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西尾幹二(著)「日本はナチスと同罪か」 ドイツは戦勝国への国家賠償はまだビタ一文支払われていない
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投稿者 TORA 日時 2006 年 1 月 02 日 20:25:33: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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西尾幹二(著)「日本はナチスと同罪か」 ドイツは
戦勝国への国家賠償はまだビタ一文支払われていない

2006年1月2日 月曜日


◆日本はナチスと同罪か―異なる悲劇 日本とドイツ 西尾幹二著
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980138211

◆新版まえがきー九〇年代以降の戦後補償間題

日本はサンフランシスコ講和条約を昭和二十六年(一九五一年)に結んで、翌年にこれが発効し、国際社会に復帰することができた。ドイツは日本に匹敵するいかなる講和条約をも国際社会とまだ交わしていない。というと誰でもみな工ーツとびっくりした顔をする、ドイツは近隣諸国と法的にはいまだに交戦状態にあるのである。

講和条約を結んでいないのだから、ドイツは戦勝国にいかなる賠償も支払っていないし、犯した戦争犯罪に対し償いも謝罪もしていないのだ。そんなバカなことをいうな、ウソいうんじゃないと叱られそうになるが、じつはそうなのである。なにしろ日本に比ベドイツは理想的な戦後補償をはたし、模範となる謝罪を重ねてきたという「ドイツ見習え論」を、日本人は耳に胼胝ができるほど聞かされてきたのでなかなか信じてもらえない。

もっとも、この本の末尾の「文庫版のための新稿本書がもたらした政治効果とマスコミヘの影響」で明らかにしたように、「ドイツ見習え論」は近頃やっと少し下火になり、日本の戦後補償は完了している事実が国内ではだんだん分ってきた。

ただし、代わりに、中国や韓国の首脳がドイツに比べ日本は過去への反省が足りないなどとデタラメなことをことさらに声を高めて強調するようになり、町村外相が国会でドイツと日本とでは背景の事情が違う、と反論する一幕もあった。外相が自信をもって語るようになる程度には日本国内のこの件での認識は進んだといっていい。

ドイツ在住の川ロマーン恵美さん(『ドイツは苦悩する』という良書を二〇〇四年末に草思社から出版した)から聞いた話だが、ドイツが講和条約を結んでいないこと、賠償も払っていないことを知っているかと何人かのドイツ人に聞いたところ、誰も知らなかったという。ドイツでも本当のことはきちんと教育されていないらしい。

この六十年問、国民にナチスの犯罪を徹底的に叩き込んだといわれ、立派だと誉められているドイツの戦後教育だが、自国に都合の悪い一番肝心のことは抜け落ちているようである。「ナチスの犯罪」は「ドイツの犯罪」では必ずしもないという教え方がなされている一つの結果であろう。

ドイツが講和を結んでいなかったのは、戦後、一九九〇年まで東西分裂国家であって、ドイツという国家が存在しなかったからである。賠償も謝罪もしていないというのは一般の戦争犯罪に対してであって、ナチスの特有の犯罪であった民族絶滅政策(ホロコースト)に対しては十分とはいえないまでもすでに五〇年代から補償が行われている。

ドイツ人は頭も下げてきたし金も払ったと自ら思い込んでいるのは、ホロコーストと一般の戦争犯罪、こなかった事情による。ヨーロッパは中世以来ずっと侵略したりされたりしてきた地域で、いまさら侵略戦争がどうのこうのとは互いにいえた義理ではない。ドイツ人もそう信じて、高をくくっていたのだろう。

ところが近年事情は一変した。ドイツという統一国家が再生したからだ。すると講和条約が結ばれるべきだといいだす国が出てきた。当然戦時賠償をあらためて支払えという要請を伴っている。

以下は本書がまだ取り上げていなかった九〇年代以降の話題について述べる。本書の指摘が本書より以後に起こったドイツをめぐる、主として九〇年代後半から二〇〇〇年代への新しい状況をある意味で予知していた結果になる。

