★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ42 > 429.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
人生劇場 いざ序幕
富士の嶺のいや遠長き山路をも 妹がりとへばけによばず来ぬ (万葉集・作者不明)
富士の嶺の長い長い道中を、貴方のことを思っていたので息も切らせずやってきたよ
写真:小川幸吉
http://www.bund.org/culture/20060101-2.htm
----------------------------------------------------------------
short&short 万国のコスプレーヤー団結せよ
谷中広
初めは「テロ対策」だった。 東京がこんなにも住みづらくなったのは。辻々に警察官が立ち、至る所で検問が繰り広げられた。(指定管理者制度によって彼らのほとんどは民間人だった。)いや、百歩譲って「テロ対策」は認めてやっても良い。支離滅裂なのが、服装検査だ。
思えば杉村太蔵が総理大臣になってから、すべてがずれ始めてきた気がする。いや、その前からずれていたのかも知れない。何とかチルドレンと騒がれていた頃から――。
杉村太蔵が首相に就任して初めて通した法案が、「特定観光都市服装等規制法」(通称コスプレ法)だ。これは、「東京を国際観光都市にする」という大号令のもと、外国人にわかりやすく親しみが持てる街にするために、「特定観光都市」に指定された街はその街に似合った格好をする者だけが通行を許されるというものだ。
現在指定されているのは、秋葉原、渋谷、新宿の3つ。秋葉原は男はオタク系、女は萌え系、渋谷は男はギャル男系、女はギャル系、新宿は男はホスト系、女はキャバクラ嬢系と服装・髪型・持ち物などが決められた。
オレは秋葉原にパソコンのメモリーを買いに行くときに、ちゃんとチェックのシャツにルーズなジーンズ、指出し手袋、伊達の眼鏡までしたにもかかわらず、鞄が中国製高級ブランドのブリーフケースだったばっかりに検問で止められ、民警に取り上げられたばかりか廃棄処分させられたのだった。秋葉原はDバッグか紙袋じゃなければいけないのだ。
オレの友達は若ハゲのせいで、新宿に行けなかった。茶髪か金髪のセミロングじゃなきゃ駄目だからだ。
いや、オレらみたいな若い奴はまだいい。悲惨だったのがその街に以前から住んでいた住民たちと会社の勤め人だ。まさかいい歳したおっさん、おばさんがギャル男になったり、キャバクラ嬢になるわけにはいくまい。結局、皆秋葉原、渋谷、新宿からは出ていってしまった。この3都市は巨大なスラム街となった。なにせ格好だけは適法なホームレスやギャングもどきが、とぐろを巻いているのだから。
そういえば、杉村首相が衆議院に初当選したとき、「ニートの星」と呼ばれたそうだ。何が「ニートの星」だ。今やニートなんて死語だ。20〜30代の67%が無職なのだから。当人は、閣僚に大抜擢されたすぐ後に女優の伊東美咲と電撃結婚をし、今では巣鴨のとげぬき地蔵尊を壊して建てられた超高層マンション・巣鴨ヒルズに住んでいる。
こんな馬鹿げた法律、反対の声も当然あった。しかし、決定的だったのは「電子国民投票制度」の普及だった。パソコンを扱えない年寄りは置いていかれた。そして22ちゃんねるなどのBBSに夢中になっていた若者たちは、コスプレ法を熱狂的に支持した。コスプレ法が通常国会を通った日、歌舞伎町のホストクラブではドンペリが何本もぽんぽんと開けられたと言う。アキバでは男どもが「萌え〜!」と雄叫びを上げ、メイドの格好をした少女たちがヨドバシカメラの前を狂喜乱舞したと言う。
