業の発展(「近代化」)と対決する際、改良主義の立場を拒否し根底から批判する立場に立とうとする時、往々にして封建時代の農業社会を美化する思想に立脚する傾向、さらに徹底して採集・狩猟時代を美化する思想に立脚する傾向に転落したのである。
結局現実を未来に向かって超える条件が無いために、対象的自然に対する敵対が相対的に弱い過去の社会への回帰、更には対象的自然の生態系と(完全にではないが)未分化な過去の社会への回帰を路線的に対置した訳である。対象的自然の生態系と未分化な社会への回帰とは、対象的自然の変化に労働手段の創造・変革でなく自己の身体の変容をもって対処する人間以前の段階へ回帰することである。それは、環境問題の解決ではない。環境問題の解決は人間社会の生みだした問題の人間社会による解決なのだから、人間社会の否定による「解決」が解決でないのは自明である。環境問題の解決を過去への回帰の方向に求める思想は、政治反動と結びつきやすい。かつてこうした思想傾向がナチスと結びついたのも、一つの必然だと言えるだろう。
1970年代に発するディープ・エコロジー運動は、現代的形態をとっているが、同じ混迷の部類に入ると思われる。
この運動の思想的特徴は、「ディープ・エコロジー」(アラン・ドレグソン、井上有一 共編、昭和堂)に紹介されている・この運動の提唱者であるノルウェーの哲学者アルネ・ネスの主張で見ると、次ぎのようである。
アルネ・ネスは、「広い意味での自己実現」に立脚した運動を主張している。彼は、「自己」について、「一人ひとりの『自己』を広げまた深めすべての生命を包み込む」(p65)ものとして、また「環境という入れもののなかに個々独立した人間が入っているという原子論的イメージではなく、関係論的全体野(トータル・フィールド)的なイメージ…生命圏は本質的に固有の関係が網状に絡まり広がったもので、個々の生命はその関係の網の結び目にあたるイメージ」(p32)で捉える。そして、「生命圏平等主義」(p32)を掲げて地球上の全ての生き物は等しく「生き栄えるという等しく与えられた権利」「自己実現の権利」(p33)を有すると主張し、「この権利を人間にかぎると人間中心主義に陥ることになり、人間自らの生の質にも望ましくない」(p33)と指摘する。なお彼は、「自己実現」について、「存在の究極的な目的」(p70)であり、「それぞれが固有に持つ可能性を実現すること」(p53)だとしている。
この主張の問題点は、以下の三点である。
第一は、ブルジョア社会が完成した人間の「原子論的イメージ」を批判するのに、これを、人間社会の発展に立脚して『止揚』するのではなく、人間(社会)誕生以前的生態系の網の結び目にある個々の生命のイメージを美化する立場から、全否定している点である。
第二は、ブルジョア社会末期の今日増大してきている歴史的産物としての「自己実現」(=自由な自己発展)の欲求を、「存在の究極的目的」「それぞれが固有に持つ可能性を実現すること」などと、超歴史的なものとして、また生命圏全体に当てはめるのに都合のよい規定の仕方で押し出していることである。資本家にとっての「存在の究極的目的」は「利潤」であり、資本主義社会は人間社会が歴史の一こまにおいて「固有に持つ可能性を実現」した在り様であるだろう。「自己実現」は、プロレタリアートの社会革命との関連で語られねばならない。
第三は、一見ラディカルのようだが、生き物の「権利」を認めよと主張する形で、ブルジョア的権利思想の「社会的弱者」への拡張を、さらに人間社会の範囲を超えて拡張する政治的立場におさまっていることである。その意味では、改良主義を「シャロー(=浅薄な)・エコロジー」と批判しながら、その実自らも改良主義な訳である。もっとも「権利」は、観念の世界では際限無く拡張できる。人間社会に対する生物の「権利」の際限ない拡張の主張は、これまた人間社会の起源の時代を美化する思想へと限りなく接近することになる。
