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会田雄次『アーロン収容所』彼女(英国人)たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに人間ではなかったのである
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/194.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 11 月 23 日 14:18:11: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu107.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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会田雄次『アーロン収容所』彼女(英国人)たちからすれば、
植民地人や有色人はあきらかに人間ではなかったのである

2005年11月23日

◆アーロン収容所の英軍女性兵舎の掃除 11月19日 萬晩報
http://www.yorozubp.com/0511/051119.htm

1967年5月、日本に帰ってきて読んだ本がある。会田雄次『アーロン収容所』(中公新書)である。京都大学教授がそのむかし学徒動員でビルマ戦線に投入され、戦後ラングーン(現ヤンゴン)のアーロン収容所に収容された時の経験を書いたものである。

 この本はまだ中公新書で87版を重ねている名著である。

 会田雄次氏はアーロン収容所での屈辱的な体験として「女兵舎の掃除」でイギリス人のアジア蔑視の実態を憤慨しながら書いている。当時の西洋人はアジアの人々を「人間」として扱っていなかった。南アフリカでの体験からさもありなんと考えた。

 人権だとか民主主義だとかは西洋での約束事でアジアやアフリカではまるで関係ない事柄なのだということを改めて知らされたのである。

 『アーロン収容所』を読んでいない人にために「女兵舎の掃除」のくだりを転載してみたい。

「英兵兵舎の掃除というのはいちばんイヤな作業である。もっとも烈しい屈辱感をあたえられるのは、こういう作業のときだからである。………その日は英軍の女兵舎の掃除であった。看護婦だとかPX関係の女兵士のいるカマボコ兵舎は、別に垣をめぐらせた一棟をしめている。ひどく程度の悪い女たちが揃っているので、ここの仕事は鬼門中の鬼門なのだが、割当だから何とも仕方がない」

「まずバケツと雑巾、ホウキ、チリトリなど一式を両手にぶらさげ女兵舎に入る。私たちが英軍兵舎に入るときは、たとえ便所であろうとノックの必要はない。これが第一いけない。私たちは英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた」

「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない、私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた」

「入ってきたのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女たちはまったくその存在を無視していたのである」

「このような経験は私だけではなかった。すこし前のこと、六中隊のN兵長の経験である。本職は建具屋で、ちょっとした修繕ならなんでもやってのけるその腕前は便利この上ない存在だった。………。気の毒に、この律義な、こわれたものがあると気になってしょうがない。この職人談は、頼まれたものはもちろん、頼まれないでも勝手に直さないと気がすまないのである。相手によって適当にサボるという芸当は、かれの性分に合わないのだ」

「ところがある日、このN兵長がカンカンに怒って帰ってきた。洗濯していたら、女が自分のズロースをぬいで、これも洗えといってきたのだそうだ」

「ハダカできやがって、ポイとほって行きよるのや」
「ハダカって、まっぱだか。うまいことやりよったな」
「タオルか何かまいてよってがまる見えや。けど、そんなことはどうでもよい。犬にわたすみたいにムッとだまってほりこみやがって、しかもズロースや」
「そいで洗うたのか」
「洗ったるもんか。はしでつまんで水につけて、そのまま干しといたわ。阿呆があとでタバコくれよった」

 N兵長には下着を洗わせることなどどうでもよかった。問題はその態度だった。「彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに人間ではなかったのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような間隔を持つ必要なないのだ、そうとしか思えない」

今から数えると60年前の話だが、筆者が初めて『アーロン収容所』を読んだのは40年近く前だから、戦後まだ20年近くしか経っていない。南アフリカでの人種差別の経験がまだ生々しかった時だから衝撃的だった。

会田雄次氏の『アーロン収容所』では“アジア人家畜論”が続く。

「はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らなければならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるときに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである」

「私はそういうイギリス兵の態度にはげしい抵抗を感じたが、兵隊の中には極度に反発を感じるものと、まったく平気なものとの二つがあったようである。もっとも私自身はそのうちあまり気にならなくなった。だがおそろしいことに、そのときはビルマ人やインド人と同じように、イギリス人はなにか別種の、特別の支配者であるような気分の支配する世界にとけこんでいたのである。そうなってから腹が立つのは、そういう気分になっている自分に気が付いたときだけだったように思われる」

