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2006年1月28日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.359 Saturday Edition
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http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』第235回
「その社会の不得意科目」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』第235回
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「その社会の不得意科目」
ついに「クルマ作り」はアメリカ社会の不得意科目になってしまいました。23日
の月曜日、フォード社の発表した大規模な工場閉鎖(十四ヶ所といいます)と、3万
人近くになるという規模での解雇という計画が各メディアを通じて報道されました。
この発表は昨年秋から予告され、直前には概要の予測報道も出ていましたから、その
「根回し」効果のためか規模の大きさの割にはインパクトはなかったのですが、大き
なニュースに違いありません。
ただ、余りに大きな「事件」だけに、フォード車のイメージに傷がつくことを恐れ
たのでしょう。創業者ヘンリー・フォードの「ひ孫」であるウィリアム・フォード会
長は自身が出演した「フォードの技術は最高です」というCMを週の前半に流してい
ましたが、焼け石に水というところでしょうか。
今回の報道では、静かにではありますが、全米の自動車産業において「最大の雇用
者」はトヨタになるだろうということも合わせて語られていましたが、それも自然に
受け止められていました。トヨタは、UAWという強力な業種別組合にてこずらない
よう、八十年代のはじめにGMとの合弁で現地生産を開始してからわずか二十年と少
しで、ここまでやって来たことになります。
今回の「フォードの敗北、トヨタの勝利」報道では、そのUAWとの関係にもふれ
る形で「デトロイトの人件費、特に医療保険と年金は高すぎて原価高を招いた。その
点、トヨタは比較的軽い負担で済んでいる」という解説はどこでもされています。
ですが、別にトヨタが福利厚生の支給をしていないわけではないのですし、アメリ
カの今の平均からすれば、十分高水準な処遇をしていることにも触れて、あくまで
「デトロイトは余りに高すぎた」というニュアンスでの報道です。とにかく、トヨタ
が「ずるい」というような言い方をしているメディアは皆無でした。
ですが、私には人件費や組合うんぬんというのは単なる言い訳にしか聞こえません。
とにかくフォードを中心にした「ビッグ・スリー」はクルマ作りに負けたのです。そ
れも世界市場でではなく、地元のアメリカで負けたのですからどうしようもありませ
ん。
例えば、八十年代末から九十年代にはフォードは「トーラス」とその「マーキュリ
ー」ブランドの双子車「セーブル」というファミリーカーが圧倒的な強さを持ってい
ました。本田の「アコード」やトヨタの「カムリ」などを抑えて全米のベストセラー
カーの位置を守っていたのです。事実、当時の「トーラス」は「アコード」などより
は少し大きな車体に前輪駆動システムを使って居住性を高めており、実用的なセダン
とワゴンとして立派な車でした。
ですが、この「トーラス」に追いつけ追い越せとばかりに、「アコード」と「カム
リ」がモデルチェンジを繰り返す一方で、「トーラス」は一旦SF的な丸い大胆なデ
ザインに走ったのが不評を買うと、以降は保守的な「キープコンセプト」を続けた結
果、今は昔日の勢いは全くありません。
この間のフォードは、世界戦略車「モンデオ」シリーズを中心に、ヨーロッパでは
かなり善戦していたのですが、その「モンデオ」はアメリカ市場に「フォード・コン
トアー」という名前で出したものの、「フォードのイメージにしては、少し小さすぎ
て、その割には高い」と叩かれるとあっさり撤退しています。世界戦略ということで
は、ジャグワの買収も成果はあまり出ていません。ジャグワに「タイプS」というミ
ッドレンジの新型車を加え、これをフォードの「リーンカーンLS」という車と双子
車にして部品を共通化する戦略なども、折角良い車ができたのに、売ることができな
かったのです。
この頃のアメリカではSUVやミニバンが伸びていて、どうやらこちらにシフトす
れば良いだろう、経営陣はそう判断したということもあるのでしょう。ですが、SU
V市場においても、後発のトヨタが「ハイランダー/レクサスRX」の双子車、本田
が「アキュラMDX/パイロット」の双子車というように、売れ筋の小型セダンのと
部品を共用しつつ艤装に工夫をこらした高付加価値車を投入してゆくと、あっという
間に市場を失っていったのです。
現在のフォードは、今ごろになって、恐らくは欧州用の二代目「モンデオ」の部品
を流用したと思われる「フュージョン」という新型車で勝負をかけていますが、V6