では、われわれマルクス主義はどうであったか。
この場合は、利潤を目的とする資本の運動を自然環境破壊の元凶と批判し、資本主義に替わる高次の生産諸関係の形成をもって問題が解決されるという主張であった。だがそこでは、資本主義の下部構造であり、自然環境破壊をもたらすシステムの下部構造でもあるところの、機械制大工業の発達、継起的により高度な質量で産出され続ける物的豊かさへの欲求、人口激増という機械制大工業の時代の現実が無視されていた。否、機械制大工業は、社会主義革命の物質的条件だとしていた。ここに、資本の支配を転覆すれば環境問題も解決されるとする主張の問題性、環境問題を重視してこなかった態度の思想的根拠を見ることができる。とはいえそれは、環境問題に関するマルクス主義理論に刻印されていた歴史的制約として捉え返されるべき欠陥である。
対象的自然の生態系と未分化な時代方向に環境問題の解決を求めるのではなく、歴史発展の方向にそれを求める思想・政治的態度は、全く正しいものであった。ただ、マルクスやレーニンが生きた時代には、歴史発展の方向で環境問題を解決するための物質的諸条件はまだ形成されていなかった。労働手段(=産業)発達の成熟・自由な自己発展への欲求の増大・人口爆発の終焉という必然的動向を物質的条件とした、人間社会の自然環境との関係を実際に転換していく活動を土台とする、資本主義の廃絶を目指す運動の一環としての環境運動は、在り得なかったのである。
(3)人と人の関係は、人類形成当初以来の大部分の期間、群れ的生活の中で労働手段と分業が未発達な状態に止まっていた。人は、誰もが(男女の別を問わず)採集・狩猟の能力の蓄積を求められた。
しかし、対象的自然が農牧地(=労働手段)へと改造され、農業・牧畜が発達するようになると、労働手段を占有し他人の労働を指揮する者とその指揮下で働く者の恒常的分業(精神労働と筋肉労働の分裂)が、農業・牧畜と採集・狩猟の分業、農業と牧畜の間の分業、産業と交易の分業などと共に、支配・隷属関係の性格を伴う形で発達する。男女の役割分業が、男の女に対する支配を伴って現れる。社会は、内的対立の拡大を抑圧し・自己の統合を維持するために・支配的生産諸関係に基礎をおくところの国家を必要とするようになる。これも、分業発達の一形態である。精神労働は、主として支配階級に奉仕する方面で・剰余労働の増大に支えられて、経済管理と政治(軍事)と宗教、さらには学問、文学、絵画、音楽などの諸方面に専門化していく。資本主義の下での機械制大工業の発達は、この方向での社会の変化を飛躍的に高度化し、完成させた。
今日、社会に醸成されてきている一人ひとりの自由な発展への欲求は、階級社会のこうした分業=支配・隷属関係と両立せず、こうした関係を打ち砕かずにいない。それは、分業を廃止し、採集・狩猟を唯一の生業としていた生活に戻ることではない。一人ひとりの自由な発展とは社会的視点から見れば、分業への隷属からの解放であり、労働への緊縛からの解放である。
一人ひとりの自由な発展は、生産手段の私的所有を廃絶するだけでは、実現できない。すなわち機械制大工業が発達途上の条件下では、企業官僚機構の発達と労働の細分化・専門化、構想と実行の分離(精神労働と筋肉労働の対立)が、実際の必要に迫られて拡大する。この条件下では、企業・家族などの経済単位を超えた社会的諸分業(=支配・隷属構造)は国際的規模で発達し、経済単位間の経済的諸要素の配分調整は市場経済なり国家官僚機構に依存せざるを得ない。またこの条件下では、継起的に新たな産業が勃興し社会的総労働時間の増大が必要とされ、そのために人間の自由な発展に割くことのできる安定的かつ十分な社会的余剰時間は確保されない。
人間の自由な発展の欲求は、コンピューター・ネットワークの発達による労働手段(=産業)の成熟を土台に、広く醸成され、実現の道が開かれる。労働手段(=産業)の成熟は、既に見てきたように、構想と実行の分離(精神労働と筋肉労働の対立)の打破を可能し、生産・生活現場の人々が経済的諸要素の配分調整を市場経済や国家官僚機構に依存しないで直接・相互に共同して実施することを可能にし、労働時間の大幅な短縮をも可能にする物質的条件なのである。