コスプレ法には意外な仕掛け人がいる。公安だ。共産党の退潮、オウム・麻原彰晃の獄死、新左翼の崩壊などによって、公安警察は風前の灯火にあったが、この法律によって奇跡的に息を吹き返した。スラム街の治安管理対策法でもあるコスプレ法によって、公安は警視庁で今や第13課まで誇る巨大組織となった。
今日は月に一日のハイパー漫画喫茶のバイトのために、アキバに行く日だ。昨日まで新宿仕様の金髪だったのに、また黒髪に戻し、寝ぐせ風の髪型にしなければならない。何度も染め直したりしているせいで、髪の毛がボロボロだ。シャンプーを流す湯が目に染みる。糞ったれ! オレが巣鴨や六本木生まれだったら、つまり金持ちに生まれていれば、こんなくだらないことに煩わされることはなかった。好きな服を着て、お洒落を思う存分楽しめたはずだ。
民警の視線を感じながらアキバを歩いているうちに、オレはどうしようもない怒りに囚われた。何なのだ、この理不尽は。そして、この理不尽を理不尽とも思わず、楽しげにコスプレに勤しむ男、男、男。女、女、女。
「狂ってる! すべてが狂ってる!」
オレがムンクの絵に描かれた男のように叫ぼうとした瞬間、オレの目に信じられない光景が入ってきた。デモ隊だ。ヘルメットを被り、マスクで顔を隠している一群が現れたのだ。歴史の教科書で見た新左翼(なぜかいまだに「新」と付いているのが不思議だが)の連中じゃないか。
ありえない。絶対にありえないことだ。民警はどうした? ケロロ軍曹の着ぐるみを着たスパイは? プリキュアの格好をした女公安は? なぜここにデモ隊が湧き出てきたのだ?
「うおおおおおおおおおおおおお」
オレは声にならない声を発しながら、そのデモ隊に走り寄っていった。そうなんだ、必要なのは抵抗なんだ。オレは背筋に冷たいものが走る感覚を覚えながら、手は拳を握りしめていた。そうなんだ、必要なのは闘いなんだ。
近づいて見たヘルメットには「強酸同(爆)」「殻今日同(萌え派)」などと書かれている。はて、なんのことだろう。やがて、シュプレヒコールが始まる。
「コスプレ闘争を貫徹するぞ!」
一瞬にして体が凍りついたオレは、その場に立ち尽くした。やがて激しい目眩に襲われ、地面が斜めになったかと思うと、その場に卒倒していた。彼らは過激派コスプレーヤーだった。またの名を共産趣味者。抵抗でも何でもない。コスプレ法の忠実な僕(しもべ)ではないか。
薄れゆく意識の中で、コスプレーヤーのゼッケンを見た。そこにはこう書かれてあった。
「万国のコスプレーヤー団結せよ」
--------------------------------------------------------------------------------
お正月に見ようぜDVD
遠大な困難を単純作業に置換する
『運命を分けたザイル』 ケヴィン・マクドナルド監督
生島青児
1985年、イギリスの若きクライマー、ジョー・シンプソンとサイモン・イェーツがアンデスのシウラ・グランデ(6352メートル)西壁の初登頂に成功する。彼等のとった方法は、固定ロープを張って登るヒマラヤ登山に主流の極地法ではなく、ヨーロッパアルプスで主流のアルパイン・スタイルだった。少人数のパーティで必要最低限の荷物を持ち、一気に登頂し下山するスタイルだ。当然、全てが自己責任において行われる。シェルパもポーターもいない。
2人は西壁の登頂に成功した。だが喜びも束の間、ジョーは下降中に右膝を骨折してしまう。標高差1000メートルの雪壁中で、まだそこは6000メートルの標高があった。それはまさしく死を意味する重大な事故の発生であった。
