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11月15日に、紀宮の結婚式が行なわれた。その披露宴で東京都知事の石原慎太郎が
挨拶したが、こう述べた。「フランスの哲学者であったと思いますが、『神様仏様を
信じる信仰と、結婚というのは非常に本質的に似ている。その本質の原理は一種の賭
けだ』と書いております。……お二人の賭の配当に相伴させていただく……」と。引
用は「朝日新聞」11月22日の「石原知事発言録」からであるが、当日のNHKテレビ
では「哲学者」のあとに「ベルクソン」と発言していた。
この哲学者が本当にベルクソンであるかどうかが話題になり、石原は、18日の都庁
での記者会見では不確かさを突かれて、激怒したという(「スポーツ報知」19日)。
出典が誰かも問題ではあろうが、そんなことより、相手が誰であろうと、「結婚は
賭」なる発言が披露宴の祝辞としてふさわしいかどうかこそが問題であろう。私事な
がら3度も結婚している私としては、「結婚は賭」にもいくらかの真実があると認め
るほどには人生体験は重ねているつもりであるが、人生の門出に最適とは言えないだ
ろう。ヤクザの娘とか暴力団の若頭の披露宴ならば、爆笑をさそうかもしれない。宗
教も賭と言われたら、宗教を信じている人も怒るだろう。いずれにせよ、場違いな発
言であることは明白である。
もう一つ。私は天皇制に反対だし、この点では憲法改正を「国民発意」(この制度
はまだないが)したいが、この点での価値判断のいずれかは別にして、天皇を敬愛し
ている人にとって、その娘の披露宴で日本人ではなくフランス人からの言葉を引く感
覚は許せるものなのであろうか。だれか日本の歴史的人物のなかから言葉を探せな
かったのであろうか。国際化の時代だから外国人からのほうがよいのだろうか。少な
くとも国粋主義者は怒って当然であろう。石原の天皇敬愛はこの程度のものなのであ
ろう。
さらに、披露宴の直後にマイクを向けた記者に、石原は披露宴が「ささやかな」も
のであったと答えた。作家でもあるはずだが、他に言葉はないのか。褒めことばでな
いことは明らかだ。帝国ホテルの大広間などに入るチャンスがあろうはずはない私に
は、高価なフランス料理は縁遠いから、ささやかでもどうでもよい(税金の無駄使い
は止めてほしいが)が、石原発言が常識外れであることは明白である。
この問題発言は、翌日の「朝日新聞」にはまったく出てこないので、探すのは面倒
だと思っていたら、「石原知事発言録」に載った。暴言・妄言に事欠かない無頼知事
であることは周知ではあるが、余りにも酷いのではないか。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-November/004403.html からの転載。
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