一人ひとりの自由な発展は、各人に発する事業であるが、同時に相互的・全社会的な事業でもある。何故なら、ある人の特定の分業領域への隷属からの解放は、その人が自己を発展させたい分業領域で活動する人との、直接的にせよ・回りまわってにせよ、活動領域の交換なしにはありえないからである。またそうしたことが、各人においてゆとりをもって自由になされるためには、就労部分と失業部分による仕事と余暇時間の譲り合いによる労働時間の大幅な短縮が必要であり、各生産・生活現場(地域)における学習(システム)の充実が不可欠である。社会システム総体が、人々の意識が、一人ひとりの自由な発展を目的とするものへ、再構築されねばならない。
そこでは各人が、分業体系の特定の分節に縛られること無く、就業なり失業のいずれか一方に緊縛されることも無く、自由な発展を実現すればするほど、その度合いに応じて全ての人に、自由に発展する道が広がることになるのである。個人の利益と全体の利益の対立は消滅する。
人間の自由な発展は、階級差別だけでなく、女性差別、障害者差別、身分差別、民族差別など全ての社会的差別の桎梏を取り払わずには実現されえない。
社会的差別は人々の分業への隷属・就労部分と失業部分への分割を土台に発生し、また創り出されたものであり、重層的かつ錯綜した構造を成している。そしてそれは、人々の分業への隷属・就労部分と失業部分への分割を打ち固める役割を果たし、支配階級による人民に対する政治的分断政策の基盤となっているものである。
差別の廃絶は、住民の被差別部分の権利拡張としてこれまで展望されてきた。そうした権利の拡張は、差別されてきた人々の運動の成果として闘い取られ、差別に対する社会の批判的態度を高めてきた。しかし権利の拡張は、差別の土台を為す経済システムそのものに手を触れるものではなく、ブルジョア社会の経済システムの枠内での「解決」形態である。この権利拡張としての解決の道は、まさに権利拡張それ自身の結果として、政治的限界に逢着する。一つは、権利の拡張が、支配階級の構成員となる道を広げることで、運動の内部に階級差別から発する亀裂が入ってくるためである。二つは、権利の拡張が、他の住民部分の権利との対立を強め、この方面でも自ずと限界に突き当たるからである。実際、世界各地の被抑圧諸民族の運動や反差別諸運動はおしなべて、こうした政治的限界の袋小路にはまり込みつつある。典型は、パレスチナに見る民族運動であり、米国に見るフェミニズム運動であるだろう。
差別を根本から廃絶する為には、権利を闘い取るとともに、その狭い枠を超えねばならない。社会的な差別構造(観念、慣習、法制を含む)の廃絶を、プロレタリアートの社会革命と一体のものとして勝ち取らねばならない。一つは、賃金奴隷制によって打ち固められている重層的な支配隷属構造としての分業体系と分業への人間の隷属を、ネットワーク型の分業体系と分業への隷属から解放された働き方へ改造すること。一つは、差別する側の人々と差別される側の人々とが、それぞれの伝統的労働領域(および失業状態)に、各人の自己発展の欲求を推力として大規模に相互参入する状況を、労働時間の大幅な短縮をはじめとした制度的整備によって創り出すことである。そこでは、差別される側の人々が差別する側の人々の伝統的労働領域に「就労する権利」(国家権力の保障)をもって就労することの拡大が、差別する側の反発の増大の中で、限界に突き当たるという問題は、消滅している。また差別される側の伝統的労働領域に生じる「欠員」が、『より』下層の被差別層(例えば「外国人」労働者)からの補充で「解決」されるという問題も、消滅している。そこでは、差別される側の人々の自由な発展の道が本当の意味で開けるのである。前記したように、こうした社会を実現するための物質的条件は成熟している。
