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神戸新聞 2005/11/29
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/hi/00044663hi200512291000.shtml
姫路市教委は二十八日、同市坂田町の妙行(みようぎよう)寺が、日露戦争(一九〇四―〇五)の際、旧ロシア兵捕虜収容所だったことを裏付ける写真が見つかったと発表した。今年は日露戦争が終結したポーツマス条約調印から丸百年。市教委は「姫路での捕虜収容の様子を今に伝えるとともに、今後の日ロ友好を考える上で貴重な資料」としている。(佐藤健介)
市教委によると、日露戦争時、全国二十九都市に捕虜収容所が開設され、約七万二千人を収容した。姫路の収容所は〇四年八月、全国で三番目に開設され、計十カ所に、下士官や歩兵ら約二千二百人を収容したという。
このうち、当時の新聞などから、姫路城内の旧陸軍施設、船場本徳寺、播磨国総社など六カ所が確認されており、妙行寺は七番目。
妙行寺が今年十月、第二次大戦時の姫路空襲で焼失を免れた山門の歴史や由来の調査を市教委に依頼。同教委の職員が寺の資料から、山門前で旧ロシア兵捕虜が収容所職員の日本陸軍兵と並んで写っている写真を見つけた。捕虜の人数などは不明という。
関係者が、旧ロシア軍の情報を管理する旧陸軍省・俘虜(ふりよ)情報局に収容所の状況を報告するため撮影した写真の一枚を、寺側が譲り受けた可能性があるという。
日本は当時、捕虜の人道的処遇を定めたジュネーブ条約に基づいて対応していた。捕虜に服の新調費や食費を支給し、散歩や運動も自由だったとされる。市教委文化課は「国際人権を守る重要性を考える上でも貴重な写真といえる」と話している。
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