サイモンはジョーをザイルで確保しつつ氷雪壁を懸垂下降し、必死にベースキャンプに向かおうとする。だが、途中オーバーハングの壁でジョーが宙づりになってしまう。粉雪はサイモンの足場を崩し、ビレーをとり続けるのは限界だった。サイモンがとった選択は、ジョーと自分を繋いでいたザイルをナイフで切断するというものだった。ふたりとも滑落死することを避けるためだ。サイモンの行動は、究極のエシックス=可能な中の最善の選択であったと私は思う。ジョーは雪壁をすべり落ち巨大クレバスに吸い込まれる。
ここから、気の遠くなるような壮絶な生還劇が始まる。ジョーの実体験を記した原作『死のクレバス アンデス氷壁の遭難』(岩波現代文庫)の映画化だが、作品はドキュメンタリー・ドラマの手法を取っている。役者が演じるドラマの部分と、ジョーとサイモン本人達がインタビューに応じる映像を交互に使い、見る者は起きた事実を追体験し、真実に迫っていくのだ。
実際の撮影もペルー・アンデスやヨーロッパ・アルプスで行われたそうだが、全てにおいてリアリティーが追求されている。観客はスタジオ撮影やCGでは表現されない圧倒的な自然の美しさの前に言葉を失う。ジョーとサイモンの苦悩の表情は、メイクと演技ではなく、風雪に耐える生身の人間のものだ。
ジョーの凄まじい執念の行動を見ると、あまりの強靱な精神力に圧倒される。こんな登攀は半端な気持ちではできないし、強固な肉体抜きにはあり得ないなと思う。だがジョーを支え、突き動かしていたのは、「こんなところで死にたくない」という自己保存欲求でしかなかったと、ジョーは語っている。
クレバスに落ち、ザイルを切断されたことを知り、打ちのめされながら「絶望の極みにあっても自殺する勇気は持てなかった」「じっと待つよりは死を迎えてみるのだ」(原作)と、ジョーは生きるため行動することを選んだのだ。
クレバスを脱出してからも、骨折した足の痛みに苦しみ、凍傷にかかった指に喘ぎながら、寒さと眠気と闘い、転んでは立ち上がり、またはいずって進む。食料も水もない中で。そんな中でも彼は展望をたぐり寄せていく。
「変わった方法ではあるが、単純な選択に向き合うと元気が回復してくる。私の感覚は鋭く、生き生きとし、遙かもやの中に消えていく大地を眺め、かつて経験したことのないほど真摯な澄み切った気持ちで、その中に自分の姿を置いてみていた」「目前に目標を定めては、そこに30分で到着しようとする」「アックスを置く、足を前へ上げる、構える、跳ぶ」(原作)
ジョーは気の遠くなるような動作を繰り返す。気がつくと、ジョーに自分を投影していた。鼓動が強く激しくなり、アドレナリンが吹き出してきて体が熱くなっている。神経も高ぶり緊張が続く。「待っていてくれよ、サイモン」と、ジョーに代わり思わず叫んでしまう。自分がジョーになっているのだ。
ノン・フィクションの素晴らしさを感じる映画だ。山を登るとは、不断あまり意識していない当たり前なことに、率直に向き合う行為のようだ。誰もが自然の中で、その摂理に従い、生物としてのヒトとして行動しなければならない。寒さと闘い、重力とも闘わなければならない。そうすると、水、食事ばかりか、空気さえ、その存在の大切さに改めて気づかされる。
様々な技術や道具も必要だが、根本的には単純な作業に没頭し、目標を決めて進むことの繰り返しが大切なようだ。生きることの実感や充足を持てず、インターネットで知り合った他人と集団自殺する若者。生きる希望を失い毎年3万人が自らの命を絶つ。銃や凶器で簡単に命を奪われてしまう。そんな社会に私達は生きている。
だからこそ、たったひとつの命が生きながらえるために苦しみ喘いだ、この物語が語りかけるものは多いと思う。
--------------------------------------------------------------------------------
おんな一人短歌道
マキ・トヤマ
心情
ささやかな夢だと思っていたものが見果てぬ夢だと気付いたのはいつ