ゴルバチヨフが登場して、東西ドイツとイギリス、アメリカ、フランス、ロシアの計六ヵ国の間で「2+4条約」というのが一九九〇年に締結されたことは知られていよう。名実ともに統一ドイツが承認された条約である。ここでこの「2+4条約」を第二次世界大戦そのものの講和条約に替えようと発議した国があった。ロシアである。これにはドイツは困った。

いままで統一ドイツができるまで賠償は棚上げといって逃げてきたからである。西ドイツは貧しい東ドイツを抱え、これからどれくらいお金がかかるか分らない。そこへ近隣諸国がこぞって賠償請求を始めたら財政的にとんでもない事態になってしまう、という恐怖に襲われた。イギリス、アメリカ、フランスの西側三国も、ドイツの疲弊と混乱は自国にも災禍となるので容認できない。そこで待ったをかけた。問題を先送りした。最終解決ではない。

しかし東側の国々やその他の貧しい国々は必ずしも同調しない。一般の戦争犯罪ーホロコーストではないーに対する古傷があちこちで蒸し返されるようになった。例えばギリシアである。一九四四年、ギリシアのディストモスという村で、パルチザン秘匿の理由による集団虐殺が行われた。一九九七年になってギリシア政府は賠償請求をいいだした。

ドイツ政府はこれを認めたら、世界の各地でナチス政権下の虐殺が問題にされだすことになるので、どうしても認めるわけにはいかない。戦後からいままでさんざん国際協力をしてきたドイツの業績を顧みて、いまさら新たな要求に応える根拠はないときっぱり拒絶した。

'しかし勿論、ドイツの賠償問題は先行きどうなるか分らない。統一ドイツになってからまだ賠償を受けていないホロコーストの外国人被害者が裁判を起こし始め、九〇年代半ばに訴訟の波が拡大する恐れが出てきた。ドイツ政府は主権国家への要求は主権国家でなければ応じる必要はない、という国際法を盾に個人の訴えを退けた。

しかしドイツ企業が戦時中の強制労働を理由に新たに訴えられるようになりだし、国家ではなく企業が標的になりだした。(同じ時期に日本の企業も訴訟の波にさらされ、旧アメリカ兵による強制労働の告訴は大事件に発展しそうな雲行きだった。)ので、ドイツ政府は二〇〇〇年、政府と企業の協賛で、百億マルク(約七〇〇〇億円一の基金をつくった。基金の対象は、すべて外国人で、強制収容所に入れられたホロコーストの犠牲者、ジブシー、生体実験の被害者などの生き残っている人々に限られる。

これで例えばポーランド人の約四十八万人が緊急の補償を受けることができた。亡くなった人は対象ではない。やっともらえるようになって一人約二十二万円程度にしかならない。ごく最近の出来事である。

ドイツ政府はこれをもっていっさいの賠償の終結とすると宣言しているが、戦勝国への国家賠償はいまいった通りまだビタ一文支払われていない。ドイツ国民ももう内心これ以上はいやだとうんざりであるが、さてどうなるか分らない。賠償問題はドイツ人には触れてもらいたくないいやなテーマで、一日延ばしに引き延ばして歴史の背後に消えてしまうのを祈っているかに見える。

だからドイツ国内では議論しないし、教育のテーマにも出てこない。だが、本当に忘れられ、消えてしまうのか、被害国が時期をうかがって待っているだけなのか、じつのところはドイツ人にも分らないし、われわれにも分らないのだ。

ただ一層はっきりしていることは、ドイツのこの一連の出来事によって、ホロコーストは戦争犯罪ではなく別種の犯罪であるということである。ホロコーストの歴史を持たない日本は国家賠償の伝統的な戦後処理を果たし終えているという本書の主張と主題は、これをもって一段とはっきり公認されたことが証明されたといえるだろう。

旧アメリカ兵の日本企業への九〇年代における訴訟は、ブッシュ大統領の裁決で、サンフランシスコ講和会議で日本の賠償はいっさい解決済みであるゆえ、無効であると決定された。

