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(回答先: 「日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する」 小室直樹 著 大東亜戦争は自衛の戦争であり侵略戦争ではない 投稿者 TORA 日時 2006 年 1 月 01 日 17:37:38)
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「セブンティーン」 大江健三郎 96/03/14 18:11
大江健三郎の「セブンティーン」を読んだ。これはいわゆる初期大江の短編
の一つである。「セブンティーン」は、この作品の第二部の「政治少年死す」
とともに、右翼から、小説がモデルにしている浅沼委員長刺殺の少年を著しく
汚すものとして、激しい攻撃を受けた。結果として、「政治少年死す」は大江
の作品群から自主的に抹消されてしまい、現在、どの作品集にも収録されてい
ない幻の短編になってしまっている。小説の主人公が右翼結社に入るまでを描
いた第一部「セブンティーン」は、しかし、現在も新潮文庫等より刊行されて
いる短編集「性的人間」の中に収録されていて読む事が出来る。
この「セブンティーン」は十七才の少年を主人公にすえている。彼は高校生
である。
大江は彼をひどく書く。彼の自慰行為を詳述する。授業中に聞いた無限の概
念にめまいを起こした彼が失禁したと言う事を書く。さらに体育の八百メート
ル走でゴール直前に彼が疲労の極から、やはり失禁したと言う事を書く。風呂
に入りながら、自分の顔や身体を嫌悪しつつもそれにこだわる様子を書く。彼
は自信がなく、ナイーブであり、自意識が強く、世界との関わりの仕方がよく
判らずに困惑している(多少誇張された)普通の存在として書かれている。
彼は心情的に左翼であると考えている。皇室も自衛隊も、すべてその心情的
な所から批判している。しかし、自衛隊関係の施設に就職している姉との口論
で彼はあっさりと左翼的な気分を否定されてしまう。彼は何者でもない赤裸の
自分と言うのを思い知らされる。彼は世界の中で居場所を探す迷子のようにと
言うのではなく、世界と生身で対立しているような孤独を強く感じる。
学校の左翼的な雰囲気から倒錯する形で心情的、ファッション的に右翼への
憧れを持っている同級生から、右翼の演説会のサクラのアルバイトに誘われる。
駅前で党首が行う孤独な演説は彼に衝撃を与える。それは語られている内容
と言う事ではなく、世界から疎外されながらも敢然と世界と対立し続けるよう
に演説を続ける党首の態度に感銘を受けたと言う風に書かれる。彼はここでス
タイルを見つけたのだ。世界との関わり方の一つの方法、態度を見つけたのだ。
彼は入党し模範的な右翼少年としての道を歩み始める。組織の制服に身を包
んだ彼はすでに彼ではない者になっている。風呂場でこだわった自分と言うも
のの裸はもう彼に意識されない。当時の言葉でトルコ風呂と呼ばれていた場所
で彼はまさに丸裸で、女性に向き合える自分を発見し自信を深める。彼は堂々
と世界に向き合えた自分を見つけたのだ。やがて、彼はどこまでも自分と言う
ものを消し去る事に、いつのまにか理想の姿を見い出すようになっていく。
と、大体、このような感じで「セブンティーン」は終了している。おそらく
第二部とされる「政治少年死す」は、この少年がテロ行為を実行するまでが書
かれているのだと推測するのだが、残念ながら今は読む事が出来ない。
すべてのイデオロギーを一回否定してみたい。そんなモノは何の価値もない
のだと、そう仮定してみる。その仮定した立場から、この小説を読んだ時に感
じられるのは、ただ少年の成長と言う事のみである。何者であるのかと言う事
に戸惑っていた少年は、たまたま、「イデオロギー」に出合い、それが自分を
規定してくれた事に安心の境地を見い出す。これは、一人の人間の成長の記録
として真っ当な道筋ではないかと考えたのだ。
イデオロギー、思想的立場が人間に何をもたらすのかと言えば、つまり、そ
のように自分を守り、制限し、規定し、枠付けをしてくれる安心の境地にある
と思うのである。これが仮に幻想であるとしても、幻想している本人がそう考
えているかぎりは世界に対抗する手段として有効であるはずなのだ。
そして、最大の問題は、一度まとったものは容易には脱げないと言う事であ
る。ばかりか、まとったはずのイデオロギーがいつのまにか自分と世界の間か
らなくなると言う事に気がつく。そこに思想、イデオロギーが人間に仕掛けて
いる罠が潜んでいると考える。彼は一つのイデオロギーをまとうことにより、
彼自身の主観の中で無敵になる。彼はイデオロギーをまとっている。しかし、
いつか、彼はイデオロギー自体を彼自身の肉体で守っている事に気がつく。彼
は丸裸で世界とイデオロギーのまん中で立ち尽くしているのだ。
おそらくこのような過程で少年はテロをせざるを得ない事態に追い込まれて
いったのではなかったか。
安住の場所を探すためには、おそらく一つの場所に留まってはいけないのだ
ろう。そこに留まる事は、いつかその場所を守ると言う立場に追い込まれてし
まうと言う危険を持つと思うからだ。逃げて、立場を変え続ける事。
いくつもの思想、イデオロギーを変更可能な仮面として持ち続ける事が重要
なのではないか。少なくとも、ぼくは思想、イデオロギー、宗教をそのような
仮面として扱う立場を支持し、さらにはその立場に憧れるのだと言う事。
それにしても「政治少年死す」を読んでみたい。
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