にっこりと微笑み返す小さな子 その刹那だけは私の子供
親友は遠くにありて想うものつらいときには心寄り添う
明日
思い通りにならない現在抱きしめてうつむく彼女そっと微笑む
捨て去って身軽になれば こんにちは前に広がる新しい道
どの道も生き残るのはいばら道 覚悟を決めて靴紐むすぶ
生活
何とかなる 気づいたときにはもう遅い 君の瞳は黒いザリガニ
この肉の内に他人を抱えつつたんたんと過ぎる日常生活
一人でいるときに感じる孤独より二人で感じる孤独が痛い
孤独
新宿の雑踏の中交差点 このヒトみんな知ラナイ人達
思いがけず口ついて出るトラウマに彼女の胸の闇を想う宵
空港へ急ぐエスカレーターで虚を突かれるよう孤独が襲う
看取り
生きるのに他人の承認などいらぬたとえ廃人のようになっても
寝てるのを起こすの悪い見舞いにて その判断の優しさが仇
大切な人を失くす度気づく会いたいときが会い時なのだと
病室にて
見舞いにもこない家族を待ち侘びて呆けるひとの横顔哀し
何も食べさせてくれない嘆く祖母あなたはなにを詰め込みたいの
帰りたい家にと泪浮かべてる 次の瞬間もう忘れてる
--------------------------------------------------------------------------------
豊かさ指数毎年上位の富山のおせち料理はコレ
沼田昭介
「おせち料理」といえば、最近ではデパートやスーパーで買う人も多くなっている。しかし、もともとおせちは、土地や家によってそれぞれ異なる特別の味があった。日本海に面した富山では、魚や昆布など海の幸を使ったおせち料理で正月を迎える。
■昆布〆
材料:昆布、刺身、しょうが
@出し昆布の表面を酒か水で湿らせた布でふいておく
A昆布の上に刺身(サス・イカ・ヒラメなど)をのせ、千切りのしょうがをぱらぱらと振り、ぐるぐると巻いていくか、段々に重ねていく。
Bサランラップでくるんで冷蔵庫に入れ、2〜3日後より食べる。(わさび醤油など)
■かぶら鮨
材料:かぶら数個、米1合、こうじ1合、塩サバ1匹、酢、人参
@炊いたご飯と水を1:1の割合で入れ、体温ぐらいに冷ました後、こうじを入れて混ぜる。
A@を一昼夜、炊飯器で保温して発酵させる。
Bかぶらは厚さ1〜1・5センチの輪切りにし、切り込みを入れ、約一日塩漬けにしておく。
C塩サバは薄皮をとり、そぎ切りにして酢につけておく。
D水切りをしたかぶらにサバをはさみ、容器に並べ、冷めたこうじと交互に重ねていく。その時に千切りにした人参を振っておくときれいに仕上がる。重石をして1週間後より食べられる。
■べっこう
材料:角寒天6本、水カップ8+4分の3杯、砂糖500グラム、塩大さじ1杯弱、たまご5個
@角寒天は水につけて柔らかくしておく。ゴミなどをきれいにとり、ざるにあげ、水切りをしてこまかくする。
Aたまごは固ゆでをし、白身は薄切りに、黄身はスプーンなどできれいにつぶし細かくほぐしておく。
B鍋に細かくした寒天と水をいれ、火にかけ、木じゃくしで混ぜる。
C沸騰してきたら砂糖と塩を入れてきれいに溶けたら、火からおろす。
DCを型に流し込んだら白身をばらまき、次いで黄身をきれいに振りかけるようにのせる。
--------------------------------------------------------------------------------
近くて遠くなってしまった国中国のおせち料理
小淵俊(中国料理研究家)
中国では主に旧暦の正月春節を祝う。春節は旧暦1月15日まで続く。その間休みは10日間から2週間程度もある。新暦の正月は元旦といい、日本の正月と同じように、里帰りして親類を訪ねたりする。
