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(回答先: 自衛のラインはどこ? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 1 月 02 日 13:26:28)
小室氏と同じような視点で ”大東亜戦争”(便宜的に使います。)を見る人にとって、ワヤクチャさんの言っている事は、説得力がないと感じます。言っている事が間違っているという意味ではなく。主張していることの 次元が違うというか。詳しい説明があれば 違うのかもしれませんが。
欧米が植民地支配を始めなければ、日本もしなかったのではと思うし。
アジアやアフリカや中東ももっと平和だったと思うし。
大本は、欧米列強だ。という考え方もできるわけですよね。
私は、こういう意見を批判する人は きっと、自衛の戦争だった ということで、中国への侵略を正当化し、多くの罪のない人を殺したり苦しめたりしたことを 正当化し、戦争を美化する、と考えるのでしょう。
私は、そういう風に誘導する勢力はあるかもしれませんが、必ずしも 戦争正当化、とか美化とか、殺人容認とか そういう問題とは少し違った次元で話をしているのでは と思うのです。
歴史観の問題なのではないか、と思うのです。人道問題を言い出したら、イノセントの国、特に金持ち国家で、なんてないのではないでしょうか。
欧米はそれを抜きにしていますよね。抜きで責任の所在や、立場を主張するとしたら、日本は自衛ともいえるわけです。無理やり 開国させられたし、不平等条約結ばされたし、まわりの国は、みんな欧米の支配下になっちゃし。次は自分の番 と思っても無理はない、と・
闘って 植民地支配から逃れるには、自分も彼らのような力をつけること、つまり、資源がいる、植民地がいる、ということになる。
しかし実際問題、こういう理論は、為政者側の理論だし、強者の理論ですよね。
庶民というか、犠牲になった多くの人側の理論がまかり通っていかなくてはならないはずです。
2度をこのような悲しい戦争被害者を出さないために。
で、そのためには、歴史観での違いで(欧米の理論に立っているのか、人道問題をからめるのか、つまり欧米には絶対適応しない 人道の要素を日本の歴史的立場を決める際にのみ使うのか)戦争は2度としたくないという気持ちを持つ人々を分裂させてはいけないと感じるわけです。 私は、小室氏のことはよく知りませんが。彼のように考える人々、と 将来2度と悲しい戦争をおこすまい、として行動しようとする人々と 必ずしも敵対するとは思えません。
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