エンジン仕様で2万ドルを切る価格設定はほとんど韓国車のレベルであり、前から見
ると最近のキャデラック、横から見たラインは先代アコード、リアのデザインはヒュ
ンダイというイメージの「珍獣キメラ」のような車です。
先ほどご紹介したフォード会長の演説CMで紹介していたのがこの「フュージョン」
ですが、リストラと同時に言い訳めいたCFを流すというのは、マーケティングを知
らない人間のやることでしょう。では、どうしてここまで来てしまったのでしょう。
アメリカ内部では、社会がITや薬品、バイオの産業に移行しており、もはや自動車
という時代ではない、という声も聞かれます。ですが、自動車の販売が衰退したので
はないのです。依然として、アメリカは世界最大の自動車消費大国なのです。質量と
もに十分な消費者がいながら、そのニーズを満たすことができるのは日本など外国メ
ーカーだけ、というのは何故でしょう。
恐らく、アメリカ文化の中に「目に見えるもの」、「感覚に訴えるもの」を軽視す
る特質があり、それがこの自動車の開発というビジネスを停滞させているのではない
でしょうか。要するに「モノづくり」が苦手になってきているのです。その一方で、
「言葉になるもの」、「論理によって説明できるもの」、「世界を動かせる抽象概念」
など、つまり金融と情報通信などに優秀な人材が流れているのでしょう。そのあたり
のトレンドは大きなものがあるように思います。
逆に、今回の日本のライブドア事件は「言葉、論理、抽象概念」が苦手科目である
日本社会の特徴が出てしまったように思います。とにかく「金融」というもの、その
背景にある「信用」という概念がどうしても、社会に根付かない、その問題点が改め
て浮き彫りになったと思います。
まず不思議なのは、検察当局の行動です。今回の容疑については、例えば匿名投資
組合を使った株式交換で自社株を換金していたという件にしても、企業経営の方法論
としては全くの子供だましというか、悪質な詐欺と言うか、開いた口もふさがらない
ような大胆不敵な犯罪です。
どうして犯罪なのかというと、無価値の会社を大きな対価を払って買収することが
自社の資産状態を悪化させるからですし、その買収に伴う株式交換のために株の発行
をすると株主の一株あたり利益が明らかに減少するからです。日本の企業統治に関し
ては「企業は株主のもの」ではないという「へそ曲がり」の意見がまだありますが、
少なくとも日本の商法も証券取引法も「株主保護」を前提に作られています。
ですから、こうした違法行為を摘発するに当たっては、株主の利益に反する行為が
あったことを罰して、株主を保護する、あるいは保護できなかった事実について株主
に成り代わって企業の犯罪を罰するというのが商法や証券取引法の精神に基づいた
「法治」であるはずです。
ですが、今回の「摘発」劇では、経営者の芸能人のような人気がもたらす「風評」
のためか相当に買い進まれた株価を「下げる」ために摘発がされたような格好になっ
ているのです。摘発は法に基づくものかもしれませんが、そのタイミングと社会的な
効果を考えると、結果的に「株主の利益を損ねたのは検察当局」と言われてもおかし
くない事態になっています。まるで株式の発行会社の不正を口実に、その会社の株主
に懲罰を加えているかのような行動です。法の精神を生かしているとは言えません。
これでは、金融とか信用というような抽象概念は社会に定着しないでしょう。漠然
と当局が全権を持っており、その時代の気分に成り代わって、あるいは政争と絡めた
思惑で恣意的に「絶対権力を振るっている」ということになりかねません。
呆れたのは「株式交換」や「株式分割」を拝金主義の悪弊のように非難する声が出
ていることです。例えば株式交換というのは、日本の保守的な層の嫌う敵対買収では
なく、平和的な買収の際に無用な資金調達をしないで、買収後の新体制の負担を軽く
する手法だと思いますし、株式分割に至っては、株価のケタを下げないと、ボードや
チャートが見にくくなるから「一株を二とか十に分割する」だけの話で、誰が得する
わけでも、損するわけでもないのです。
ただ、分割に関しては、日本ではまだまだ株式の最低売買単位という規制があるの
で、意味を持ってしまうという点があるのですが、それでも「分割のある株は上がる」
などというファンタジーのような話題が、現実のマネーゲームの中で意味を持ってし
まうとしたら、これもまた子供じみた話に他なりません。
規制緩和とか市場中心主義というのは、「主体性のある個が積極的に他者に働きか
けて、お互いに信頼を築いて信用という概念を流通させてゆく」その結果として、
「上から強制された秩序」ではなく「名誉ある個が選び取った調和」という「全体の
利益=公共性」を追及していく文化だと思います。
そうではなくて、行政権の権威に自己を投影する集団心理を源泉に「ムードの赴く
ままに」社会をが右往左往している状態というのは公共性でも何でもないでしょう。
厳しい言い方ですが、この状況はカントリーリスクと言われても仕方がありません。
カントリーリスクといえば、アメリカの大きな弱点は再三申し上げているように
「他の国、他の文化が分からない」という病気です。その結果といえば、CIAとN