ドイツは戦後ずっとホロコーストの罪を問われ、個人補償という形式で、償いを、つづけてきた。そしてそれもいまだ十分でないが、二〇〇〇年の百億マルク基金で終結したつもりであるものの、ホロコースト以外の国家賠償はこれからである。暗くして遠い道のりである。他方、日本は戦後六年にして講和を締結し、国家賠償を果たし終え、ホロコーストと無関係なので、いっさいの償いは終了している。

日本人が戦後補償に関し「ドイツ見習え論」をいうのはおかしく、ドイツ人が「日本見習え論」をいわなくてはならないといういきさつは、以上をもって明らかだろう。(P3−P8)

◆ナチスの根底にあった生物学的人種思想

そして、ナチズムもまた全体主義の運動である以上、固定した敵にとらわれず、敵の概念をたえず新たに移動させた。ドイツの歴史のなかで非連続性の要素とみられる第二点がこれに関連している。すなわち、非連続性の第二の要素は、ヒトラーの世界観の根底にあった生物学的人種思想である。それは第三帝国の拡張と経営より以上に、彼にとってはるかに重要な意味を持つものだった。

人は通例、この思想をヒトラーの反ユダヤ主義と理解しているが、それだけでつきる問題ではない。ユダヤ人虐殺の規模と方法がいかに未曾有のものであったとしても、反ユダヤ主義だけなら歴史のなかに他にいくらも先例を見出すことができる。それはドイツ特有の問題でさえ必ずしもない。ヨーロッパの歴史、キリスト教教会の歴史にむしろ関係がある。

つまりヒトラーのケースの特異さはそれが現代的全体主義の運動と運動していた点なのだ。単にユダヤ人を絶滅するというだけのことだったら(それだけでも身の毛のよだつ話ではあるが)全体主義的権力はただ一度巨大な犯罪を行った後に、秩序を取り戻し、正常の生活と通例の統治方法の日常性に立ち戻るものと考えてよいであろう。

しかしナチスの場合には実際にはその逆であった。敵の対象は移動し、焦点は新たな敵に向けられる。次々と標的は変えられていく。その一部は実行され、時間不足で大半が実現しなかったナチスの計画表によると、ジプシーとユダヤ人の絶滅につづいて、ポーランド人、ウクライナ人(一説では全ロシア人)の絶滅、オランダ人、ロレーヌ人、アルザス人のような西ヨーロッパ国民の知識階級の絶滅を含み、さらには器質的疾患を持つ者、肺病及び心臓病患者は、家族もろともに消し去られることになっていた。

ポーランド人はこの計画を薄々知り、ユダヤ人の絶滅が完了するのを秘かに恐れていたという記録もある。これはドイツの歴史にも、人類の政治史にも、先例を見出すことのできない非連続性の最大の要素である。

ナチスにとってすべての事柄の出発点は、人種である。人間の価値をきめるのも、その思想や行動ではなく、彼がどの人種に属しているかである。ある人種に属しているものはそれだけで生存の価値がないとされる。人種の選別において最も重要なのは、血である。それゆえアーリア人種、とりわけその中核をなすドイツ民族は、自らの血の純潔の維持につとめなければならないと考えられた。

このプリミティヴな世界観がいったん確立されると、ヒトラーはそれにじつに忠実に従い、行動した。一九三三年の優生法や三五年の婚姻法の制定が、それである。結婚は十分な医学的.優生学的な検査をまってはじめて許可された。生物学的にみて好ましくないとされたひとびと(精神病や聾唖の遺伝のあるもの、常習犯罪者など)に対しては、断種や不妊手術が強制された。そのための優生裁判所までが設置された。

戦争が始まった一九三九年から二年問、ドイツにおける病人患者の大量殺裁の命令がヒトラーから出され、療養所や看護施設にいる約十万のドイツ人が職権で殺害された。いわゆる「安楽死政策」である。これが二年で止められたのは、住民の間に不安をよび起こし、教会の公然たる抗議を招いて、戦争遂行の目的にそぐわない、むしろ目的の邪魔になると、判定されたからである。

