★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ42 > 673.html
 ★阿修羅♪
2012年に・・・ではなく、明日にだってそれは起こりうると考える事ではないかと懸念すべきと・・:件名のみ
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/673.html
投稿者 金十字架 日時 2006 年 1 月 14 日 07:26:10: mfAWtS4GF8MpY
 

(回答先: 一説では、2012年に地球文明が危ないとの情報もあり、だから宇宙人が沢山来ているとの事ですが(笑) 投稿者 Sun Shine 日時 2006 年 1 月 13 日 23:02:13)

心配ばかりしていても仕方が無いことではあるが。

毒を以て毒を制すのたとえ。
レメディとしてのそのプロフィールにもまた、遥か過去に同様の至りとみる。

歴史に「過ちはリセット」と白紙に上書きされたが、ディスクの陰りに記憶として残っている。それを紐解くに希釈、振とう、数万階に上り、ドは赤々と、あかあかあかとあかあかと、ファは大地の実り、美しき光の層に波紋は重なり響き、人の可視たる光、その意識は手に。
太陽の輝きは幾重もの元素と呼ばれる物質のぶつかり。生まれる色素こそ純粋なる元素。その七つ、暗黒の8つ。
密度ある教え、知りえたと言いやたらと披瀝せぬことこそ密教。それが意図されたメカニズム。
レメディたる所以。
連帯としての責任。赤ん坊叱るかのごとし。
その度合いは数々の過ちを見て、なお激しさを持つ。
怒りをつなぎ止めておくことは可能。
怒りを持続させる事も可能。
怒りを孕めばその分の苦しみをのちに伴う。
それは泣き叫ぶ表情に現れるだろう。
悲しみがそれくらいで済めば良い。回向。echo。
怒りを引きずり、その後には悲しみをひきつれている。
怒りをつなぎ止めているのは、悲しみから逃れたいが為。
さもそれが賢明といい、たぐり寄せ知りうるは悲。
それを経て道はまた開かれようにも、道の向きは真逆。回向。
しつけと怒るは怒りにあらず。
怒りと狂わば人とあらず。
愛なるは、エロスでもラブでもなくアガペーと知る。
世の中は無為の意と読み解くもの。
真理とは、それに触れた瞬間から、それが何かと考える。
それはシンプルで言葉に表せるものかもしれないが、
また言葉に表されるべきものであるべきなのか。
個体の外に真理は無く、体の外に追い求めても得られるものでもない。
各々の体と意識するその中に真理はある。
「宗」とは「繋がるもの」という意味がある故、宗教はつながりだと言うが、ムネをイツにするとしての心はこれは誰もが所有できていない。その種は誰にしもある。心とはもともと共有されるべきものであり、心とは個人が所有できるものではない。
すべての喜びに満たされた瞬間に人は感情というものが消え去る。
それが俗にいう、自己の喪失である。予測無くこの境地に陥った場合、それは恐怖を伴うこともあるが、それは単に準備ができていないためである。
人の生い立ちは色と分かれるが、全てはひとつへ繋がる道であり、すべてその色を出し尽くして、世に彩りと華やかさを与える各々がひとつの道へ導かれる。早かれ遅かれ、多かれ少なかれ、隠し通そうとするものも、直情なものも、ひとつみな同じ存在となる。
身体の痛みも胸に抱える苦しみにこそ我ありと感謝。暗黒に身を置き、それを悟らんとするは天命。それを与える者へも、与えられる事も、疑う者へも、疑われる事へも、奪われることも、堪え難き事と覚えた事の数々もまたすぎれば、なんら喜びを与えられる事と変わらん。すべて同一の感謝と喜びと。手の痛みあれば感謝。神経に持病あれば感謝。治らぬと覚える不安、焦り心あればそれに感謝。神経、脳のレベル、霊体のレベル、己が頑と信じぬ嘘、出鱈目、迷信、トリック、その用意されたすべての存在に感謝。その己の迷いにも感謝。感謝できぬとするその心ある事に感謝。心などないとするその意識に感謝。報われぬと踏んで諦めたすべての時を感謝で埋め尽くす。