SAという巨大スパイ組織に全世界を探らせ、そこから得た情報によって軍事外交を
繰り広げる、という醜悪な姿になっています。
その中でも、NSA(国家安全保障局)は組織の存在自体が機密とされながら、不
気味な巨大組織として肥大化してきています。目下のところ、その「アメリカ市民に
対するスパイ行為」が大きな政争になってきているのですが、そんな中、今週の水曜
24日には、ブッシュ大統領が「公式に」メリーランド州フォートミードにある「パ
ズルの迷宮」ことNSA本部を訪れて「局員を激励」しました。
悪名高い「エシュロン・システム」を擁するこのNSAは、あくまで機密の中の機
密とされていたのですが、その本部を堂々と大統領は訪問し「諸君のような優秀な頭
脳がアメリカを守ってくれている」と演説をぶったのです。同時にゴンザレス司法長
官は「現在は大統領の宣言によって戦時である」ことを理由に「戦争遂行のための司
令官権限」で「市民への令状なき盗聴」は合法だと居直っています。
これに対しては民主党は徹底抗戦の構えで「テロの監視は必要だ。だが、法律で定
められている特別秘密法廷での審理、あるいは緊急時に認められている事後審査も含
めて、一切の捜査令状を取らずに、裁判所への報告もせずに盗聴をするのは違法だ」
という姿勢で一貫しています。
どうやらブッシュ大統領は目前に迫った「年頭一般教書演説」でもこの盗聴問題に
ついて「自己正当化」を貫く方針のようです。民主党はどこまで攻め切れるのか。見
物になってきました。ですが、この問題、人権やプライバシーだけで攻めもダメでし
ょう。
例えば、キーフというアメリカの若手学者によれば、盗聴による情報収集には次の
ようなリスクがあるというのです。(1)少しでも怪しい国際通話を盗聴したとして、
それを解析できるだけの処理能力があるのか。(2)仮に怪しい会話を特定できたと
して「あの山の方のオッサンは元気?」「ああ、そうみたいだよ」というような謎か
けのような会話(アラビア語には多いそうですが)をアメリカのコンピュータの前で
「解析」しているスパイに理解できるのか、という問題があります。
更に(3)そもそも、聞かれていると分かれば、大事な会話は紙のメモを人に託し
たり、「山」とか「川」というような初歩的な暗号にして画像に埋め込んだり別の手
を使ってくるだろう。(4)それより恐ろしいのは、盗聴を前提に膨大な「ガセネタ」
を流されたらどうするのか、というように、「対策としての有効性」から攻めるべき
だと言っています。
いずれにしても、この問題は、何度かこの欄でもご紹介した『チャター』(パトリ
ック・ラーデン・キーフ著)という私の翻訳した本に詳しく論点が整理されています
ので、改めてご覧頂ければと思います。
アメリカが異文化が分からないというのは、今週のパレスチナ代議員選挙の結果、
ハマスが勝利したニュースによってパニックを起こしていることでも分かります。民
主党は「ブッシュの中東政策の破綻」だというのですが、私にはようやくパレスチナ
から「平和的な手段で公式のホンネ」が出たのは悪いことだとは思えません。まずハ
マス政権を認め、その無害化を図る、いや公正で平和的な社会経済上の共存策を、ハ
マスを相手に粘り強く交渉する、その端緒に就くことができたと受け止めるしかない
ように思います。
敵か味方か、という二分法では複雑な国際社会を渡っていくことはできません。相
手のある話は、こちらの態度次第で相手も変わりうるのだ、そして自分も変わること
で相互の関係を変えることができる、その複雑なゲームが苦手なままに、異文化をコ
ソコソ盗聴して「アイツは怪しい」とやっているのですから、何ともやり切れません。
アメリカが異文化を理解することができない一方で、日本社会の不得意科目はやは
り英語でしょう。先週末はセンター試験で初めての「英語リスニング」が行われて色
々と話題になりました。私は外国語教育に携わっている立場から、早速音声を聞いて
みたのですが、何とも絶望的な気分になりました。
英語としては間違っていないし、発音もいわゆる「ネイティブ」のもの、しかもそ
れほどスピードが速いわけでも遅すぎるのでもない、試験としてはこういうものにな
るというのは分かります。ですが、まずもって1問目から終わりまで、細かく分れた
会話ごとにまったく人物も設定も違うのに、同じ男女二名の声優が出てくるのには驚
きました。
こういう「ニセモノ」会話を聞かせるというのでは、私たちが研究している「第二
言語習得理論」によれば、学習者の脳の中の「言語」を司る部分が活性化されないと
言われています。つまり、明らかに「ウソ」の環境の会話を聞くことで、コミュニケ
ーションの当事者としての脳の働きではなく、言語以外の脳の部分が暗号解読のよう
な働きをしてしまうことになるのです。
特に、このセンター試験の「リスニング」では明らかに若い学生同士の会話なのに、
声質も話し方も中年男女というようなものが含まれており、「ニセモノ」度はかなり
だと言えるでしょう。これは外国語教育上有害だと思います。試験は一回だけでも、
この形式に慣れるために、これからの受験生が類似の「聞き取り練習」を積み重ねて
