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http://x51.org/x/06/01/1434.php から転載。
【Examiner/BBC】上(原文は右)の地図を見て欲しい。これは来週、北京で公開される予定の古い複写地図である。この地図は1763年、更に古い時代の地図から複写されたものであるとされ、現在、英国や欧米で大きな注目を集めている。何故ならば、この複写地図には、その複写元であるオリジナルが”1418年の地図”であると、はっきりと記されていたからである。つまりそれがもし事実であるならば、我々が長い間信じ続けていた常識、即ち、”アメリカ大陸が西洋に"発見"されたのは1492年、コロンブスによる”という歴史的事実が覆されることになる。そして現在、ひとまずこの複写地図の作成年代を巡って調査が行われ、その結果は来月公表されることになるという(地図の拡大写真はこちら)。
南北アメリカ大陸、アフリカやオーストラリアといった、現在我々が手にする世界地図と良く似た地形が示されているこの複写地図には、それがモ・イ・トンなる人物によって(1763年に)複写されたこと、またそのオリジナルが明朝の永楽帝(1360-1424)の時代、あるいは1418年に作成された地図であることがはっきりと記されている。元探検家にして古地図の専門家であるガンナー・トンプソン氏はエコノミスト誌の取材に対し、次のように語っている。「この地図は、我々が知る世界史を覆すことになるかもしれません」。
この複写地図は元々、弁護士にして古美術収集家のリウ・ガン氏が、2001年に上海の古美術ディーラーから凡そ$500で買い上げたものであるという。リウ氏は購入からしばらくの間、その地図の価値には気づかなかったが、二〇〇二年に事態は一変した。その年、リウ氏は英国で出版された本、「1421: The Year China Discovered America(ガヴィン・メンジーズ著)」を読み、初めてその地図の驚くべき価値に気づいたのである。
同書は、発刊当時から今日に至るまで、その内容を巡って大きな物議を醸している。何故ならば、著者のガヴィン氏が展開した論考とは、明朝永楽帝時代、イスラム教徒にして宦官であった異色の大提督、鄭和が世界を航海し、コロンブスに先駆けてアメリカ大陸に到達していたというものだったからである。
鄭和は、1405年から1435年にかけ、強大な艦隊を率いて東南アジアやインドまで航海したことは広く知られ、その様子は1418年頃に著された航海日誌「瀛涯勝覧」を初めとした歴史的文献に詳しい。しかし現在調査が行われているこの1763年の複写地図の記述は、これまで議論が続いているガヴィン氏の主張 ― 即ち鄭和が既に世界一周していたこと ― と"十分一致している"ことが明らかにされたという。
例えば複写地図の右上に書かれた文字は「全世界地図」を示しており、付記的に記された項目には、当時アメリカ西岸に暮らしていた人々の概要が、次のように記されている。"この地に住む人々の肌の色は赤黒い。頭や腕には鳥の羽が縛り付けられている"。また地図には幾つかの間違いもあり、例えばイギリスは地図には存在せず、また現在のカリフォルニア(=米西海岸)は島として描かれている。しかしこれら間違いはむしろ、この地図が当時書かれたものであるという事実を、逆説的に裏付けているとも言えるのである。
しかし多くの懐疑論者達からは、例え今回の複写地図が1763年のものであったとしても、そのオリジナルが1418年のものであったとする記述は疑わしいとする声が上がっている。また一部からは、例えこれが本当であったとしても、アメリカの第一発見者は決して中国人航海者ではなく、むしろヴァイキングのレイフ・エリクソン(※)であると主張している者もいるという。
※レイフ・エリクソンは一説には西暦1000年頃にアメリカを発見していたと言われる。二つのアイスランド伝説(「エリク・サガ」、「グリーンランド・サガ」)によれば、彼はとある陸地を発見し、そこで育つブドウにちなんで“ヴィンランド”と命名したとされているが、今日尚、ヴィンランドが実際にどこだったのか、また彼が本当にアメリカの"第一発見者"なのかどうか不明のままである。
【参考1】鄭和 - Wikipedia | 人類初の世界一周は中国人?より
とはいえ、鄭和よりもっと前に世界一周をしていた人々がいても不思議ではない。アフリカ一周航路の存在は古代エジプト時代から分かっていた可能性があるし、8世紀に起こったイスラム帝国の商人たちは、すでにアフリカ東海岸を南下する航路や、インド洋を横断する航路を頻繁に行き来していた。アラブ商人たちが、インド洋のもっと先の太平洋から南米に達したり、アフリカ南端を回って南米方面に向かっていたとしても、不思議ではない。
「地理上の発見」とか「大航海」といったような概念は、15世紀まで西欧からほとんど出たことがなかったヨーロッパの人々にとって「発見」であり「大」航海だった、というだけのことだ。その後、西欧文明が世界と「世界史」を支配するようになったから、「人類初の世界一周はマゼラン」ということが「常識」になったのだと思われる。
【参考2】鄭和の大航海 | ●鄭和の超巨大船「宝船」の謎
【関連】X51.ORG : 解読不能の書 ヴォイニッチ手稿はデタラメか (2)
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Posted by : X51 | 2006年01月14日 07:31
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