猜疑心、またその心ある事、苛立つ事、その人間を憎む己の至らなさ、体の緊張、こわばり、それを生み出す神経、伝わる血、細胞、すべて同一の感謝。
弱きもの、強気もの、差、不義、不平と生み出すものに感謝。隔たりあることすべて意味を考え、生きとし者が生きるべく編み出された自然のすべてが調和たりとまたそれは知恵なりと、感謝ありと、養い、反省すべきと、その心広がり有りと、ありがたきと。世界、その時、時尽くる事の意味、見出す意味ある事、編み出された技、感謝する心、怒るものを愛すはまた心と、救いなく禍いあれども深く学びえる知恵、その深さの前に己は小さきとそのことに感謝。包まれていると感謝。育み生み絶やす事無き愛、そこに感謝と、身に覚える不満戯れ言過ぎた事足らぬ事すべてに感謝。
知恵無き者へも知恵たるもの必ず有りと、信じる心、夢見る無限、そこに大いなる感謝、また逃げ道ありともそれもまた感謝と、下の者に教わる事、上に救われる事にも感謝と、多くの導きありと感謝、他人を祈る事の感謝をまた下らぬと思うその心に感謝、出来ぬと思う事、それもまた感謝、これは異常なる異質な感覚であるとしても、それもまた与えられたもの、反省すべきは今に有りと、今を逃してもまたすぐにあるのだ、となおも深く感謝しつづける。焦り、不安、いらだち、それも心ある為と感謝する。
どれほど臆病な者でも、どれほど了見の狭く、自らほど不幸な者は無いと長らえてきていても、その心にさまざまに振り回されようとも、その心ある事に自分があると、意味があると感謝すれば無意識にこそ正しき向きへと導かれる。心により意識が正しき向きになれば、やるべきことが単純に目の前に見えてくる。無理に急がずとも、無理に焦らずとも、無意識に動き出す。焦りにこそ感謝、不安なる事にこそ感謝。無気力などでいられなくなる。それはすぐに手につかぬ事、やれぬ事をまた目の前に繰り広げようとする事ではなく、なおも感謝し続ける事。人たるものの意味、その伝えている事、何が世に必要か、考えられる事。そこに感謝。自然、そこに住まわされている事。何を伝えているのか。自分にもそれは発せられている。そのことに感謝、深く知り得ようとする準備をさせていただいている、感謝、感謝と、人の身体を通して感謝すべき事がなくなれば、世界のあらゆる所に目を広げ、すべての紛争、この星の中に住む63億の魂の全て、何十億から住み続けるこの人というもの、その惑星の存在の全てに感謝し、あらゆるものは敵としない、その強さたる感謝の心と、過去より永遠へ、ミクロからマクロへ次々に感謝する。それをしたとき、人体にある意識は人体に留まる理由を失い、空を飛び、なににでも重なることとなる。感謝に満たされた意識は石へ、砂へ、水へ、すべてに飛び移ることとなる。そしてまた全てを経れば、惑星そのものと意識が被さり、惑星そのものの意識と重なり、ものを見つめる事となる、そして宇宙と重なっていき、しまいには感情というものが突然すっと消え去る。感謝や喜びの念が消え去っても、意識はしっかりとしている。そこでも物事を考える事は出来る。雑念を伴うようにしばらく瞑想すると元に戻るが、そのまま何かを得る為に考える事は出来よう。しかしその段階をみだりに求めることは逆に困難かもしれない。いや、それこそ大感謝か。それはおのおの「体」の内に答えを見出すこと。ありのままの心に自分を重ねる事が出来れば、世に知恵の不足無し。必ず求める答えに出会える筈。他に答えを見出さない。無為の意で考える。何かに読み得たものはそのままここには無い。
真理はそれに触れたもの全てに力を与え、それそのものに力は無く、限りなく、どこへでも広がりを持ち、有志あるものすべてに触れてあるもの。それすべてがシンプルであり、善悪などに留まらない。よって真理たるものを外に求めずその心に求める。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > Ψ空耳の丘Ψ42掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。