かつてわれわれは、主として、社会的差別を支配階級による被支配階級に対する政治的な分断支配と結びつけて批判し、政治革命の内に差別との闘いを位置付けた。政治革命を手段として目指すところの社会革命の基軸は、生産手段の国有化とそれをテコとした分配上の差別の廃止のレベルをさして越えるものではなかった。社会的差別を根本から廃絶せずにはいない人間の自由な発展への欲求の増大とこの欲求実現の物質的諸条件の成熟とに立脚した社会革命(人と人の関係の本質的変革)は、当面の実践的課題の彼方に置いていた。
結局われわれは、差別問題に対する態度を、政治の領域における労働者階級の解放と被差別大衆・被抑圧民族の解放の相互依存性の強調に集約してきた。この相互依存性の強調は、社会革命の中味に根拠付けられていなかった。そのことは、「社会主義」の旗を掲げながら実際は階級社会・差別社会だったソ連社会を根本から批判できていなかったことと照応していた言えるだろう。労働者階級と被差別大衆・被抑圧民族との共同はしっかりしたものになりえるはずもなかったのである。
(4)われわれは、政治革命と社会革命の関係を見直されねばならない。
歴史上のこれまでの諸革命では、支配的な旧い生産諸関係と並んで新しい生産諸関係が発達し、これが政治革命の背景を成した。しかし従来われわれは、共産主義革命の場合はそれらと異なり、まずもって政治革命があり、その後社会革命に入っていくものとしてきた。われわれは今日、このような見解を、社会革命の物質的諸条件の未成熟に規定された見解として捉え返すことができる。
今や、支配的な資本主義的生産諸関係の綻びを突いて、高次の人と人の関係および人と自然環境の関係が現出しだしている。とりわけ資本主義の下で就労し得なくなった労働者階級のますます増大する部分が、生存の必要に迫られて、新たな協働関係を模索しつつ経済生活を組織し始めている。今日、経済活動において「環境」「育児」「学習」「福祉」等々といった人間の自由な発展を保障するための活動領域・本質的には利潤目的の組織には適さないこうした活動領域が、物の生産に代わり基幹的位置を占めていく必然的趨勢にあり、こうした新たな社会関係の発展を導いている。21世紀は、プロレタリアートの階級闘争が、発展し始めた新たな協働関係と経済生活をその布陣に組み込んだ形で闘い抜かれる時代となるであろう。
そしてこの時代には、二大階級の階級闘争が、文字通り国際的規模で、激烈に最後の決着まで闘われるに違いない。
ブルジョア階級の側は、一つの超大国の一定の支配・統制下に世界的な国家連合体制を形成し、その下で諸国金融独占資本の多国籍展開・グローバルな分業(=支配・搾取)体系を発達させた。同時に、産業の成熟により慢性的かつますます深刻化せずにいない過剰生産の深みにはまり、投機資本の肥大化と資本間の生き残りを掛けた熾烈な競争を余儀なくされている。これは労働者階級にとっては、ブルジョア階級の側への巨大な途方もない富の集積と引き換えに進行する環境破壊であり、大量失業であり、管理の強化であり、精神的肉体的過度労働であり、貧困であり、国際的重層的な格差の拡大であり、結局は秩序の崩壊であり、総じて資本主義の下では生活が成り立たない時代の到来となる。被支配階級の生存を保障し得なくなった(=社会を維持し得なくなった)階級は、歴史の舞台から降りる以外ない。階級闘争は革命に、労働者階級の革命的独裁の樹立に転化する。
ブルジョア階級は、そうならないように、一つの超大国を主柱とする世界的な国家連合体制(国際反革命同盟体制)に頼り、人民の監視・分断・抑圧とイデオロギー統合を強め、同時に資本主義の犠牲者の救済を含む・資本が組織し得ないますます拡大する活動領域を労働者の事業に委ね、それを政治的に取り込むことで支配秩序を維持しようとしている。しかしこうした画策も、それはそれでプロレタリアートの階級闘争の布陣を厚くし、階級闘争を発展せしめる条件とならずにいないだろう。
