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質問 第1次世界大戦後、ドイツは深刻な経済危機に陥いり、国内はかなり疲弊していました。ではヒトラーはどのようにして(経済政策、政治政策、外交政策など)ドイツをあそこまでの強大な国家にすることが出来たのでしょうか?
回答
ナチスが政権獲得後、経済政策、外交政策等において非常な成功を収めたのは事実です。ナチスが政権を獲得する直前の1930年代初頭は、大恐慌の影響を受けて大変に不景気な時代でした。そうした中でナチス政府は、アウトバーン(高速道路網)建設などの大規模公共事業の展開による景気浮揚策を実行し、また国民兵役義務の導入による失業者対策を行いました。こうした政策を実践する際、ナチスは国民共同体のイデオロギーを徹底的に利用しました。国民は単に自分の生活のためのみならず、ドイツ国家のために労働に励むのだという気にさせられました。これらの施策は予想以上におおきな経済的効果をもったと思います。政権獲得後3年経った1936年にはほぼ完全雇用を達成しました。
一方、この間ナチスは第一次世界大戦で勝った連合国に対する賠償支払いの義務を拒否し、ヴェルサイユ条約で非武装地帯とされたライン川流域(ラインラント)に軍隊を進駐させ、1937年にはオーストリア、さらに翌年にはチェコのズデーテン地方を併合するなど、矢継ぎ早に積極外交を展開しました。こうしたナチスの成功が国民が当初ナチスに対して持った不信感、胡散臭さを軽減、解消したことは間違いありません。ただ気を付けなければいけないのは、こうした施策をまかなう財政的基盤はドイツにはなく、もっぱら国家財政の赤字のうえに大規模公共投資、軍備拡充等を行ったことです。こうした財政赤字を最終的に解消する道としてナチスが考えていたのは、異民族に対する強制労働や、先勝の暁に得られる戦利利得であったと考えられます。そもそもアウトバーンの建設自体が戦争準備と無関係のものではあり得ませんでしたし、事実上失業対策になった国民兵役制にいたってはなおさらです。
とすれば、ナチス経済の基盤には危ない戦争の臭いが常につきまとっていたと言わなければならず、これを数字的成果のみで評価するのは一面的になるおそれがあります。この辺がナチス経済評価の難しさかと思います。しかし、いずれにせよ、こうした経済政策でのめざましい「成功」があったればこそ国民がナチス政権になびいたのは事実で、その意味では、経済をささえた国民共同体イデオロギーは、うまくいけばいくほど、さらに説得力をましてドイツ国民に入っていったわけです。ヒトラーに対する熱狂的支持もこうしたことと関係があります。
http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/qanda/ecomonicpolicy.htm
「ドイツ現代史を訪ねて」(現代史研究者の清水正義氏の著作)より
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著作者の方へ:
引用の前に承諾を得るのが道理とは思いますが、困難であったのです。
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