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ジェームス三木『憲法はまだか』 V 、【三流読書人 ブログ】
http://blog.goo.ne.jp/hiroura3993/e/2876eb6d56d696aff27e3903be1e34de
(以下、処々抜粋)
現行憲法を、アメリカの押しつけとする説は、必ずしも間違っていないと思う。マッカーサーの三原則から、民政局のモデル案が作成され、その大半を、日本は呑まされたのである。
しかし憲法が押しつけならば、民主主義も押しつけと言わねばならない。押しつけだから変えるというなら民主主義はどうなるのか。基本的人権はどうなるのか。
当時最年少だったベアテ・シロタ・ゴードンは、1999年日本の衆参両議院による憲法調査会に招かれ、「押しつけ論」についてこう述べている。
「『日本国憲法』は、アメリカの憲法よりずっと優れています。自分の持ち物より、もっといいものを、プレゼントするとき、それを『押しつけ』と言うでしょうか」
自主憲法と言っても、世界の潮流と、かけ離れたものはできないだろう。世界はあらゆる意味でグローバル化した。ヨーロッパ連合(EU)は、共通の憲法をつくろうとしている。私たちはすでに、人類の理想を盛り込んだ『日本国憲法を』持っている。
現代社会において国家の基本法である憲法は、国家権力の暴走を戒める縄のようなものである。国民が改正を望むならまだしも、権力側にある者が、縄をといてくれというのはいささかうさん臭い。
筆者は憲法第九条の「戦争の放棄条項」に、心を洗われる。お前よくそこにいたな、がんばってるなと、抱きしめたいくらいだ。
日本は第九条のおかげで、一度も戦争を起こしていない。戦争でひとりも外国人を殺していない。これほどの国際貢献がほかにあるだろうか。
もしもこの記録が百年続いたら、さすがに世界は驚き、称賛の目を日本に向けるだろう。日本は真の勇者として、人類の歴史に、名誉ある地位を残すだろう。
人はみな、歴史の中継ランナーである。
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