ここでわれわれは、現代のユートピア社会主義を批判しておかねばならない。それは、柄谷行人に見るような、「アソシエーション社会」を実験しようとする主張である。
曰く、「NAMは、倫理的―経済的な運動である」。曰く、「NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する」。曰く、「NAMは『非暴力的』である」。曰く、「(NAMは、)選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する」。曰く、「(NAMは、)情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである」。(以上「NAM(New Association Movement)原理」柄谷行人編著 太田出版p17〜19)
現代のユートピア社会主義は、マルクス(の時代)の「アソシエーション社会」論を現代的にアレンジし、その実験的建設に希望を見出そうと主張する。マルクスの理論体系から階級闘争の継続としてのプロレタリア階級独裁の理論を(くじ引きシステム論へと戯画化して)実質上消し去り、未来社会論だけを取り出す。したがって労働者階級の階級闘争に立脚する態度がなく、その意味において社会革命の物質的諸条件の今日的成熟に立脚して革命を展望するという態度にも欠けている。社会革命の物質的諸条件は、実験に活用するための技術に矮小化されてしまっている。
結局現代のユートピア社会主義の行動パターンは、150年程も前の先祖たちと瓜二つにならざるをえない。すなわちこの傾向は、「すべての政治行動、ことにすべての革命的行動をしりぞけ、彼らの目標に平和的な途でたっしようとし、小さな・もちろん失敗の運命をになった・実験によって、実例の力によって、新しい社会的福音をひろめようと試みる」(「共産党宣言」マルクス・エンゲルス、青木文庫p53)のである。
現代のユートピア社会主義が発生した背景の一つは、ソ連型社会主義(=官僚制国家資本主義)が最後的かつ完全にその権威を失墜させたこと。二つは、労働者階級の運動が、新時代を切り開くに相応しい内容・形態と力を未だ獲得できていないことにある。
(5)21世紀の共産主義革命は、以下の理由で世界革命となるだろう。
第一に21世紀の階級闘争は、アメリカ幕藩体制とでも比喩すべき世界的な国家連合体制(国際反革命同盟体制)とその下で多国籍展開した金融独占資本を相手とする階級闘争になるからである。
第二に21世紀の階級闘争は、生産手段の私的所有を廃絶し、旧勢力圏の枠を越えてグローバルな規模で構造化した分業への人々の隷属、就労と失業への分割からの解放を目指すたたかい、したがって国際的・国内的な国籍・民族の別による差別構造の解体をも目指すたたかいになるからである。
この世界革命は、国家・国境の廃絶へと至らずにいないものである。
かつてマルクスは、当面のプロレタリア革命を内容的には世界的だが形式的には一国的だとした。これは、今日の地平から見れば、政治的・経済的諸条件の未成熟に制約された現実的主張だったと、捉え返すことができるだろう。すなわち当時は、国家の廃絶の土台を成す私的所有=分業への隷属構造の廃絶(階級差別の廃絶)は、世界市場関係の大枠の中で資本と産業構造が基本的には未だ勢力圏的であったため、一国的にしか構想できなかったのである。当時は、まだ諸大国が割拠し相戦う「戦国時代」であり、そうした時代状況では各国の革命主体としては、とりあえず自国の支配階級を片付けるということにしかなりえなかったのである。だがいまや、アメリカ「幕藩体制」を打倒し、現代の「廃藩置県」たる国家・国境の廃絶が、社会革命と共に実践的課題となってきている。われわれは、この認識を持って現代における革命を構想しなければならない。
