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本当は昨日書きたかったのですが・・・
18歳から働き続けた父が来年の1月23日で、会社勤めを終えることになりました。
ちょうどあと2ヶ月・・・。
「会社勤め人としては最後の勤労感謝の日なんだなぁ〜」と、離れている娘は昨日、感謝と尊敬の気持ちで父のことを思っていました。
大好きな父へ・・・。
私の父は富良野市の南、今はダムの底になってしまった町で生まれた。
3歳になる前に実の母を病気で亡くし、後妻や腹違いの弟妹に気を使いながら(いじめられながら)子ども時代をすごしたという。
本人は多くを語らない。
子ども心に考えても、それは辛いこども時代だったろうと思う。
家を早く出たかった父は、中学卒業と同時に鉄道学校に入り、昼間は鉄道の仕事の見習い、夜間は高校に通ったという。(寮があり家を出ることができたのだ)
そして、18歳で当時の国鉄の保線員になる。
保線とは、字の通り「線路を保つ仕事」つまり、線路の点検・工事の仕事だ。夏の暑い時も、冬の雪が降りしきる時も、一番に線路に出て、列車が運行できるようにするのが仕事。
泥やコールタール、すす等にまみれて働いていた。
(仕事で汚れた父の姿は、子どもの目にもかっこよかった)
21歳で、2歳近く年上の母とお見合い結婚。
次の年には姉が誕生。当時としても、若い父親である。
・・・・・・姉の時は遊び盛りで、いつも夜遅くまで飲んで帰ってきて大変だったと母はよくこぼしていた・・・・
仕事に、組合活動に、草野球に、酒に・・・と、家にいない人だったと母と姉は口をそろえて言う。
私も、家族で旅行をした記憶が実はほとんどない。
父がいないのだ。
休みの日も、組合関係の仕事がある、と全国を飛び回っていた。
寂しいと思ったことはないが、父はいない人だ、とは思っていた。
そんな父に、いや家族に重大な転機(危機)が訪れる。
国鉄の民営化だ。
姉は大学受験を控えた冬。私は高校受験を1年後に控えた冬のことだ。
父は自分の信念をとるか、家族の今後をとるか、悩んだ。
仲間のこと、今までのこと、子どもの将来・・・・・
それはそうとうな悩みだったに違いない。
そして、父は自分で組合をやめた。
仲間からは「裏切り者」と言われたこともあったらしい。
色々な葛藤があったのだろう・・・と私にもわかるくらいだった。
なぜなら・・・白髪が本当にどっと増えたから。
JRに社員として残った。
札幌に引越し、列車数も、線路数も多い札幌圏での仕事は本当に大変だったらしい。夜中でもよく電話が来ては出かけていった。
神経の磨り減るような毎日。
その頃からだったろうか・・・・。
休日に、よく父と二人でドライブをした。
普段無口な父だが、私とはなぜか馬が合うらしく、よく二人でドライブしてはランチを一緒にしたり、デートと称してでかけた。
多分・・・父の息抜きだったのだろうと今は思う。
更なる試練はやってくる。
それは年齢による圧力。早期退職をせまられる時期がやってきた。
早期退職か、関連会社への出向か。(給料は減)
この時、私は就職と同時に家を出て3年。結婚が決まったところだった。
父は出向を選んだ。
しかも保線とは関係のない清掃を主とする職場に。
きっと鉄道にけじめをつけたのだと思う。
そして・・・
来年の1月23日。62歳の誕生日を持って長い会社勤めを卒業する。
まわりからは引きとめられたらしい。
あと3年くらいは働こうと思えば働けるらしい。
でも、父が決めたことだから家族は誰も反対しない。
それは・・・・今まで家族のためにたくさんの犠牲を払いながらも働いてくれた父だから、である。
父のきめたことだから、それでいい。
本当に、今までの勤労に感謝しています。
父は仕事が好きなんだと思う。
でも、もう十分働いたよね。体だって、だいぶきつかったんだよね。本当にご苦労様でした。
あと2ヶ月だけど、もう無理しないでね。
そして、これからは少しのんびりして生活を楽しんで下さい。
母と趣味の写真とドライブ、満喫してね!
離れていて、なかなか力になれない娘だけど・・・
元気でいてください。
顔を見に、孫を連れて遊びに行きますから・・・・
あなたの娘より。
投稿者:ゆうなつの母 at 22:53
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