人種思想に発したナチスの行動が、戦争行為とは一致しないゆえんである。またドイツ人のなかの劣悪者を排除するというこの措置は、ナチ犯罪の動機が単に対外侵略にだけあるのではない本質を物語っている。

ナチスの侵略が外国領土における自国の権益確保、植民地支配といった程度をはるかに越えていたのも、「人種」の理念に関係がある。ヒトラーによると、人類の歴史は人種間の闘争の歴史である。闘争こそは、いっさいの創造の源である。

優秀な人種が劣悪な人種を屈服させるところに、文化は成立し、発展してきた。従って前者は後者と闘争し、後者を奴隷化することが、侵略の本来の目的なのである。ドイツ民族のためにヒトラーが要求する「生存圏」という考え方も、人種としての優越のこの思想に基づく。(P26−P28)


(私のコメント)
ナチスドイツが行なった戦争と大東亜戦争を比較してみるとなぜ日独が同盟したのか分からなくなりますが、ナチスドイツは人種差別的な見方からユダヤ人などの劣等民族の殲滅を行なったのに対して、日本は人種差別撤廃など国際連盟に提案したり、「聖戦」と称してアジアの植民地解放戦争を行なったりして、目的は全く逆の戦争を行なった。

アジアの植民地支配からの開放と言うのは後からつけた戦争のためのプロパガンダに過ぎないのでしょうが、戦争が終わってみればアジアは植民地から解放されたのだから結果的に見て「聖戦」の目的は達成された。それに対して中国と韓国はクレームをつけているが、中国との戦争は共産党との内戦に巻き込まれたものであり、毛沢東も日本軍によって救われたと言っていた様に日本軍は利用されたのだ。

それに対してナチスドイツは優生学的な見地から民族隔離政策を行い、本来の戦争目的から逸脱してまでユダヤ人大虐殺を実行しようとした。戦争に勝つためならばユダヤ人といえども兵士や労働力として働かせたほうが合理的なはずである。だからナチスの行なった戦争とホロコーストとは別のものだ。

大東亜戦争は対外侵略という見方ももちろんあるし、東京裁判は侵略戦争として「平和に対する罪」として裁かれた。戦争においては負けたほうが犯罪者として裁かれるのは歴史の常識であり、皆殺しにされても、そのような例はいくらでもあるから、どのような刑も甘んじて受け入れなければならない。しかしどちらが正当であったかは歴史家が決めてくれることだ。

しかしナチスドイツが行なった戦争は本来の侵略目的のほかにホロコーストと言う優生学的人種選別的大虐殺を行おうとした事だ。このような事はどのような理由があったところで正当化されるものではなく、ニュルンベルク裁判では「人道に対する罪」として裁かれた。東京裁判では「人道に対する罪」で裁かれた被告はいない。

似たような例としては、近代ではアメリカにおいて300万人ものアメリカインディアンを絶滅させた例があるが、アメリカの白人たちは何の刑罰も受けることなく現代に至っているが、太平洋戦争においてもアメリカは十数発の原爆を投下して日本人を殲滅しようとした。アメリカ人は戦争を挑発してはインディアンを滅ぼしてきた。それを日本に適用したのが太平洋戦争だ。

だからユダヤ人を滅ぼそうとしたナチスドイツと、日系人を強制収容所に収容して日本人を原爆でもって絶滅させようとしたアメリカ人とどこが違うのだろうか。原爆は明らかに陸戦協定に違反する明らかな戦争犯罪であり、物理的にも日本人を絶滅させる事は可能な兵器でありアメリカは実際にそれを使用した。

ユダヤ人がナチスドイツを裁いたごとく、日本人は原爆を使用したアメリカを断罪すべきだろう。これは明らかな日本人に対するホロコーストだったのだ。パールハーバーを先制攻撃したのは日本軍だが、これはインディアンを挑発して戦争を仕掛けた方法と同じで、彼らの食料であるバッファローを絶滅させて開拓者を送り込んできたらインディアンは追い詰められて戦わなければならなくなった。つまりナチスドイツと変わらないアメリカと、日本は戦争をして負けはしたが人種差別撤廃や植民地開放には目的を達成したのだ。

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