もちろん現代の世界共産主義革命といえど、直ちに全ての国家・国境の廃絶を実現できはしないだろう。まずは帝国主義諸国の国家・国境の廃絶に着手することから始まるに違いない。これら諸国における被抑圧諸民族の自決権を認める仕方で。そこは既に、国家・国境の廃絶の条件が成熟している地域である。「南」の諸国・諸民族との歴史的関係を考慮すれば、率先してそうすべきところである。
「南」の諸国・諸民族の場合は、事情が異なる。「南」の諸国・諸民族においては、「北」の諸国により植民地支配、そして独立後の従属的地位を強いられ、経済的には搾取・収奪され、文化的にも侮りを受け、「北」の諸国に対する政治的不信が大きいこと、「南」の内部にも少数民族の独立の要求が存すること、また農耕・牧畜が基軸の地主社会、工業的発展のブルジョア社会などが未だ生命力をもっていることなど、国家・国境を保持・形成する根拠は決して弱くないということである。民族自決権の承認という態度を堅持し、自発的な形での国家・国境の廃絶を展望せねばならない。
おわりに
現在の社会的思想状況は、未だソ連崩壊以降の逆流によって特徴付けられる。正面切って唯物史観を否定する「ポストモダン」が社会に蔓延し、共産主義運動をも蝕んでいるところに、逆流の深刻さを見ることができる。
「ポストモダン」の特徴は、社会的諸活動における究極の規定的要因としての経済的下部構造の位置を否定し、大きな物語はありえないと語って、資本主義の下での経済成長賛美論と共産主義革命の必然性に関する理論とをいずれも切り捨て、方向喪失こそ自由の保障であり価値があるのだと主張する点に在る。またそれは、社会的諸活動における消費者の側面の比重の増大を強調することの中で、資本の支配を転覆する闘いと、そのたたかいにおける労働者階級の指導的役割に関する理論を否定する。それは、ニヒリズムからの系譜をもち、アナーキズムに親和的で、多元主義と共生の思想を掲げ、ブルジョア社会の諸矛盾に対して改良主義の立場に立つものである。
改良主義的対抗思想たる「ポストモダン」は、帝国主義諸国において、芸術や学問などの精神的諸活動を生業とする人々のあいだから発信され、広く社会的浸透を見るに至っている。「ポストモダン」の受け入れられる公共空間が拡大したのは、地球環境破壊や大量失業などの社会存立の危機、利潤目的の資本の社会的統合力喪失、国民国家の政治統合の綻び等々に直面した支配階級が、こうした危機に対処する形で成長し始めた新しい民衆運動に対して、一定理解を示し、援助し、階級支配を補完する運動として取り込んでいこうとし、改良主義的対抗思想を歓迎したからである。
しかしわれわれは、こうしたポストモダン思想の社会的浸透が、共産主義運動の思想的権威の失墜に大きく条件付けられていることも見落としてはならない。この権威失墜は1991年のソ連崩壊の衝撃だけによるものではない。19世紀・20世紀初頭を捉えた革命理論が、通用しなくなったためである。
それは、マルクスやレーニンなど19世紀・20世紀初頭の革命理論体系を構築した人々の罪ではありえない。マルクス・レーニン主義は、唯物史観に立脚し19世紀・20世紀初頭の時代を捉え、実践を媒介にその基本的正しさを確認し打ち鍛えてきた革命理論であった。「現在」がその変化の内に「過去」を継承・保存しているものであるとすれば、われわれは、20世紀の最後の四半世紀の過渡を経て現出してきた21世紀初頭の現代の革命理論体系を、マルクス・レーニン主義の現代的発展として理論的に闘いとらねばならない。マルクス・レーニン主義は、教条でなく開かれた体系であると言われてきた。今その真価が問われているのである。現代を捉えた革命理論を再構築する責任は、われわれにある。
〔了〕
http://www.bekkoame.ne.jp/i/ga3129/roronn2yuibutusikann.htm
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