★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ42 > 152.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://ch.kitaguni.tv/u/5238/%bc%d2%b2%f1/0000291008.html
以前紹介したことのある愛知県のYさんのミニコミ誌の記事(1996年1月号より)で取り上げれた事件は、読み返すたび不愉快な気分になる。話の内容を以下に要約してみる。
Yさんは高校教師のかたわら、子どもたちの人権相談に乗っていた。
一人の女子高校生がYさんの所へ相談に来た。
その生徒はお腹の不調を訴えてある大きな公立病院を受診した。診察室で若い医師は看護師を外に出し、検査と称し彼女に卑わいな事を行った。生徒は、こんなことが必要な検査なのだろうか?と思い不安に駆られたが、ここでは疑問を問い返せなかった。
誰にも言えず一人悩み、自殺さえ考えた。考え抜いた後、自分のされた行為の真意が知りたくて町の開業医を数箇所尋ねて回った。「あなたの症状にそんな検査はありえない」(というか、そんな検査聞いたことないぞ・・・nanayaの声)とどこでも言われた。
彼女はYさんにどうしたらいいかと相談した。
Yさんは、この病院の院長に事実の調査を求めたが、すでに開業医からの通報で事件の真相を聞いていた院長は、この医師を他の地域の病院に転勤させていた。この事件に関して証拠はないと処理し、院長は「この医師は出世の道が絶たれたことが何よりの制裁だ」と説明した。
女子生徒ははじめ納得しなかったが、結局告発する道は選ばず、自分に内々に謝罪してくれればよいと言った。
Yさんはこの生徒の判断に不満であった。
「なぜ自殺を考えるほどあなたを苦しめたのに、犯罪を許してしまうのか?」
「だって、私が訴えたら、この医者は医師免許がとり上げられるのでしょ。かわいそう」と生徒は言った。
Yさんはこう述べている。
「わたしは、この生徒の人権意識の希薄さに『今日』を感じた。怒りが怒りにならない人の『善意』が、本当に世の中をダメにすることをまたしても知らされたのである。いじめ問題もこの意識につながっていると思う。」
生徒の意識に愕然としながらも、Yさんは奔走した。
そしてこの医師から謝罪の手紙が届けられた。
ところがである。1通目の手紙の内容があまりにもひどかったので、生徒は怒って、再度の謝罪要求をしたのだった。2度目の手紙は・・・これまたあきれる内容で、彼女は3通目の要求をあきらめてしまったのだ。
話はまだ続く。
この医師はその後も行った先々で同じような犯罪を繰り返していたのだった。その後の事件は東京読売新聞に暴かれたという。
あちこちで事件が発覚するたびに、転勤を繰り返す。医師会もかばいあっていた。被害患者はどれだけの数に及んでいただろうか。
この生徒の承諾によって掲載された犯罪医師の手紙の1通目は、自分は悪い事をしたつもりはないという自己弁護で、2通目はこれからの自分の生き方を揚々と語るもの。そこには反省のかけらも無く、読んでいて反吐が出そうだった。
故郷の無医村で僻地医療に取り組む生き方を残りの人生にかけるという内容だったが、そんな高き志を掲げるのなら、自分のやった事の始末をつけてからというのが筋ではないか。悪事の償いもせず、これからの善行が免罪符になるとでも考えたのか。それこそがお前の人生の根本の大間違いというものだろう。
このような犯罪は告発されなければならない。法的判断の下の裁きを踏み、反省、謝罪、罪の償いがなされなければ、加害者の行為が絶たれるという保障はない。罪の償いは、善行によって相殺されるものではないと思う。
なぜこんな過去の事件を取り上げたかというと、鹿児島の無認可託児所で、経営者が子どもへやけどを負わせる体罰を行っていたが、子どもの親は事件性にしたくないと言って告発を見送ったからである。被害者の告発がなければ警察も捜査はできない。これでは子どもが被害の事件はなくならないだろう。
鹿児島市 無認可託児所で2児がやけど負わされる
http://mytown.asahi.com/kagoshima/news02.asp?kiji=5180
事件性にしたくない理由には、(マスコミによって)世間に見世物のように晒されることへの不安があったのかもしれないが、だからといって事件を黙認することはないと思う。
社会の中に潜む人権意識の希薄さは、Yさんが危惧するように善人を自負する人の中にも根付いている。間接的に加害者になりうるかもしれない危険性を秘めているという想像力がそこにはない。犯罪行為を見逃す大人たちが子どもを傷つけ、子どもたちは大人の行動を見習って育っていく。教育が本当に必要なのは、人権意識の希薄な大人であろう。
投稿者:nanaya at 20:45
▲このページのTOPへ HOME > Ψ空耳の丘Ψ42掲示板