日本で正月にはおせち料理を食べるように、中国でも縁起をかついだ料理を食べる習慣がある。大晦日(除夕)の夜、日本ではそばを食べて新年を迎えるが、中国では餃子を食べる。餃子はその形が、明・清時代の貨幣である元宝銀(馬蹄銀とも呼ばれるように馬蹄形であった)に似ていることから、金運の象徴とされるのだ。
日本では餃子といえばふつう焼き餃子だが、中国では水餃子のこと。火が通るにしたがって浮き上がり、膨らむことから、子孫繁栄の意味もこめられている。餃子≠フ発音も、交子=i子供を授かるの意)に似ており、子孫繁栄の意味につながっている
もうひとつ欠かせないのが魚料理。魚の音は余と同じで、「年年有余」(毎年毎年余裕が出るの意)といい、豊かさの象徴である。たくさん、「余るほど」作って、全部は食べない。つまり「余らせる」ことが肝心なのだ。
日本で正月といえば餅は欠かせない。それは中国でも同じ。中国の餅はネンカオといい、もち米の粉を蒸して作ったもの。発音が「年年高昇」(毎年毎年暮らしが良くなっていくの意)の「年高」と同じであり、去年よりも良い年でありますようにという思いがこめられている。肉や野菜のスープに入れたり、肉や野菜と炒めたりする。
餃子を食べるのは主に北部、餅を食べるのは南部に多いようである。これは中国北部は小麦中心の文化で、南部は米中心の文化だという事情による。同じ餅でも地方によって、小豆や緑豆を入れたり、ナツメのこしあんを入れたりとさまざまだ。
旧正月2日には面条(そば)を食べる。長寿面といって、長寿を祈ったもの。一人前ずつ一本の長い麺をつくったりするところもある。最後の日(旧暦1月15日)は元宵節といい、元宵団子という団子を食べる。家族円満の意味がこめられている。
この他にも大根餅やサトイモ餅なども正月料理。果実の蜜漬けなども食べる。
■水餃子
材料(4人前):餃子の皮(大判)24枚、白菜6枚、塩大さじ1、干ししいたけ2枚、ニラ4分の1把、長ネギ4分の1本、豚挽き肉100g、生姜2分の1片、にんにく2分の1片、しょうゆ大さじ1、こしょう少々、みりん小さじ2、酒小さじ2、ごま油大さじ1、中華スープ(鶏がらスープのもと大さじ1、湯6カップ)
@あんを作る
1)白菜はみじん切りにしてボウルに入れ、塩を加えてもみ、少しおいてからみずで洗って絞る。干ししいたけは戻してみじん切りに、ねぎ、ニラ、生姜もみじん切りに、にんにくはすりおろす。
2)ボウルにひき肉、しょうゆ、こしょう、みりん、酒、ごま油を入れて混ぜ、しいたけ、ねぎ、ニラ、しょうが、にんにくを加えて粘りが出るまで混ぜる。白菜を加えてさらに混ぜる。
A包む
3)餃子の皮に割り箸やへらなどを使って、大さじ1程度のあんをのせる。
4)左右2箇所にひだを寄せながら、餃子の皮同士を押しつけて包む。
Bゆでる
5)なべに中華スープを煮立て、包んだ餃子を入れてゆでる。
6)餃子が浮き上がってきたら、玉じゃくしで器にすくい上げ、スープを注ぐ。
■燻魚(シュン・ユイ)
材料(2人前):鰤の切り身2切れ、下味用たれ(しょうゆ・酒・水 同割りで適宜)、漬け汁(しょうゆ300cc、砂糖カップ1、酢100cc、酒100cc、ローリエ2枚)
@下味用たれに鰤を10分漬ける
A200度の油に鰤をゆっくり入れる。
B漬け汁の材料を煮立たせ弱火にする。
C鰤が浮いてきたら油から上げる。
D鰤を煮立った漬け汁に20秒ほど漬け、取り出して汁を切る。
--------------------------------------------------------------------------------
(2006年1月1日発行 『SENKI』 1199号8-9面から)
http://www.bund.org/culture/20060101-2.htm
▲このページのTOPへ HOME > Ψ空耳の丘Ψ42掲示板