★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ42 > 290.html
 ★阿修羅♪
旧ロシア兵捕虜収容所 裏付ける写真発見 姫路・妙行寺(神戸新聞)
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/290.html
投稿者 gataro 日時 2005 年 12 月 03 日 10:08:22: KbIx4LOvH6Ccw
 

神戸新聞 2005/11/29

http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/hi/00044663hi200512291000.shtml



山門前に並ぶ旧ロシア兵捕虜=1905年、姫路市坂田町、妙行寺
 

姫路市教委は二十八日、同市坂田町の妙行(みようぎよう)寺が、日露戦争(一九〇四―〇五)の際、旧ロシア兵捕虜収容所だったことを裏付ける写真が見つかったと発表した。今年は日露戦争が終結したポーツマス条約調印から丸百年。市教委は「姫路での捕虜収容の様子を今に伝えるとともに、今後の日ロ友好を考える上で貴重な資料」としている。(佐藤健介)

 市教委によると、日露戦争時、全国二十九都市に捕虜収容所が開設され、約七万二千人を収容した。姫路の収容所は〇四年八月、全国で三番目に開設され、計十カ所に、下士官や歩兵ら約二千二百人を収容したという。

 このうち、当時の新聞などから、姫路城内の旧陸軍施設、船場本徳寺、播磨国総社など六カ所が確認されており、妙行寺は七番目。

 妙行寺が今年十月、第二次大戦時の姫路空襲で焼失を免れた山門の歴史や由来の調査を市教委に依頼。同教委の職員が寺の資料から、山門前で旧ロシア兵捕虜が収容所職員の日本陸軍兵と並んで写っている写真を見つけた。捕虜の人数などは不明という。

 関係者が、旧ロシア軍の情報を管理する旧陸軍省・俘虜(ふりよ)情報局に収容所の状況を報告するため撮影した写真の一枚を、寺側が譲り受けた可能性があるという。

 日本は当時、捕虜の人道的処遇を定めたジュネーブ条約に基づいて対応していた。捕虜に服の新調費や食費を支給し、散歩や運動も自由だったとされる。市教委文化課は「国際人権を守る重要性を考える上でも貴重な写真といえる」と話している。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > Ψ空耳の丘Ψ42掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。