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(回答先: 世界の歴史を再認識したく本を読んでますが、宣教師も植民地化に携わっているのでは、と思ってました。 投稿者 代理投稿1 日時 2009 年 7 月 28 日 06:41:20)
植民地政策を拡大したい国家と、カトリックへの改宗を世界に広めたいという教会の思惑が一致して、互いに相手を利用しあったということなんじゃないかな。
でも後にイエズス会が富と権力をつけてくると国としては段々うとましくなってくる。
実際、南米ではポルトガル政府とイエズス会に率いられた現地人の間で戦いも起こっているよ。(「解放の神学」のさきがけ?)
そのため1773年、教皇クレメンス14世は、フランス、ポルトガル、スペインからの圧力に屈し、イエズス会を一度は解散させてしまう。
それにしても、宣教師はキリスト教を広める一方でどうして奴隷貿易に関与できたのか。
実は宣教師だけでなく、当時の世界では18世紀まで奴隷貿易を是認する態度がとられていたらしい。
奴隷を持つことは普通のことであり、カトリックもプロテスタントも教会自身が奴隷を所有していた。
人道主義的な立場から奴隷制に非難があがり始めたのは18世紀末になってからだ。
それでも教会は自分たちの行為を正当化するために彼らなりの言い訳も考えた。それは奴隷の身であっても、ヨーロッパに渉りキリスト教の恩恵に浴させることは喜ばしいことであるということだ。
とはいえ、奴隷に対してはひどい虐待がなされているわけで、その事態を正当化するためには“キリスト教の恩恵”を差し伸べるという主張以上の根拠が必要になってくる。そこで次に自分たちに言い聞かせたのは、彼ら奴隷は自分たち白人とは別種の人間なのだということ。
では今日、奴隷貿易に関与したキリスト諸教会はその責任についてどう感じているのだろう。
プロテスタント諸教会は知らないが、意外にも、法王ヨハネ・パウロ2世は奴隷貿易について2度にわたりアフリカ大陸に対して謝罪をしている。最初は、法王がセネガルを訪問した1992年2月のこと。その時の模様をイタリアの日刊紙「コリエーレ・デラ・セラ」は、「クリスチャンでさえ自らに汚点を付けた奴隷制という歴史的な犯罪について、“天の許し”とアフリカの許し」を法王は懇願したと伝えた。2度目に謝罪したのはそれから約3か月後で、サントーメを訪問していた時のこと。
法王はバチカン宮殿で、「教会は罪人をも含む共同体であるゆえ、何世紀にもわたって愛の教えに対する違犯行為を行なってきた。……これは、クリスチャンという名で自らを飾る個人や集団の失敗である」と説明した。しかし「法王の謝罪」について日刊紙「ラ・レプブリカ」は次のように論評した。「(法王は)一般のクリスチャンの罪について述べたが、歴代の法王、ローマ・カトリックの修道会や司教や僧職者の罪について語ってもよかったはずだ。実際、奴隷制の歴史には、カトリックの全僧職者団の責任も絡んでいる」。
結局奴隷制の罪は信者個人の罪であり、バチカンとしては関与していないということなんだね。
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