いくのだとしたら大変だからです。
もう一つは「結論が最初に来る」という英語の構成を無視した問題が多いことです。
例えば「このセーターはいつもは80ドルですが、今は50パーセント値引きになっ
ています」というようなテープ音声を聞かせて、「このセーターはいくらか」という
のを答えさせる問題があります。選択肢には50とか、80とかいう数字も混じって
いて、哀れな受験生を「引っかけようと」待ちかまえているという寸法です。
このような会話が実際にないわけではないのです。ですが、学習者にこうした「結
論のあいまいな、あるいは先に出てこない」会話を聞かせるのは弊害が大きいと思い
ます。英語には日本語とは全く違う構造として、「結論を先に言う」という強いルー
ルがあります。
日本人に求められるのは「結論を先に言う英語が優れていて、即断する能力や権限
のない日本人では勝負にならない」などという敗北主義に流れることではありません。
そうではなくて、「偉そうに結論を先に言う相手にも、論理のほころびや、実は自信
のないところ」つまり「主張の弱点」があるはずで、そこを見抜いて攻めるべきなの
です。
偉そうに「イエス」と胸を張る相手の会話のリズムに合わせていって、しかもその
論理の穴を暴き出す会話、それは、商談だろうと、外交だろうと、国際結婚家庭の夫
婦ゲンカ(失礼)だろうと、本物の英会話には必要な技術です。英会話というのは名
誉と実利を賭けた戦いなのであって、それに勝つために必要なのです。そして勝つた
めには、この「結論の先に来る、一見すると立派な会話スタイル」に慣れなくてはな
りません。その意味で「セーターはいくらですか」という引っかけ問題を「リスニン
グ」させる、という行為は受験生の英語力を歪めることになるのです。
英語といえば、城島健司選手のシアトルでの入団会見も奇妙でした。日本を代表す
る名捕手がアメリカのクラブに期待を持って迎えられる一瞬に「よー、みんな、げん
きカナ?」的な意味不明の第一声を用意させたのは一体どこの誰なのでしょう。
城島選手をバカにするのもいい加減にして欲しいものです。英語には丁寧語も丁重
語もきちんとあり、初対面の挨拶においては慎重に自分の「クオリティ」を誇示する
ことで、以降のコミュニケーションの戦いに勝ってゆく布石とするのが常識です。そ
の「ゲーム」の意識のないままに、オープンな国に来たのだから明るくやればいいだ
ろう、では以降本当に苦労することになります。
城島選手は、英会話学校なり、周囲のメディア関係者なり、以降は本当に気をつけ
てホンモノだけを信じていただきたいと思います。それ以前に、まず地元のリトルリ
ーグの少年たちや、高校・大学野球の選手などアメリカの草の根野球に関わる人々の
泣き笑いに触れ、感動を通じたコミュニケーションの経験を積んでいって欲しいもの
です。
こうした点について言えば、トヨタや本田の社員の人々は、それぞれが本当に手探
りで英語を使いながら、工場の現場で、あるいはオフィスで、更にはディーラーとの
交渉の場で、英語の「戦い」にも勝ってきているのでしょう。
そう考えると、英語そのものが日本社会の「苦手科目」ではないのかもしれません。
ですが、このセンター試験のリスニングや、野球界のエピソードがが示すように、日
本人の英語はまだまだ問題だらけだと思います。国際企業のOBとか、その家族など
「日本人として英語で戦って来た」人のノウハウを公教育などに生かせないものでし
ょうか。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。米ラトガース大学講師。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア
大学大学院(修士)卒。著書に『9・11(セプテンバー・イレブンス) あの日か
らアメリカ人の心はどう変わったか』(小学館)『メジャーリーグの愛され方』(N
HK出版)<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140881496/jmm05-22>
最新訳に『チャター 〜全世界盗聴網が監視するテロと日常』(NHK出版)がある。
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140810769/jmm05-22>
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JMM [Japan Mail Media] No.359 Saturday Edition
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独自配信:104,755部
まぐまぐ: 15,221部
melma! : 8,677部
発行部数:128,653部(8月1日現在)
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【編集】 村上龍
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