 会田氏によれば、イギリス人は、ヨーロッパでの牧羊者が羊の大群をひきいていく特殊な感覚と技術をもっていると同じように、いつの間にかアジア人を家畜として手なずけているというのだ。日本人には決してできない特技を長い間の植民地支配で身に着けてしまったというわけである。

 だからイギリス兵は決してアジア人や日本人捕虜を殴ったりはしなかった。日本兵のように“凶暴”でないが、その代わり人間扱いしなかっただけのことなのである。

 高校生だった筆者は「なるほどこういう見方があったのか」と頭を殴られたようなショックを受けた。南アフリカの白人たちが黒人を「キャファー」と呼んでいた意味がようやく分かったような気がした。アラビア語で異教徒という意味のキャファーは「相いれない」という意味でもあるのだろう。

 当時の筆者にとって、問題は「そのように飼いならされた」アジア人たちであった。白人には決してかなわないとあきらめてきたその卑屈な根性である。「なんで支配を許したのか」「なぜ戦わないのか」。そんな苛立ちがあった。

 いま中国経済が隆々として脅威論すら出てくるようになっているが、たった15年前までは「貧困」こそがアジアの枕ことばだった。1960年代のアジアはアフリカ同様にもっと貧しく卑屈で、先進国経済のお荷物だった。だから「がんばらないとアジア人は永遠に白人たちに支配され続けられることになる」という危機感があった。

 国際情勢は冷戦構造の真っただ中で、アメリカを中心とする自由主義陣営がソ連や中国などの社会主義陣営と真っ向から対峙していた。だから多くの日本の知識人は心情的に社会主義に肩入れしていて、階級闘争によって貧富の格差や差別がなくなるのだと主張していた。

 当時の筆者にはなじめない議論ばかりが横行していた。世界には階級による対立より深刻な人種差別が厳として存在するのだと考えていたのに、誰も耳を貸すものはいなかった。『アーロン収容所』は筆者の心を癒やす数少ない書物であった。


(私のコメント)
大東亜戦争を歴史的に評価すれば、日本による米英への人種解放戦争であると株式日記では書いてきましたが、中国人や韓国人にはそのことが面白くないようだ。だから靖国神社に対するA級戦犯に対して犯罪者呼ばわりして非難する。また日本の反日左翼も同調しているが、なぜこれほど騒ぎ立てるかと言うと、日本がアジアの解放者となっては中国のアジアにおける覇権が成り立たなくなるからだ。

しかしこのような事を主張すれば東京裁判史観に洗脳された人からは感情的な反発を招く。また中国の外相や韓国の大統領などは日本をナチスドイツになぞらえているがドイツがまだ何処の国とも講和条約を結んでおらず、謝罪もしていないことを知らないのだ。謝罪をしているのはあくまでもユダヤ人に対する虐殺に対する謝罪であり、国家としての謝罪ではない。

国家としての戦争行為は戦争を規定した国際法があるように犯罪ではなく外交行為なのだ。ところが東京裁判では侵略戦争だとして一方的に裁かれましたが、裁いた側もアメリカもイギリスもフランスもオランダもアジアを植民地支配していたのであり、結果的に日本はこれらの帝国からアジアを植民地支配から開放した。

もちろんこのような見解はまだ英米人たちにも受け入れられないだろう。しかし歴史家の中にはトインビーのように「西洋人が不敗の神ではないことを示した」と評価しているように、歴史家の中から一般的見解として広まってゆくだろう。しかも大英帝国の終焉をさせた張本人が日本であり、イギリス人にとっては日本を恨んでも恨みきれないほどの憎しみを持っていることだろう。


◆アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/daitoua.html

第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)


(私のコメント)
京都大学の会田雄次教授は自身の戦争体験を「アーロン収容所」に書いていますが、自身が歴史学者でありその戦争体験から、大東亜戦争の本質を書いている。私も大分前に読んだ本ですが、英語に翻訳されてイギリスでも出版されましたが、イギリスから脅迫状が来たそうだ。それくらいイギリス人にとっては大東亜戦争は衝撃的出来事だったのだ。

だから中国人や韓国人が靖国で騒いでみたところで、大東亜戦争の評価が長い歴史の上から見ればアジアの植民地解放と人種開放戦争であった事の評価は固まってゆくだろう。株式日記の読者にもこのような見解には右翼の暴論と思われるかもしれませんが、大東亜戦争の歴史的評価は学術的に歴史学者が決めてゆくだろう。

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